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147、束の間の安寧


 それからオレたちはレグザスに入った。


 関門に徒歩で入ってきたオレたちは少しだけ怪しまれたが、数日かけてクエストに出ていたレグザスの冒険者であると説明したら意外とすんなり通してくれた。冒険者に登録していたので、冒険者のプレートを見せられたのも説得力を増した。

まあ、そもそもこの街に不審者が入り込んでもやることが無いのだろう。王様や貴族などの要人がいるわけでもないのだ。そこまで厳密に検問する必要も無い。恐らく、関門の意義はどちらかと言うと人ではなく魔物を中に入れないための見張りなのだろう。


「レイラ、これかぶっておけ」


「ローブ?」


「ああ。念のためだ」


 彼女は竜人。人間の姿をとってはいるが、何かの拍子で竜人であることが見抜かれる可能性もある。奴隷市場盛んなこの街で、珍しい種族が大手を振って歩いている状況はあまり芳しくない。


 レイラは一瞬だけ首を傾げたが、すぐにもぞもぞとオレの渡したローブを深くかぶった。

 市街地に入るころにはようやく日も登り、開店の準備をする商人や、任務へ赴く冒険者たちで騒がしくなり始める。

 オレたちは物資の補給も必要なく、竜車さえ確保できればいい。

 ドラグニル沼地行き、などという便は乗り合い竜車では無いだろうが、その手前まででも行ければいい。


 そう考えて竜車の便を探すも、最西端まで行けるのはパンドラ砂漠に入ったすぐのところにあるカルラという小さな町だ。話を聞くと、どうやらそこで砂漠用の竜車に乗り換えるらしい。詳しいことはそこで聞けとのことだ。

 何とも頼りない旅路だが、それしか方法が無いのであれば仕方ない。

 タイミングよく明朝に出発する便を見つけ、三人分の空きがあることも確認できた。竜車を手配して、手付金を払う。あまりこの街に長居はしたくない。さっさとここを出られるのは僥倖だ。


 さてと、あとは宿をとればここでやることは全部おしまいだな。


 宿もたかだか一晩泊まるだけだ。そんなに吟味をする必要も無い。

 想定以上にとんとん拍子で話が進んでしまい、拍子抜けと言えば拍子抜けだ。

 まあ、時間はあるし情報収集だけはしておくか。冒険者ギルド……にはあんまり行きたくないんだが、現状まとまった情報が手に入るのはそこぐらいだしなぁ……

 オレが今後の予定について唸っていると、ついついと弱く袖を引かれる。


「ねぇ、あれ…………」


 レイラがかぶったローブから小さな呟きを漏らす。その呟きに込められたのは僅かな疑念と、そして恐怖。


「ああ、奴隷だ」


 努めて平静に答える。

 彼女の視線の先には、肥え太った男にこき使われている獣人たちがいた。どうやら何かしらの土木作業をやっているようだ。指示と言えば聞こえはいいが、耳に届くのは怒号にも近い威圧的な大声。主従関係が良好とは思えない。

 いや、あれは逆に良好な主従関係か。

 脳内を過った皮肉交じりな思考を馬鹿らしいと一蹴して、レイラに問う。


「初めてか?」


 その問いを彼女に投げかけて、初めてオレ自身がこの光景に少しだけ慣れてしまっていたことに気づいた。


「うん……そう、かも……ワタシは、村から出たことなかったから」


 レイラの言葉にオレは「そうか」とだけ返す。

 リアも些かばかり眉を顰めてその光景を睨んでいるが、彼女にも理性がある。あの光景がこの場所における法に何ら反しておらず、正当性があることは理解しているのだろう。苛立たしげに剣の柄を握ると、鋭い息を吐いてそのまま手を離した。


