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138、暴食の灰竜

「状況は…………」


 『領識エリアライズ』でより広い範囲に意識を分散させる。

 オレが見れていない間に、かなりの数が討伐されているようだ。

 だが、死骸の数と今生きているドラゴンの数を合わせても明らかに当初いた数に届いていない。

 『領識エリアライズ』の範囲を魔法都市の方へずらしていくとその原因が分かった。


「くそっ、結構抜けてやがる」


 オレとて全てのドラゴンに常に注意を飛ばせていたわけではない。既に何体かは南へ抜け、魔法都市へたどり着いている。向こうでも戦闘が行われており、一方的に蹂躙をされているという状況では無さそうだが、いかんせん数が多い。楽観視はできない。


 とはいえ、オレたちがここを離れるわけにもいかない。

 ここには未だ数十体のドラゴンが怒りに我を忘れて、暴れまわっている。この大群が一挙してシャーラントに襲い掛かれば、それこそ一溜りも無い。

 ざっくばらんに数えても半分程度は倒した。学園都市の学生たちの戦闘能力がオレの想定よりもはるかに高かった部分もあるが、その大半はリア、熊野、氷魚の三名によるものだ。弱い個体であればほぼ一撃で屠っているその様は、いよいよ人間をやめている。


 だが、そろそろこちらも疲労が溜まってきている頃合いだ。オレのMPもかなり減ってきているし、このままもう半分もさくっと討伐して終わりというわけにはいかないだろう。


「少しずつ魔法都市に流していくしかねぇな」


 数も減ってきているが、ドラゴンたちは何故か頑なに諦めず、魔法都市を目指している。オレが向こうの状況を見ながら、魔法都市へ流れていくドラゴンの数を調整してこちらの負担を軽減するフェースに入っている。


 そんな解決策しか打てないことに歯噛みする。

 この展開は、言ってしまえばやや想定外だ。

 まさかここまで数を減らしてもドラゴンたちが撤退しないとは思わなかった。無論、その可能性も考えてはいたのだが、それにしても異常事態であることに変わりはない。


「ふぅ、首尾はどうだい?」


 思考を回すオレの隣にテオが駆けて来る。テオはそのまま肩で息をしながら木に背中を預けた。だが、飄飄とした態度とは裏腹に左腕から血を流しており、見れば胸当ても砕けている。


「おい、怪我してるじゃねえか。見せろ」


「はは、これぐらい。あなたの魔力を無駄遣いするわけにはいかない」


 オレはテオの言葉を無視して彼に治癒魔法をかける。

 一瞬だけ意外そうな顔で目を丸くしたテオは、それでもオレの治療を拒みはしなかった。


「いやはや、やっぱり勇者さまっていうのは凄まじいね」


 いささか興奮した口調でテオははにかんだ。オレはその言葉に小さなため息を漏らす。


「あいつらはあまりに化け物じみてるんだよ。何でドラゴンを殴りつけるだけで殺せるんだ」


 今も『領識(エリアライズ)』の中で、熊野が拳でドラゴンの頭を砕いている様子が視える。


「…………あなたの魔法も、十分に人並みを外れているとは思うけどね」


「魔法自体がそもそも常識を外れた存在なんだよ」


 オレの詭弁に、テオは「そうかもしれない」と喉を鳴らして笑う。


「テオ!」


 他の学生が、小走りで駆けて来るのが見える。


「向こうは片付いた! けど、何人かはもう戦えそうにない! 現在の状況は!?」


「それを今聞こうとしてたんだ」


 テオたちの目的は現状の確認か。

 オレ自身は『領識(エリアライズ)』で常に全体の情報を把握できていたためにあまり感じることはなかったが、確かに魔法都市や他の面々の安否について不安を覚えるべきだろう。


