141、竜の正体
目の前でうつぶせに倒れ伏す全裸の少女。『持ち物』から取り出した適当な毛布を放るようにしてかけると、少女からそのまま一歩距離をとった。
リアも剣を抜いたまま、油断なく少女に意識を向けている。
灰竜が討伐できたかどうか確認をしに行ったら、その灰竜が消え、代わりにこの少女が現れた。想定外過ぎる状況に、正直次の一手が打てない。
様々な仮説をあげつらうことはできるが、今ここでそれをしたところで答え合わせなどできないのだから意味がない。
手っ取り早い方法は、この少女に詳らかな解説をしていただくことなんだが……
ぎゅるるる、と腹の鳴る大きな音が聞こえる。
リアの方を見ると、「わたくしじゃありませんわよっ」とのこと。
当然ながらオレの腹がそんなに珍妙な音を上げているわけもなく、となれば音の主は目の前の少女なのだが…………
「この状況、どうすりゃいいんだ」
現状、オレもリアも何が最適な判断か分からずに立ち往生していた。
無論、突然現れた少女があの灰竜と無関係ということもないだろうし、危険性を鑑みるのであればこの場で即刻首を切り落とすのが丸い。
だが、少女の姿をした敵意の無い相手をはいそうですかとぶち殺せるほど、オレもリアも達観してはいない。
それに、実際こいつから話を聞かなければ、今回のドラゴン襲撃騒動の情報は無に等しい。今後同等のことが起こりうる可能性も無いとは言い切れない以上、情報は集めておきたい。
「…………おなかが、すいた」
突如言葉を発した少女に、オレとリアは飛びのくようにして後ずさった。
当然だ。こんな得体の知れない存在、今すぐにでも目を瞑ってさよならしたいのが本音だ。
「……………………食うか?」
オレは『持ち物』から、パンを1つ取り出すとそう切り出す。
少女は勢いよく顔を上げると、そのままあり得ない態勢で反動をつけてこちらに跳びかかってきた。
「いっ!?」
『領識』も切っていたオレはとっさに対応できず後ずさろうとするが、少女の手がオレに届くことはなかった。
オレの目前で、リアが少女に踵落としを食らわせて地面に叩きつける。
少女は為すすべなく地面に叩きつけられると、「ぐふぅ」という情けの無い声を上げた。
「おい、リア、さすがに……」
「そのままだとアナタ、恐らく腕ごと食べられていましたわよ」
「…………はい?」
リアの言葉にオレは首を傾げるしかない。
いやいや、こんな小柄でやせ細っている少女がそんな…………
そう思いながら、彼女の目の前に握っていたパンを投げる。
「わ――――」
少女は一瞬目を丸くすると、手も使わずに地面に落ちたパンにかぶりついた。
そして、かぶりついた瞬間にパンが消える。
…………パンが消えた?
