144、次なる道しるべ
特に準備もないため、そのまま部屋を出る。
そのまま無言でひたすらに歩く。
オレの後ろをついてくるリアとレイラも一言も発さない。
女学生もこちらの微妙な空気を察したのか、表情から微笑は消えている。時折オレたちが付いてきているか確認のために振り返るが、特に言葉を発することは無い。
迷路のような学園内の廊下を足早に進み、1つの扉の前にたどり着く。
金属製のプレートには「学園長室」と書かれていた。
女学生がやや大きめなノックをならす。
「アトラウス様。お連れしました」
ややあって中からくぐもった声が届く。
「ご苦労様です。お入りください」
女学生が一拍置いて扉を開けると、そこには一人の女性の姿。そしてそれを取り囲む大量の書類と書物。
それなりに広い部屋。所狭しと本棚や骨董品、何かの魔法道具と思しき品々が並んでいる。その中央には大きなデスクがあり、フォルトナ・アトラウスが大量に積まれた書類を片手にこちらを見ていた。
物珍しげにきょろきょろとしていたのはオレだけではないらしく、後ろのレイラも目も目を輝かせながら目を移ろわせている。
そんなオレたちの様子を見たフォルトナはほほ笑みをたたえると、女学生に目配せをした。
「ご苦労様、アンジュ。もう下がっていいわ」
「はい」
アンジュと呼ばれた女学生はこちらにも一礼すると、そのまま扉を閉めて出ていった。
女学生を見送ってからややして、フォルトナは手に持っていた書類を置くと、改めてこちらに視線を向けた。
「お待たせしておりました、トイチ様」
「いや、こっちこそ忙しいのに悪い」
「お気遣いありがとうございます。大方の指示は出し終わり、報告を待ちつつ状況を見る段階ですので」
この短い時間で状況を把握し、的確に指示を出し終えたのか……あらためて、化け物だな。
だが、いくらフォルトナと言えど顔からにじむ疲労が隠しきれていない。そんな彼女をさらに働かせるのは酷だが、レイラの処遇を決めないことにはまだ休んでもらうわけにはいかない。
「さて、さっそく本題だ」
「…………ええ、まずは状況を整理しましょう。先ほど襲撃をしてきた竜たちの正体は竜人族だった。そして、その唯一の生き残りがそちらのレイラさんであると」
「補足すると、竜人族本人の意思ではない可能性が高い。この紫水晶……が原因の、何かしらの洗脳を受けていた可能性が高い」
『持ち物』から先ほど回収した紫水晶を取り出すと、フォルトナのデスクの上に置く。
「ええ、これらの水晶については先ほど調査部隊も確認し、回収しました。今分析にかけている最中ですが、損壊が激しいものも多く、少し時間がかかるかもしれません」
仕事が早い。
だが、今回の襲撃が何者かによる「攻撃」であった場合、今後第二第三の攻撃が来る可能性がある。少しでも情報を集めておくべきだろう。
「こちらの知っている情報はさっきほとんど話したんだが、その上でどう思う?」
オレの問いに、フォルトナは少しだけ考える素振りを見せると、「これはまだ仮説にすぎないのですが」と前置いて続けた。
「第三者が竜人族を利用して魔法都市に攻撃をしかけてきたと考えるのが自然でしょうね」
「根拠は?」
「紫の水晶は少なくとも加工品であることまでは分かっています。そして、レイラさんの証言から竜人族が水晶を自ら体に埋め込んでいたわけではないこと、また彼らにここを襲撃する意図が無かったことは分かっています。その他にも多々不自然な点があり、人の意図が介在しているのは間違いないと考えております」
フォルトナの言葉にオレも異論はない。
現状の情報で導き出せる仮説はそれ以外にない。
ただ、
「ただ、それでもなおいくつか疑問は残ります。1つは、なぜ魔法都市を狙ったのか。これについては、現状では憶測の域を出ません。その憶測でさえも、何十通りも考えられます」
オレたちが知りえている情報は、ただ「何者かが竜人を使い魔法都市を攻撃したかった」ということだけだ。それ以外の情報が無い以上何が目的かは分からない。
と、そこで一瞬だけフォルトナが口をつぐむ。
だが、その現象にオレが疑問を抱くよりもはやく、フォルトナが再び話し始めた。