「やめとけ。あまり見ない方がいい」


 諦めに近い感情を燻ぶらせながら、抑揚のない声で言う。

 オレの言葉に、少しだけリアが驚いたような表情をする。だが、オレの顔を見ると、そこに何を覗き込んだのか、すぐに痛ましげな表情を浮かべて目を逸らした。


 無理に抱えようとすれば、必ず取りこぼす。救いきれない砂金が、手の隙間から零れ落ちていく。

 網膜の裏に焼き付いた少女の狂乱。

 耳朶にこびり付いた少女の狂声。


 そのすべてが一抹も忘れられずに、オレの中に、そしてこの場所に残っている。


「さっさと宿をとろう」


 この後の予定を考える気力も無くなったオレの提案に、否を唱える者は誰もいなかった。





 宿では部屋を2つとった。

 リア、レイラの女性用二人部屋と、オレの一人部屋だ。一応、リアも王女様なのでできるだけいい宿をとった方がいいのかとも思ったのだが、彼女いわく「屋根と床があれば十分」とのことだったのでお言葉に甘えて、そこそこの宿にした。


 なんともまあたくましいことで。


 部屋をとる際に、リアはオレとの同室を要求したが、オレが断固として拒否をしたところ「はあ、今回はわたくしが折れましょう。まあ、隣の部屋なら気配ぐらいは探れますので」と譲歩してくれた。ねえ、今隣の部屋の気配なら探れるって言った? オレのプライバシーは?

 宿主から受け取った鍵をリアに放り投げると、オレはそそくさと自分の部屋へ向かった。

 きょろきょろと物珍しげにあたりを見回すレイラを、リアが優しく案内している姿をちらと盗み見て、オレは自分の部屋の扉に体を滑り込ませた。


「はー……」


 ため息と呼ぶには少々大きな息を漏らすと、オレはそのままベッドに倒れこむ。窓の外はまだ明るく寝るような時間ではない。竜車探しや宿探しをしていたとはいえ、まだ昼前。この時間から惰眠を貪るというのも、高等遊民らしくて非常にそそるものがあるのだが、残念ながら目は冴えわたっている。


 静かな部屋で一人でいると、やけに思考が回ってしまう。

 思い出したくもない記憶が次々と眼前に立ち現れる。

 少女の悲痛な叫び声を思い出し、オレは思わず歯を食いしばった。


「エルナ…………」


 その呟きはこの世界の誰にも届かない。


 こんこん、と控えめなノックが鳴る。

 どうせ別の部屋だろうとたかをくくってそのまま寝そべっていると、もう一度ノックが鳴った。先ほどよりもほんの少し強く鳴らされたそれは、オレの部屋の扉が叩かれていることが分かる。


「…………どうぞ」


 特に確認もせずにぶっきらぼうに告げると、ぎぃ、と部屋の扉がゆっくりと開いた。


「……レイラか、どうした?」


 半開きのドアから中の様子を窺うような様子で、レイラがこちらを見ている。


「えと、いま、大丈夫?」


「ああ、何か困ったことでもあったか?」


 それなりに金を払っているとはいえ、最上級の宿ではない。何かしら部屋に問題でもあったのなら、早めに交換してもらうなど対応した方がいい。

 だが、オレの言葉にレイラはふるふると首を振った。


「ええっと、どうした?」


 再度彼女に問う。

 できるだけ優しく聞いたつもりではあったのだが、少しばかり詰問しているような形になってしまい、レイラが少しだけ肩を跳ねさせた。


「あ、あの、その、もしね? もし、良ければなんだけど……」


「ああ」


「一緒に! あ、一緒に、お外行かない?」


 最初の言葉だけ思ったより大きな声が出てしまったらしく、口に手を当てると今度は控えめな声量で続けた。

 何、「十一くーん! あーそーぼー!」ってやつか? こんなこと言われたの小学生以来だな。いや、小学生の頃も言われたことあったか? ……これ以上はやめよう。十一くんが小学校でそんなに友達いなかったことが露見してしまう。ふぅ、危なかった。


「あのね、ワタシ村の外のこと、ぜんぜん知らないから、だから、色々見てみたい、かなって……だ、だめ?」


 身を縮めるようにして頼み込むレイラ。

 そんなに不安そうな顔で頼まれては、オレとしても断りづらい。


 …………まあ、気分転換になるかもしれないしな。


 少しだけそんな風に考えて、オレは「分かった」とだけ返す。

 すると、レイラはまるでおもちゃを与えられた子供のように笑顔を咲かせた。


 ……そこまで喜ばれると、こちらも面映ゆい。


「うし、行くか。ローブはかぶっとけよ」


 オレの言葉にレイラがしきりに頷く。レイラの後ろにリアが現れる。


「さあ、参りましょう」


 オレたちの話を盗み聞きしていたのか、リアがかちゃかちゃと剣の鞘を鳴らしながら言った。


 ……ああ、リアの差し金か?