何なら、先ほどまでパンが落ちていたあたりにあったはずの雑草やら石やら砂やらも抉り取られるようにして消失していた。
試しに、もう何個かパンを『持ち物』から取り出して投げ与えると、今度は地に着くまでも無く少女が素早い動きで食らいついていく。そして、そのどれもが一口。その小さな体躯からは想像ができないような大口を開けて、すべてのパンを一呑みで平らげた。
先ほどのリアの言説を強ち嘘とも言えないなとオレが戦々恐々としていると、目の前の少女が地面に座り込んだまま頭を下げた。
「あり、がとう、ございます」
「いや、それはいいんだが…………」
オレの言葉に、少女は「ぎゅるるるる」という腹の音で返した。
いや、今こいつパン4個食ったよね? 割と量あると思うんだけど……
オレであれば1,2個も食べれば満足なのだが、目の前の少女はその倍を平らげてもなお空腹が満たされていないらしい。
「……もっと食べるか?」
「いいの!?」
食い気味に立ち上がろうとする少女に掌で待ったをかける。
「ただし、条件がある」
「……はい?」
「オレの質問にいくつか答えて欲しい」
リアと目配せをすると、こくりと首肯が返ってきた。
「はい。あ、ワタシが、覚えている範囲で……良ければ」
「よし、契約成立だ。というか目の毒だから、こいつを着てくれ」
未だに全裸の少女に『持ち物』から取り出したローブを放ると、気まずさに少し目を逸らす。先ほどまでは別の緊張があったために感覚が麻痺していたが、冷静に全裸の少女とご歓談できるほどオレは悟りの境地に至っていない。
また、オレは『持ち物』から小さなテーブルを取り出すと、その上に適当に『持ち物』内のそのまま食べても問題の無さそうな食料を並べていく。
目を輝かす少女は、片っ端から手でとると口の中に突っ込んでいく。まるで掃除機みたいだなと思いつつも、問いを投げた。
「まず、君の名前は?」
「あ、ワ、ワタシは……ええっと……レイラ、です。たぶん」
「いや、たぶん、って何だ……」
「ごめんなさい……そのワタシ、忘れっぽくて……」
「じゃあ、レイラ。単刀直入に聞く。君は人間か」
オレの問いにレイラは一瞬だけ食事の手を止めた。
「いえ、ワタシは……竜人族と呼ばれる種族です」
「竜人族……」
名前を知らないと言えば嘘になる。だが、その存在を本で軽く読んだことがあるだけだし、どのような生態なのかも一切謎。実際に会ったことも見たことも無い。
「はい。特にワタシは、虚竜の竜人で……」
「虚竜ってのは……」
「あ、はい。こういう能力があるんです」
そういうと、レイラは「ふぅ」と近くに生えていた木に息を吹きかけた。
すると、目に見える攻撃が放たれたわけでもないのに、吐息が当たったであろうと思われる部位がごっそりと消滅する。
オレは嫌な汗が背中を流れるのを誤魔化しながら、戦闘態勢に入ろうとするリアを視線だけで諫めた。
「竜人族ってのは、ドラゴンの姿になれたりするのか?」
「あ、なれるよ。なれます。こんな感じ」
彼女はオレたちから距離をとると、目を瞑った。
次の瞬間、目の前に先ほどまで死闘を繰り広げていた灰竜の姿があった。オレもリアも息を呑んで立ちすくんでいると、すぐに淡い光とともに灰竜が消え、レイラが現れる。
彼女の言葉を聞いて、そして、彼女の変身を見て、オレは無意識に唾を呑んでいた。
核心に迫る問いを、オレは投げるべきか。
レイラから目を逸らし、一瞬だけ躊躇する。
だが、もしそうなのだとしたら、彼女をこのまま放置しておくわけにはいかない。
「………レイラ」
「は、はい?」
きょとんとした顔のレイラに、オレは真っすぐと問いを叩きつける。
「……さっきまで、この森で暴れていた灰色の竜は――――お前か?」
オレの問いに、未だとぼけたような表情を崩さないレイラは「うーん」と顎に指を当てて考え始めた。
「…………ごめんなさい、覚えてない……です」
その返答にオレは唖然とする。