「もう1つは、どうして竜人族を使ったのか。あの水晶の分析結果にもよりますが、もし魔法都市を攻撃したいだけであれば、遠隔地に住む竜人族たちではなく、もっと他の種族や魔物などを利用することもできたのではないか。これについても、あくまで憶測しかできませんが、不可解な点ではあります」
フォルトナの言葉にオレも「ふむ」と唸るしかない。
あまりに情報が不足している。
得体の知れない敵がこちらに銃口を向けている恐怖は、いかんともしがたい。
だから、話を切り替える。
「つうわけで、レイラの記憶に頼りたいわけだが、フォルトナ。こいつの記憶を回収するような魔法があったりするのか?」
「ええ、そうですね。お任せください。ワタシの得手とする闇魔術であれば、記憶を喚び起こすことも可能でしょう」
フォルトナの言葉にオレは小さく安堵の息を零す。
これで少なくとも何の情報も得られずに、手詰まりという状況は回避できただろう。
「では、レイラさん、こちらへ」
フォルトナはそう言うと、彼女を部屋の奥へと招いた。
部屋の奥には壁しかないが、『領識』で目を凝らすとそれが錯覚であると分かる。壁の一部が薄くなっており、奥に小部屋のようなものがあるのだ。
「隠し小部屋なんてあるのか……」
「ええ、この奥に秘密の地下通路もございますよ」
鈴を転がすように笑うフォルトナの言葉にどの程度信ぴょう性があるかは分からないが、彼女の言葉からあまり深追いして欲しくないオーラを感じ、オレは『領識』を解除した。
「さて、お二人はこちらでお待ちください」
フォルトナが壁に触れると、微かな駆動音とともに壁が横にスライドして消えた。
「オレたちに見せられないものでも?」
「これから使う魔術は秘術中の秘術……いかな大賢者様と言えど、お見せするわけにはいきません」
「嘘だな。術比べであんな意味の分からない魔法を使う人間が、それだけの理由でオレの同伴を拒むとは思えない」
「…………ふふっ、嘘はつけないものですね」
フォルトナは欠片も驚く素振り無く相好を崩した。
「はい。その通りです。これから使う魔術は、非常に危ういものです。それはレイラさんにとっても、我々にとっても」
「どういうことだ」
「…………あまり、ご説明したくはなかったのですが。人の記憶に強引に干渉する。その代償は決して小さなものではありません。レイラさんの人格を破壊する可能性もありますし、記憶がより混迷を極める可能性すらあります。それにより、暴走状態に陥る可能性も――――」
「お前…………!!」
思わずフォルトナに詰め寄る。
「その可能性を知っていて、黙って施術しようとしてたのか!?」
「…………レイラさんご本人には、説明するつもりでした」
「じゃあ、何でオレたちには言わないつもりだったんだ」
「きっとそのようにお止めになると思ったからです」
フォルトナの言葉にオレは勢いを削がれる。
そうだ。そんなリスクがあるなら、決してフォルトナに依頼などしなかった。
「危険の無い方法は」
「ありません。人の記憶に干渉する闇魔術は、魔術の中でも上位の部類です。そして、その代償も決して小さくなることはありません」
ガリッ、と奥歯を噛む。
ああ、やっぱりうまくいかねえな。そうだ、トントン拍子で話が進むわけがねえ。それがこの世界の在り方だ。
「…………なら、この話は無しだ」
「これだけの被害が出ていて、そのようなことが許されるとでも?」
「それは……」
フォルトナの意見に対して、オレは合理的な反論を持ち合わせていなかった。
その通りだ。レイラはいくら暴走状態にあったとは言え、加害者。それは彼女自身も認めている。今回の一件に収拾をつける……否、今後も起こり得る危機に対応するためにも、彼女の記憶を掘り返すのは必須だ。
だが、それでも。
「オレは、それを認められない」
オレの断固とした否定に、レイラが驚いたように目を丸めた。
だが相対するフォルトナは表情を変えない。
「では、どうなさるおつもりで?」
フォルトナの問いに、思考を回す。
考えろ、考えろ、考えろ。
頭を回せ。記憶を掘り返せ。問題の本質を見極めろ。
数瞬の間にいくつもの言の葉が脳内を駆け巡り、虚無の演算が泡沫となって消えていく。
だが、その中にわずかに残る、微かな光明。細い金糸のようなそれを、必死に手繰り寄せる。
