148、見つからない道筋
それから無事にレグザスを出発し二週間ほど。
いくつかの村や町を経由したが、大した事件も事故もなく、オレとしてはあまりに順調な旅路を続けていた。出発以来、魔法都市から緊急の連絡もなく、ひとまずは向こうも大丈夫そうだ。
もうすぐ目的のカルラにつく。
少し前から当たりの草木が減り、大地が渇いてきた。水分補給のための小川も細く、そもそも川が枯れていることも多い。乾燥地域に入ったのだろう。
カルラは湧水池を囲むようにして作られた都市で、小さいながらもパンドラ砂漠に入る商人たちなどがよく利用している。
カルラ以外にもパンドラ砂漠の辺縁にある町村はいくつかあるが、レグザスからだとここが最も近い。
パンドラ砂漠に出入りするための関門のような街ゆえに、もっと発展してもいいと思われるが、そうはいかない。理由は至極単純。人が生きていくための水の確保が難しいからだ。ただ1つの湧水池を水源として利用しているため、過剰な人口増加や街の拡大に耐えられないらしい。
このあたりの話は、竜車の御者の人に聞いた。
じゃりじゃりと、砂を食むような車輪の音が止み、慣性に体が傾く。
ややあって御者の人の「着いたぞ」という端的な声が幌の中に響いた。
オレは御者の人に軽く礼を言うと、リア、レイラを伴って竜車を降りる。
目の前に広がる町に少しだけ心臓が高鳴る。
それは新天地へと来たという興奮と、そして緊張。
「ここが……」
リスチェリカとは異なる黄土色の街並み。
土をそのまま建物にしたような作りの家屋が立ち並ぶ。窓は小さく先ほどからじりじりと皮膚を焼いている強い日差しから屋内を守っているようだ。
ここからではよく見えないが街の奥の方に一部だけ木々が生い茂っているエリアがある。恐らくあのあたりに湧水池があるのだろう。
町の外を見渡すも一面荒野で、枯れているのかいないのか分からないような丈の低い草がいくらか生えている程度だ。なるほど、これでは町を大きくも出来ないなと理解できる。
「ひとまず、ドラグニル沼地への竜車を探そう。多分直接はいけないから、パンドラ砂漠を越える方法を探すのが手っ取り早い」
ただ、一口に砂漠を越えると言ってもどちらの方角へ越えるのかという問題がある。今オレたちはざっくりパンドラ砂漠の東端にいるわけだが、ドラグニル沼地の正確な位置が不明である以上どっち方向に行けばいいのか分からない。
「大まかにパンドラ砂漠の西ってのは分かるんだが……」
レイラにも聞いたが、パンドラ砂漠は「村の東の方にある大きな砂漠」という認識しかないらしく、正確な位置関係までは把握していなかった。
魔法都市にも情報は無かったので、ここからは地道な道のりになりそうだ。
「にしても酔狂なお客さんだな。商人って成りでもないだろうに。物見遊山をするにしても、カルラに大したもんはねえぞ」
御者の人の声にオレは振り返る。
「ああ、いや。ドラグニル沼地に用があって」
オレの言葉に御者の男は、いぶかしむような眼をこちらに向けてきた。品定めされるような視線と、怪訝さを隠そうともしない態度に少しだけ眉を顰めそうになるのをこらえ、愛想笑いを浮かべる。
「ドラグニル沼地っつうと、俺も詳しい位置までは知らねえが砂漠越えしなきゃなんねえんじゃねえか? なんで、そんなとこに。観光ならもうちょいマシなとこがいくらでもあるだろうに」
「まあ、野暮用です」
「ふーん……」
男はさして興味も無かったのか、すぐにこちらから視線を外した。
そして竜車の荷物を整理しながら、こちらを見ることもなく続けた。
「町の中央に大きな貯水池がある。その縁に、竜車の手配所があるはずだ。何だかんだこの街は人の出入りだけは盛んだからな。もしかしたらご所望の便があるかもしんねえぜ」
棚から零れ落ちたぼた餅に目を丸くする。
「ありがとう。行ってみます」