 レイラが自分からこのようなことを言い出すとは考えづらい。恐らくはリアがレイラに提案したのだろう。


「……そう、急かすなって」


 リアに苦笑を返すと、オレはベッドからようやく起き上がる。

 自分の両の足でしっかりと立てていることを確認すると、オレは軋む木の床を踏みつけて、二人の方へと向かった。


――――――――――――――――――――――――――――――――


「ね、この街には何があるの?」


 レイラが少しばかり興奮した調子で尋ねて来る。

 だが、その質問に対する回答に少々窮してしまう。


「あー、まあ、色々あるぞ。各地の交易品が集まりやすいから商店街が賑わってるし、それに合わせて冒険者や商人、他の人たちも集まってくる。種族的にも色んなやつらがいるし、娯楽のラインナップも悪くない」


 やや上から目線な説明になってしまうが、それはオレ自身大してこの街のことを身をもって知らないからだ。文献からの情報や、端目に見た程度で得られる情報から何となくどんな街かは分かるが、だからといって馴染みがあるほどではない。


「おー」


 だがオレの言わばガイドブック的な説明にもレイラは気落ちすることなく周囲をきょろきょろと見回している。


「あれは?」


 レイラの指さす先には、「クレイプ」の文字。見覚えのある黄色い薄生地に砂糖菓子や果実などを織り込んだ菓子を販売している出店だ。

 リスチェリカで食べたことがあるが、どうやらレグザスにもあったらしい。

 だが、中の具材はリスチェリカで見たものとはかなり違う。色とりどりの果実や、野菜、見たことのない菓子類もあるようだ。


「菓子の類だな。食べてみるか?」


「い、いいの!?」


 キラキラした目で顔を近づけて来るレイラにオレは一歩後ずさる。

 口の隙間から除く鋭い犬歯――――いや、竜歯とでも言うべきか――――は鋭く光っており、やはり彼女が竜人なのだと改めて認識する。


「ああ。流石にお前を満腹にさせるほどは買ってやれないが。好きなのをいくつか見繕うといい」


「ありがとう!」


 言うや否や、レイラは人ごみをすり抜けるようにして最短距離で出店まで疾走する。風を巻き起こすほどの速度に、驚嘆半分、呆れ半分でオレが半眼を作っていると、レイラがこちらに振り返りくいくいと手招きをした。

 リアと目を合わせ、早歩きで彼女の後を追う。


「えーっと、どうしよ……どれも美味しそう………」


「あー、何だ、好きに選ぶといい。別に金とかは気にするな」


 幸か不幸か、金銭面では困っていない。いや、全体的に不透明なお金というか、リアヴェルトの国王に英雄役を押し付けられそうになって出された褒賞金とか、ラグランジェの国王に術止め料として渡された手付金とか…………なあ、オレの持ってる金、本当に使って大丈夫なやつだよな?


「じゃ、じゃあ…………これと、これと、これ……と、あと、これ……だけにしとく……」


 え、4つも食べるんですか?


 …………ま、まあ4つぐらいなら想定内だ。何なら店にある全ての食材を寄越せと言いだすまであった。彼女の口調から、相当に我慢しているらしいことは窺い知れるし、ここは彼女の我慢を褒め称えるべきであって、驚愕を口にする場面では……いや、それにしてもよく食べるね、君?


 オレの無言を却下と受け取ったのか、取り繕おうと慌てるレイラに「大丈夫だっての」と、さらに追加でレイラの分をもう1つ頼み、オレ、リアの分と合わせて計7食分のクレイプを注文する。


 店員さんも若干引いている。

 さすがに7食分となると時間がかかるが、先にオレとリアの分が出てき、その後とめどなくレイラの5食分が次々と現れる。

 だが、オレらが数口かじるうちにレイラは一瞬で1食分を平らげてしまう。


「レイラ、せめて包み紙ごと食べるのはやめなさい。店員さんドン引きしてるから、ね?」


「で、でも、おばさんが『出されたものを残してはいけない』って」


 しつけが行き届いていて大変よろしいんだが、食べ物とそうじゃないものの区別は教わらなかったのかな?