「…………オレが調査する」
「ふむ」
オレの苦し紛れの一手に、フォルトナは視線で続きを促した。
「レイラの証言から、こいつが村にいたときに何かしらの暴走状態にされたのは確かだ。なら、村に行けば何かが分かる可能性が高い。オレが実地に赴いて、調査をする」
「徒労に終わるかもしれませんよ?」
「それなら、そのときにまた考える。もし再びここが襲撃されるようなことがあれば、またオレが最前線に立って撃退する。無論、被害がゼロになるかは保証できないが、全力は尽くす」
何枚もカードを切っていく。
この件の解決までオレが付き合うというカード。
魔法都市の危機に全霊を以て力を貸すというカード。
そのどれもが決して弱くはないはずだ。
「レイラさんの故郷は、お話を聞く限り恐らくドラグニル沼地。ここから竜車で急いでも2カ月近くはかかります。その間に、ここが襲撃される可能性は?」
「フォルトナ、通信するための魔道具の1つや2つ、学園にあるだろ」
「……! 驚きましたね、機密中の機密なのですが……一体どこでそれを?」
「悪い、カマをかけただけだ。案外お前も攻められると弱いのか?」
オレの言葉にフォルトナは一瞬だけ眉尻をピクリと動かした。
「片方オレにくれ。連絡をくれりゃ、すぐに戻る」
「ですから、どのようにお戻りに――――」
「転移魔方陣」
オレの端的な回答にフォルトナは、がた、と椅子を揺らした。
初めて見る彼女の表情。
その色は強い困惑、疑念。そして、いくばくかの期待。
「…………まさか、トイチ様、貴方は……」
「ああ、オレは転移魔方陣を描ける。自由に」
オレの回答にフォルトナはその小さい手の平で顔を覆った。
「く、くく…………ふふふ……」
室内に響く笑い声。
それが、フォルトナのものだと悟るのに時間がかかってしまった。
堪えきれないといった調子で笑うフォルトナが、ついに掌を顔からどけた。
「ああ、いえ、失礼いたしました。まさか、ここまでとは…………我々の長年の研究、そして研鑽をも軽々飛び越えていく。まさに、貴方こそが大賢者様なのでしょう」
「世辞は良い。オレの切れるカードはこれで全部だ。まだレイラの記憶をこじ開ける必要があるか?」
オレが転移魔方陣を描けるという事実は公にはしていない。このカードは可能な限り伏せておきたかった。だが、この状況で、フォルトナ相手に不合理を押し通すには、このカードを切るしかない。
オレがフォルトナに与えたのは、戦力、そして転移魔方陣。
オレがフォルトナからもらったものはわずかな時間と、儚い可能性。
「……いいでしょう。そこまで仰られてしまえば、私も無下にはできません。トイチ様、こちらからもお願いいたします。是非、我々学園都市にお力をお貸しください」
「交渉成立だな。レイラは連れて行っていいんだな?」
「ええ。もしレイラさんの力が伝え聞いたものと相違ないのであれば、我々に彼女を閉じ込めておく術はありません。むしろ、トイチ様の傍にいた方がこちらとしてもありがたい限りです」
嘘八百だろうに。
こいつをどうこうする術が無ければ、学園内に決して招き入れなどしなかったはずだ。
…………ややカードを切りすぎたか?
頬を紅潮させているフォルトナを見て、若干後悔の念が押し寄せて来るが、オレは強引にそれを留めるとレイラに振り返る。
「っつうわけだ。レイラ、お前の故郷に行くぞ。案内してくれるな?」
「……いい、の?」
「話聞いてただろ。情報収集のためにもお前の故郷に行く必要が――――ぐえっ!?」
「ありがとう!! ありがとっ!!! ほんとに、ありがとうっ!!!!」
「ぐえ、ぐるじ……力つよ……」
レイラに抱きつかれ一瞬で絞め落とされそうになるのを、寸でのところでリアが助けてくれる。あぶねえ、女の子に抱き着かれて死亡とか恥ずかし過ぎる。そんな奇怪なエンドロールがあってたまるか。
レイラが竜の姿でないときも尋常でない力を持っていることに少しだけガクブルしながら、オレはこれで良かったのだと自分に言い聞かせる。
「ま、何とかやるしかねえだろ」
これが、オレが選んだ道だ。
この道こそが、オレが進むべき道だ。
そう、自分の楔に言い聞かせた。