軽く礼をすると、オレはリア、レイラを引き連れて町の中へと歩みを進める。
暑い…………
少し歩いただけでもう汗ばんできた。
気温が高い。三十度以上は軽くあるだろう。
日本の夏などと違い、乾燥しているためそこまで不快感が無いのが救いか。
隣を見ればリアも手うちわでぱたぱたと顔を仰いでいる。レイラは暑さに対しては割と耐性があるのか涼し気な様子だ。物珍し気にあたりを見回す余裕すらある。
加えて、少し歩くだけで靴の中がじゃりじゃりと嫌な音を出す。音だけならまだ良いのだが、足裏に伝わってくる感触も不快なのだから度し難い。
「しょうがねえ。少し贅沢っちゃ贅沢だが」
魔法で自分たちの周囲の気温を下げる。
氷の魔法を行使する際に温度を下げる操作が入るが、それをそのまま転用する。
これで少しばかりマシになるだろ。
リアもオレの魔法に気づいたのか、「ありがとうございます」と短く礼を言うと息を吐いた。
周囲の気温は下がっているが、照り付ける太陽のために肌がじりじりと焼かれる感覚はやまない。一応、皆にはローブを羽織らせているため肌が露出している部分は少ないが、それでも露出している部分が焼かれる感覚は残る。
慣れない環境に悪戦苦闘している間に、徐々に景色の中に緑色が増えてくる。
街の中心に近づいてきたのだ。
外縁部ではあまり見かけなかった住人も増え始め、商店街と思しき場所が目に入ってくる。みな独特のローブやヘッドスカーフ、フードのようなもので可能な限り肌を隠し、直射日光と気温から身を守っている。
リスチェリカほどではないが、それなりに活気づいていると言っていいだろう。
「わ、すごい」
レイラの視線を追うとそこには見たことの無いパステルカラーのフルーツが並んでいた。恐らくはこの地域特有の果実類だ。皮が厚く、中に大量の水分や油分を含んでいるのだろう。
「……買ってみるか?」
「む、ワタシがいつもお腹を空かしていると思ってない?」
「じゃあ、要らないのか?」
「……1つ食べたいです」
潔く敗北を認めたレイラに免じて、3つほど果実を購入する。
2つはレイラに、1つはオレとリアで分け合うつもりだ。
「そのまま食えるのか?」
オレの独り言に店主が答えた。
「ええ、半分に切って中身を抉り出して食べて頂いても大丈夫ですし、穴を空けて筒などで中身をすするように食べることもできますよ」
店主の案内を受けて、オレは風魔法で果実をカットする。切った瞬間に果汁がこぼれそうになるのを水魔法で操作して留めると、半分をリアに渡す。
リアは「魔法をこんなことに……」とかなんとかぶつくさ言っていたが、そのまま果実を受け取る。
オレたちがそんなことをしている間にレイラは1つ目の果実を「おいしー!」とか言いながら平らげており、今まさに2つ目に手を付けようとして、あ、いま消えましたね。
目の前で繰り広げられるタネも仕掛けも無いフルーツ消失マジックに苦笑を漏らしながら、オレは目の前の果実にかぶりつく。
「うお、甘いな」
想定よりも遥かに強い甘みと香りが口内に広がる。
やや癖のある甘さではあるが、くどくはない。上品な甘さとは程遠いが、なるほど糖分と水分を補給するという意味合いではこれ以上適切なものは無い気がする。
リアも似たような感想を抱いたらしく、「甘い甘い」言いながらも食べ進める手は止まっていない。
「いくつか買っていくか」
『持ち物』に入れておけば腐る心配もない。
今しがた食べたものに加えて、いくつか店頭に並んでいたフルーツを買い込むと、オレたちはまた歩き始めた。
物珍しいものが多く、竜車の手配所にたどり着くまでに日が暮れてしまいそうだ。
目移りするレイラを引っ張るように連れ歩き、ようやく目的地と思しき場所に到着した。