 まあ、レイラ自身、紙を食べるのに何の抵抗も無さそうなので構わないんだが……

 結局、オレたちが食べ終わる前に一瞬ですべてを平らげたレイラは、さらに同じ量をお代わりし、計10食のクレイプを平らげたのだった。


 どんだけ燃費悪いだんこいつ…………


 目の前の小柄な少女が、生きるためにどれだけのカロリーを消費しているのかを概算しようとして、バカらしくなって思考を止めた。

 隣でリアが「もしやあの栄養が全て胸に…………?」などと、さらにバカらしいことをのたまっているのを聞き流しつつ、オレは次にどこに行こうかと勘案する。


「レイラは行きたいところとかないのか?」


 オレの問いかけに、レイラは「うーん」と首を傾げた。


「骨董品とか見たい……」


「骨董品?」


 レイラはこくりと控えめにうなずいた。


「村の近くに遺跡があって、よく遊びに行ってたりしたから……」


「へえ。意外だな」


 レイラ自身の話はまだ多くは知らない。

 ただ、彼女自身が食料以外の何かに対して興味や好みを示したのは初めてだ。その意見は尊重するべきだろう。

 それからオレはレイラとリアを連れ、骨董品や装飾品類などを扱う店を冷やかしに回った。

 気づけば日は傾き、日暮れの早いレグザス内は既に翳ってきていた。


「そろそろ宿に戻るか。飯は宿で食えばいいだろ」


 宿の一階には酒場もあり、そこで食事も可能だ。

 高級料理店のような味ではなかろうが、経験上宿屋の飯はそこそこ美味い。少なくとも舌の肥えた現代日本人であるオレが、明確に不満を持つほどの料理は出てこない。

 まあ、そういった宿を選別しているというのも理由としてはあるが。


 宿までの帰り道、レイラはるんるんといった調子で足取りも軽やかに歩いている。どうやら、今日の散策が本当に楽しかったらしい。

 この旅の果ては、恐らくは彼女にとって悲愴なものだ。

 だから、その旅路で束の間の安寧を得るぐらいは、贅沢でもなんでもないだろう。


「な、何?」


 レイラがオレの視線に気づいたのか、気まずそうにこっちを見た。


「ああいや、楽しかったか?」


「うんっ!」


「そりゃよかった」


 オレの言葉にほっと胸を撫で下ろすと、レイラはオレと歩調を合わせるようにして歩き始める。どうやら、立ち止まったことで浮かれていた自分を客観視したらしい。そのままで良かったんだがな。水を差してしまった。


「楽しそうですわね、ユート」


「? ああ。レイラも意外に表情豊かだよな」


「ああ、いえ。もちろんレイラさんもですが。アナタも」


「…………オレが?」


 オレ自身が楽しさを覚えていた?

 彼女の指摘に一瞬だけ顎に手を当てて思考を回す。


「まさか、気付いていなかったんですの?」


「…………いやいや。もちろん、気付いていたとも。オレほど人生を謳歌し、楽しんでいる人間もそういないからな」


「そうやってまた軽口を」


 リアに軽く肘で小突かれる間も、オレは頭の中で自問を繰り返していた。

 オレ自身が楽しんでいたのか。

 レグザスに来てからというもの、鬱屈した心と、酷く淀んだ精神の最中で、ただただ呻いていた。

 だが、彼女たちと街を巡っている間は、少しだけそれを感じなかった。


 …………今回は、リアの目論見通りになったわけか。


「ありがとな、リア」


「なっ……!? アナタがお礼を……!?」


「なあ、オレを何だと思ってるんだ?」


 オレの呆れるような声にカラカラ笑うリア、小さく噴き出してしまい申し訳なさそうに笑いをかみ殺すレイラ。

 彼女たちを見て、もう少しだけこんな時間が続くのも悪くないと思ってしまった。


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