「ドラゴンが何体か魔法都市へ抜けて行った。だが、向こうでも十分に対応できている。大きな被害も無さそうだ」


 オレが『領識(エリアライズ)』越しに視た情報をそのまま伝えると、テオたちは胸を撫で下ろした。


「良かった……けど、これからどうするんだ? おれたちも無限に戦い続けられるわけじゃない」


「分かってる。そろそろ長期戦に切り替えるぞ。無理に討伐する必要はない。適当にヘイトを買いつつ、ドラゴンを小出しにして魔法都市に流す」


「なっ! 我々が命を張ってでも、ここで戦わねば!」


 オレの提案に魔法都市の学生の一人が苦言を呈するが、オレはそれに掌を向けて遮った。流石は最前線に出て来るだけある。血の気も気概も盛んだ。


「いや、最悪なパターンとしてはオレたちの大半が戦闘不能になって、ここにいるドラゴンの群れが一挙して魔法都市に押し寄せることだ。それだけは何としても回避しなければいけない」


 いくら半分ほど減ったとは言え、まだ半分。

 これだけの数のドラゴンがこの場に留まる意義を失い魔法都市へと攻め込んだとしたら、蹂躙が起こるのは目に見えている。


「いいか、オレたちは生きているだけで意味があるんだ。ここに奴らを引き留めることができる」


 だから、オレたちは全てのドラゴンを撃退するまで、この場に居座り続けなければならない。これはそういう戦いだ。


「トイチさんの言う通りだ」


 テオがオレの言葉に賛同する。

 気炎を上げていた学生も、テオの賛同を受けてその矛を収めた。


「魔法都市に逃がすドラゴンの数はオレが何とか調整する。お前らはドラゴンたちの注意をできるだけ引いてくれ。討伐は二の次でいい」


「ああ……分かった」


 テオは力強くうなずくと、疲労の溜まっているだろう膝を叩いて駆けだした。後に続くもう一人の学生も見届け、オレは今しがたの作戦を全員に伝えるべく魔法を発現させた。


「『トランスエコー』」


 風魔法の応用。

 フォンズがしてみせた、特定の相手にのみ声を届ける魔法。

 声は空気の振動を以てして伝搬される。逆に言えば、空気を操作できる風魔法であれば、音声の発生、伝達も思いのままというわけだ。


「全員に継ぐ。作戦を次の段階に移行する。一部のドラゴンを漸次魔法都市に逃がす。全員、無理に討伐しようとせずに注意を惹きつけるのに専念してくれ」


 決して叫ぶような大声ではない。だが、風の魔法を以て強引に増大され、拡散されたそれは確実にこの場にいる全員の耳に届いたはずだ。

 ひとまず、オレはドラゴンのヘイトを上手くコントロールしなくちゃならないわけだが……


「っ、あれは……!」


 『領識エリアライズ』を広げる最中、灰竜の姿を見つける。

 だが、その様子にオレは絶句するしかない。

 見間違いではない。


 巨体を地に付けた灰竜が、何かをバリボリと貪り食っている。


「あいつ、共食いしてるのか!?」


 灰竜が食らっているものは、誰かが切り伏せたドラゴンの死骸。既に体の半分近くを平らげ、なおも止まらず咀嚼を続けている。骨を砕くような音、肉を噛みちぎるような音が、この距離からでも聞こえてきそうだ。


 訳が分からねえ……何なんだあいつは……


 今の今まで何の手出しもしてこなかったため様子を見ていたが、少し目を離した間に同族を食らっているなど、非合理的に過ぎる。


「まあ、だが食事中ってんなら邪魔する道理もねえ」


 こちらが相手をすべきドラゴンが1体減ったと考えれば儲けものだ。注意は怠らないが、さしてこちらからちょっかいをかける必要もあるまい。


 …………少しばかり南方にドラゴンが逃げすぎている。


 氷魚と学生数人が対応してはいるが、さすがにあの数は手に余るだろう。援護に向かわなくてはならない。


 しょうがねえ、走るか。


「ちっ、MPも残り4割切ってんな」


 木々の中を駆けながら、片手間に確認したステータスの値に舌打ちを零す。それなりに頑張って節約してはいるんだが、いかんせん『領識(エリアライズ)』と『不可触の王城(アイソレスフォート)』がやはり重い。

 だが、今回の作戦において全域に『領識(エリアライズ)』を張り巡らせるのはマストだ。これに回せる魔力が無くなった瞬間、この作戦は終了する。


 だからこそMPの節約のためにオレは涙ぐましくも大地を奔走しているのであるが。


「はぁ、はぁ……マラソンは嫌いなんだよ……!!」


 肩で息をしながら駆ける。

 筆頭勇者諸君であれば、この程度の距離息も切らせずに数秒で走り切るのだろうが、いかんせん一般人体力の僕には無理です。何でこの世界セグウェイとか無いの?