やや離れた場所には湖とまではいかない大きな池があり、周囲では小さな畑や家畜が見受けられる。一方で、これまで見た中で最も豪華な住宅が何件も立ち並んでおり、ここがこの町の根幹、中心であることは疑いようがない。
ちらりと建物の中をのぞくと盛況も盛況。この町で最も混雑しているのではないかと思うぐらいの人ごみだ。
うお、マジか…………
どうやらこの町の人の出入りが激しいという話はオレの思っていた以上に真実らしい。パンドラ砂漠を挟んで東西を繋ぐ、重要な中継地点なのだ。
「二人はここで待っててくれ」
わざわざ人ごみに大人数で飛び込んでも仕方がない。オレ一人で情報収集と、あわよくばパンドラ砂漠を抜ける竜車を見つけておきたい。
人ごみをかき分け、なんとか受付と思しき場所にたどり着く。
受付の人の「どういったご用件ですか?」という問いを待ち、少し大きな声で答えた。
「すみません、ドラグニル沼地に行きたいんですけど」
「…………ドラグニル沼地、ですか」
受付の表情が少しばかり曇る。
「何かまずいことでも?」
「…………いえ、最近、ドラグニル沼地の集落で起こった事件についてはご存じないですか?」
どくん、と心臓が嫌な高鳴り方をした。
「事件、とは」
オレの問いに、受付の女性は少しばかり声を潜めて言った。自然とオレと顔を近づけて話す形になる。
「…………ドラグニル沼地の周辺には竜人族の大きな集落があるのですが、それがつい一月ほど前に壊滅したらしく…………」
その情報にオレは思わず言葉を失った。
集落が、壊滅。
それはどこをどう切り取っても絶望の響きしか持ちえない。
「原因は?」
「集落内の抗争とも、魔物の襲撃とも言われていますが……何とも。自治区なので、大規模な調査を派遣するわけにもいかず。数名の調査隊が、集落が破壊しつくされていたこと、そして誰も残っていなかったことを確認したそうです」
掘れば掘るほど絶望の情報のみが増えていく。
レイラのことを思い、強く奥歯を噛みしめた。
「元々ドラグニル沼地方面との行路は、月に数度最低限の物資をやりとりする商人たちのものしかありませんでした。唯一の集落が無くなってしまった今、その行路も運休しています」
「そう、ですか…………」
一筋縄でいくとは思っていなかったが、自分の想定を上回る状況に歯噛みするほかない。
彼女の情報から、集落の状態は絶望的だ。
オレたちがそこに行ったところで、何も得られない可能性の方が高い。
だが、それでも行かなければならない。
レイラの、ために。
次の一手をどうすべきか考えあぐねていると、一人の男がぐっと身を乗り出すようにカウンターに割り込んできた。
「よお、あんちゃん、お困りかい?」
獣人の男が気さくに話しかけてくる。
尖った耳にモフモフの尻尾が、ガタイのいい偉丈夫についているのは何とも違和感をぬぐい切れないが、この世界ではよくあることだ。もう慣れてしまった。
「あー、まあな。ドラグニル沼地に行きたいんだが、便がないって言われてしまって」
「ドラグニル沼地ぃ? 何でまたあんなところに。最近物騒だっつう話じゃあねえか」
獣人の男は深緑の頭髪を漉くようにして頭を掻く。
先ほどから動きも声も大きい男だ。
「まー、何用かは知らねえが、一旦エルピスに向かえばいいんじゃねえか?」
エルピス。パンドラ砂漠のど真ん中に位置する、巨大なオアシス都市だ。
男の言葉に、受付も補足するように続けた。
「……そうですね。ここから直行する便は元々なく、どの便もエルピスを経由します。エルピスであればもう少し情報が手に入るかもしれません。ドラグニル沼地行きの行路もあるかも」
二人の言葉に考え込む。
いずれにせよドラグニル沼地に行くには、一旦エルピスを経由しなければならないのは変わらない。今ここで立ち止まっていてもどうしようもない。ひとまず、エルピスに向かうことだけを考えるべきか。