リアはレイラを切り伏せんと、もう構えに入っていた。
そんなオレたちの様子を見たレイラが、おどおどした調子で続けた。
「ご、ごめんなさい……でも、本当に覚えてなくて。どうしてかここ数日の記憶が全然なくて……なんか、嫌な気分だった気はするのですけど……」
心底申し訳なさそうにうなだれる彼女が、嘘をついて逃れようとしているようには見えない。
嘘をつく人間は、もっと狡猾な目をしている。どこまでも冷たく、打算的な瞳になる。
彼女がオレの完全記憶能力をも欺くような詐欺師であればどうしようもないが、オレの目には彼女が自己保身に走る詐欺師には見えなかった。
その感想はリアも同じらしくようやく構えを解くと、剣を下げた。
だが、彼女の答えは残酷な可能性をオレに突き付ける。
竜人族はドラゴンになれる。
そして、あの灰竜はレイラだった。
それに、先ほど氷魚と戦った半竜半人の異形。
そこから導き出される推論は、恐らく真実を射抜いてしまっている。
「他の、ドラゴンも…………竜人族だったのか…………」
オレの言葉にリアがハッとする。
オレたちが切り伏せていた、虐殺していた対象は、人としての意識も心も痛みも持った、人間に近しい存在だったんじゃないか。
そんな最低最悪の種明かしに、オレは胃の中をかき回されるような強烈な不快感に襲われた。
相手がゴーレムだろうと、ドラゴンだろうと、魔族だろうと、人間だろうと。敵なのであれば倒すべきだ。全力で、殺意を向けるべきだ。
幾度となくしてきたはずの覚悟。
だが、オレの掲げた薄っぺらい覚悟は、現実の騙し討ちにあえなく揺らがされた。
「ユート。前を」
気づけばリアが隣でオレの肩に手を置いていた。
彼女の方に視線を見やる際に、いつの間にかオレが地面を見つめていたことに気づく。
「今は、前を、向きなさい」
リアの短い言葉。
だが、それが彼女なりの叱咤激励であるということは、もうオレにも分かる。
もしかしたら、彼女自身覚悟を決めるための言葉なのかもしれない。
分かった。分かっている。
オレは、今日大量の人を殺した。
その事実は、恐らくもう二度と覆ることはない。
大丈夫だ。オレは前を向く。前を、向けるはずだ。
しっかりと見ると決めたんだ。瞼を開けると、決めたんだ。
自分自身にそう言い聞かせ、しっかりと両の足で大地を踏みしめた。
オレたちの様子に首を傾げるレイラを見やる。
じっくりと観察するが、やはり嘘をついているようには見えない。
いたいけな少女…………というには少しばかり肉付きがいいか。背も少女としては低くなく、しなやかな体躯の曲線美は…………
ん?
「……なあ、レイラ。オレの見間違えじゃないと思うんだが、お前、さっきよりでかくないか?」
オレの完全記憶能力など無くとも分かる明確な差異。
先ほどよりも全体的にスケールアップしている。先ほどは骨と皮だけしかないようなやせ細った小さな子供だったにも関わらず、今はそこそこに肉付きもよい少女とという感じだ。
「あ、これはね。ワタシが竜の力を使うとすごいエネルギーを使うの、です。だから、力を使いすぎると、すごくお腹が空いて、それでも足りないとどんどん体がちっちゃくなってくの」
あの埒外な力にもそれなりの代償が伴っているらしい。
先ほどの灰竜――――レイラは言わば力の多用で飢餓状態にも近かったのだろう。レイラが同族の竜たちを捕食していたこと、そして今しがたも絶賛オレの一週間分の食料を食い尽くさんとしていることにも説明がつく。つくということにしよう。
その件は一旦保留して、彼女の記憶について掘り下げる。
「何も覚えてないっつってたが、最後の記憶は?」
「あ、最後…………ええっと、村で本を読んでて……あれ、違うな? 確か、洗濯してたんだっけ…………? ご、ごめんなさい、えっと、ちがくて。何だろう、女の人……? と、話してたような気がする……?」
ダメだ。明らかに混乱している。
記憶の混濁。紫の水晶によるものか?