 ひとしきり異世界に怒りをぶつけていると、急に視界が開く。

 それは木々がなぎ倒されてできた広い空間。理由は明白。目の前で激しい戦闘が行われていた。

 激しい乱戦の中で、ドラゴンの尻尾が鋭い軌跡で氷魚に振り下ろされた。


「――――氷魚流壱ノ型、『逃げ水』」


 氷魚の剣の先端を滑るようにして、尻尾が地面へと叩きつけられる。


「何だ今の……」


 質量と速度による暴力が、細剣の一撫でに窘められるようにして軌跡をずらした。見たことの無い独特の動き。だが、どこかで見覚えのある、懐かしさを感じる足運び。


「十一」


 それが、元の国における剣道のそれに近しいものだと気づいたときに、氷魚の冷たい呼び声が届いた。だが、その声音に余裕はなく、滲む疲労も隠しきれていなかった。


「氷魚!」


「あっちをお願い」


 氷魚が一瞬だけ視線を散らす。その先には、決して浅くはない傷を負って倒れる女子学生と、それを守るもう一人の男子学生の姿。


「了解」


 手短にやりとりを済ませて、オレは学生たちを刈り取らんとする凶爪に向かって、『蒼斬』を放った。

 ばきぃ、という音とともにドラゴンの爪が砕け、竜の悲鳴にも近い咆哮が大地を揺らす。


「うるせえ、よ!」


 そのまま『蒼斬』で竜の首を切り落とすと、ぐるりと体を回した。

 背後に迫っていた別のドラゴンの体躯を容易く切り裂き、そのまま周囲の木々を軒並み切り倒した。とばっちりを受けて四肢や翼を切り落とされたドラゴンたちにあらかたトドメを刺し終えると、ちらりと氷魚の様子を見やった。


「ふぅ」


 どうやら氷魚の方も終わったらしく、剣についた血を払い落としていた。


「ガネット! なあ、おい、しっかりしろ!!」


 意識のない女子学生を男子学生が揺らす。


「おい、あんまり揺らすな。見せろ」


 男子学生をどかし、ガネットと呼ばれていた女子学生の首元に手を当てる。


「脈はある。呼吸もしっかりしてるな。頭部に裂傷……と、左腕が折れてる。他に大きな外傷は無さそうだな」


 言いながらオレは頭部に治癒魔法をかける。

 後遺症が遺らなければいいが。

 彼らが自分の意志でここに来たとはいえ、その発端を招いたのはオレだ。もし死傷者が出たのであれば、オレはまた罪を重ねることになる。


「か、彼女は、大丈夫なの、ですか……?」


 そこでようやく落ち着いたのか、彼は急に声を小さくして呟いた。彼の名前は、確かルード。ルード・ブランデン。ここに来る途中の自己紹介でそう名乗っていた。アトラスの4年生だ。


「よし、ルードさん。単刀直入に聞きます。あなたは治癒魔法は使えますか?」


 オレの問いにふるふると彼は首を振った。


「分かりました。それなら、彼女を連れて一旦安全な場所に退避してください。…………オレが今調べたところ、ここから東に行ったところに無人の小屋があります。恐らくは木こりなどが利用しているのでしょう。そこに彼女を連れて行って、左腕を木材と布で固定してください。腕の治療は後で行います」