「ありがとうございます。エルピス行きの便、三人分とりたいんですけど大丈夫ですか。あと、パンドラ砂漠周辺の地理についても教えて欲しいです」
無事に金を落とす客になってほっとしたのか、やや饒舌になった受付の説明を受ける。
合間合間に獣人の男も得意げに微妙な豆知識のようなものを挟み込んでくる。それを聞き流しながらなんとか情報を得た頃にはそこそこの時間が経っていた。
ドラグニル沼地がパンドラ砂漠の西北に位置すること。ここからエルピスまで、そしてエルピスからパンドラ砂漠の端までの大まかな距離など。
獣人の男が馴れ馴れしく話しかけてくる。
「兄ちゃん、見ない顔だな? 冒険者……って風貌には見えねぇが。旅行か?」
「おいおい、こう見えても冒険者だぞ?」
まあ、まともに依頼はこなしていない名ばかり冒険者だが。
大げさに驚いてみせる男をあしらいながら、受付に三人分の運賃を支払う。
銀貨12枚。少しばかり高く感じるが、オレの持ち合わせから考えると微々たる出費だ。
オレがぱっと金を出したことに少しだけ驚かれたものの、すぐに事務的な会話に戻る。
「では、出発は明後日になります。宿などはお決まりですか?」
「いや、まだ」
「でしたら、貯水池周りの宿をお勧めしますよ。少しばかり値は張りますが、どこも良い宿ばかりなので」
恐らくオレの恰好や、取り出した銀貨袋を見てそれなりに裕福であると推察したのだろう。
「ひゅー、気前よく払うねぇ。連れは、入り口で待ってる美人ちゃん二人か?」
やけに絡んでくる獣人に、少しだけ内心で警戒を強める。
無論、あらゆる人間に悪意を仮定していては仕方ないが、治安がいいとは限らない。物盗りや人さらいなんかの可能性は十二分にある。
「何だ、あの二人に手出したいのか? やめといた方がいいぞ。殺される」
真顔で警告を述べるオレに始めは冗談だと思ってニヤニヤしていた男も、オレが真顔を崩さないことに気付き顔を引きつらせる。
「じょ、冗談だろ?」
「試してみるか?」
男は「まだ死にたくねえよ」というと肩を竦めて立ち去ろうとする。
「そうそう! 明後日の便っつうことは、俺の竜車も一緒に出発するな。俺はバートル。ここいらで商人をやってるモンだ。ま、機会があったらご贔屓にしてくれや」
獣人の男――――バートルはそう言い残すとひらひらと手を振りながら去っていく。
オレに声をかけたのは、金になりそうだったからか……?
意図の読みづらい男だったな、と思いながら、もう一度人ごみに揉まれてリアたちの下へ戻る。
「あら、早かったですわね」
「まあな。人はたくさんいるんだが、大半が立ち話してるか、商人ばかりだから、個人向けの受付はがらがらだったよ」
いつもより少しばかり口数が多いオレを見てリアは一瞬だけ目を細めるが、「へぇ」とだけ言うとそのままそっぽを向いてしまった。
そして、問題なのは……
「ユートくん。どうだった?」
「…………ドラグニル沼地直行の便はないってさ。だから、一旦エルピスっつうパンドラ砂漠の中央の町に向かう。そこで次の足を拾う……拾えなかったら……まあ、金に物言わせて足を拾う」
金銭面にはかなり余裕がある。羽振り良く出せば、竜車の一台や二台買い取るぐらいはできるだろう。まあ、維持管理が面倒なので買いたくはないが。
「エルピスは一度だけ行ったことがあるから、もしかしたらそこからの道は分かる、かも………でも、そっか……集落行きの便はないのか」
「出発は明後日の日の出と同時。それまでは観光やら何やらで時間を潰すしかないな」
「わ、ほんとう!? じゃあ、その、もしよければ、もっと色んなもの食べてみたい……なんて」
「…………お金持ちって言っても限度はあるからね?」
オレの心配が届いているのかいないのか分からないレイラが目をキラキラさせながら、次なる獲物を探してあたりを見回している。
……次回、財布死す! デュエル・スタンバイ!