「これに見覚えはあるか?」
レイラや他のドラゴンに突き刺さっていた紫の水晶の破片を彼女の見せる。
レイラは「うーん」と十秒近くは悩んでいたが、やがて「ごめんなさい……」とだけ言って表情を曇らせた。
覚えてないか。
だが、これで逆に確証が得られた。
これがドラゴンの体内に生来的に存在するものであれば、いくら彼女と言えど知らないはずがない。彼女が覚えていないということは、ここ最近に何かしらの原因によって体内に埋め込まれた可能性が高い。
「じゃあ、何で魔法都市に向かっていたのか覚えてるか?」
「魔法都市……? 何それ……?」
「そこからか…………」
この調子だと、まるで何も覚えていない――――どころか、そもそもとして知らなかった可能性すらある。
いよいよ紫の水晶による強制暴走や洗脳の線が濃厚になってきた。
「今のところ生き残ってるのはレイラだけ……か」
他のドラゴンが竜人である可能性も含めて、生き残りを探すが前線は激戦も激戦だった。『領識』であたり一帯を調べても、息のあるドラゴンは残っていない。
氷魚と戦い閉じ込めたドラゴンも、レイラのブレスに巻き込まれて息絶えてしまっている。
リアが戦った白竜のように逃げ延びたドラゴンたちもいるだろうが、そいつらがどこに逃げたかまでは把握していない。無暗に追いかけても、ドラゴン相手に追いつくのは至難の業だろう。
あらかた聞きたいことは聞き終えた……というか聞いても意味がないことが分かったところで、オレはレイラに初めて問いでない言葉を投げかけた。
「レイラ、お前に言っておかなくちゃいけないことがある」
「はい?」
レイラはごっくん、と手に持っていたものを嚥下するとオレの言葉を待った。
「…………覚えていないかもしれないが、お前は、竜になっている間に――――」
――――――人を殺した。
オレの言葉を聞いたレイラの食事の手が、初めて止まる。
「え……」
「嘘じゃない。お前はさっきまでドラゴンの姿で暴れまわってたんだ。そのときに、人間を殺している。オレたちも殺されかけた」
絶句。
長い長い沈黙が、場の空気をどこまでも重くする。
先ほどまでかすかに響いていたレイラの咀嚼音すらなくなり、木々のさざめきももう聞こえない。
「…………そう、か。そうなの、ね。ありがとう、教えてくれて……」
言ってからレイラはゆるゆると首を振った。
瞳がすぅっと透明になっていく。
「――――ううん、違うね。ごめんなさい、どうしようもない竜人で」
そう言うと、レイラは大地に膝をついて手を組んだ。そのまま項垂れるような態勢になると目を瞑った。
それじゃあまるでオレたちに首を捧げているようで――――
「ワタシのことは如何ようにでもして、ください。死を以て償えるなら、ワタシの塵芥のような命であれば、差し上げます。その亡くなった2人に、祈りと謝罪を。そして、ワタシに罰を――――」
レイラはそれを言い終えると、じっと目を瞑ってその場に膝をついたままで固まった。
リアが「どうする?」と目線で問うてくる。
少しだけ考える。
この様子であれば、恐らく本当に記憶が無かったのだろう。先ほどから『領識』でレイラの様子を探ってはいるが、先ほどの虚竜の権能を使っている様子も無い。
油断させたオレたちをとって食おうという心づもりにも思えない。どれだけレイラの知覚が優れていようが、抜刀したリアがこの間合いにいる以上関係ない。彼女がレイラの首を切ろうという意思決定をした瞬間にレイラの首は落ちる。たとえオレでもその狭間に何かをすることはできない。
だから、これは個人的な感情。そして、どうしようもない感傷に基づく意思決定だ。
否、意思決定と呼ぶことすら憚られる。
「――――顔を上げてくれ」
「…………」
レイラがゆっくりと顔を上げる。
その表情に宿るのは強い悲壮。そして、諦観にも近い覚悟。
それを見て、得体の知れない不快感がちりちりと首の裏を焼いた。
「お前の命は一旦預からせてもらう。ここでは殺さないが、このあと街に戻ってから処遇を決める」
決めるのはオレではない。
投げようとしているのだ。
彼女の命をどうするかを。他の人間に。
自分でも彼女の命に関する意思決定から逃げていることぐらいは、分かる。
「分かった……ました」
「今は記憶が混乱してても何か思い出すかもしれねえ」
彼女を魔法都市に連れ帰る言い訳をそう自分に言い聞かせながらも、それはないだろうなという漠然とした確信もあった。
「ひとまず、学園都市側の捕虜ドラゴンに期待するかな」
オレがため息をつくと、呼応するように「ぎゅるるる」とレイラの腹が鳴る。遠慮がちにおかわりを要求してくるレイラに、『持ち物』内の食料の大半を吐きだしたのだった。