 オレの言葉にルードはこくこくと頷いた。


「もし容態の急変などがあれば、呼んでください」


 今はMPをあまり消費できない。すべての怪我を治療することはできないが、致命的な状態ではなくなったはずだ。


 ルードは未だ意識の戻らない女子学生を背負うと、「ありがとうございます」とだけ言い残して小走りに去っていった。

 彼とて疲労が溜まっているはずだ。この状況で泣き言も上げずに彼女を背負い足を動かせるのは、並みの精神力の為せる業ではない。

 さすが、あの状況で無謀とも見える最前線行きを志望しただけある。

 現状、未だ死者は出ていない。ここを出るときにいた人間の数と、未だ戦場に立つ人間の数に相違はない。その事実は紙一重の上に成り立つ奇跡と呼んでもいい。


「氷魚、お前は怪我は?」


「問題ない。ただ、喉が渇いた」


 確かに、もうかれこれ2、30分は戦い詰めだ。補給が必要かもしれない。

 オレは『持ち物(インベントリ)』から水筒を取り出すと氷魚に渡す。

 氷魚は一瞬だけ訝しげにこちらを見ると、水筒を受け取って呟いた。


「毒とか入ってない?」


「何でオレがお前に毒を盛る必要があるんだ…………」


 氷魚はオレの返答を待たずして水筒を開けると、ぐびぐびと勢いよく水を飲みほした。


「半分ぐらいは間引けた?」


 氷魚の当て勘の鋭さに一瞬だけ驚愕に言葉に詰まるも、オレはすぐに首肯で返す。


「ああ。けど、そろそろこっちの消耗もきつくなってきた。さっきも言ったが持久戦に――――ッ!」


 迫る殺気に、オレは言葉を止めた。『領識(エリアライズ)』が何かの飛来を認識し、オレが対応しおうと魔力を練った瞬間に、氷魚が剣を振るった。


「『逃げ水』」


 氷魚が振るった剣閃が、急速に迫っていた何かを弾いた。


「ぅ、が、がぁああ……」


 眼前には唸り声を上げる人型の何か。


「何だ、こいつ…………人? いや、ドラゴン……?」


 さっきまでこの戦場にはいなかった。

 半人半竜のような姿をした怪物。

 人の形をとっているにも関わらず、その表皮は不規則に鱗が張り出しており、長いトカゲ状の尻尾や肥大化した腕甲は確かにドラゴンのそれだ。だが、その姿には強烈な違和感と不可解さを覚える。


「気持ち悪い…………」


 氷魚の漏らした言葉。その端的な感想に全てが集約されている。

 目の前の怪物は、明らかに非対称が過ぎる。オレたち生物は一定の対称性が保証されている。だが、目の前の存在にはそんな対称性は欠片も無く、不均一と不整合を掛け合わせたような歪な形をしていた。

 胡乱気な目やだらしなく口から垂れた舌。片足だけは人間で、もう片方の足はドラゴンの足。ドラゴンと人間を無理やり繋げ合わせたかのような歪さ。まるで子供が作った粘土細工のように、そこには何の整合性もありはしない。


「来るぞッ!」


「十一は下がってて」


 氷魚が半歩前に出て、飛び掛かってくる半竜の化け物の爪を受ける。


「氷魚流伍ノ型――――」


 振り下ろされた爪に、ぴたりと合わせるようにして直剣を切り上げる。まるで磁石が引き合うかのように打ち合わされた爪と剣。だが、分があると思われた爪の一振りは、撃ちあげられる剣撃に、そのまま持ち上げられて弾き上げられる。

 浮いた半竜人の体に、雫が流れるような流麗な一太刀が振り下ろされた。


「――――『零れ雨』」


「が、ぁああああ!!」


 獣とも人ともとれない曖昧な唸り声を上げて、怪物が一歩後ずさる。


「十一、こいつ、なに」


「オレにも分からん……が、こっちに敵意を向けてるのは確かだ。最低でも無力化するぞ」


「わかった。『影魚』」


 ふっ、と氷魚の姿が掻き消える。

 まるで木漏れ日に揺らぐ影のように立ち姿が揺らぎ、一瞬のうちに怪物の前に姿を現していた。

 そして、その時にはすでに怪物の腕を切り落としていた。


 全く目で追えなかった。


 『領識(エリアライズ)』でかろうじて理解はできたが、それでもなお彼女の足さばきを幾ばくすらも目で追うことができなかった。龍ヶ城やリアのように、埒外なスピードで動いていたわけではない。その証拠に『領識(エリアライズ)』から得られた情報では、彼女はごくごく普通に大地を蹴り、駆けていた。だが、その特異な足運び。それによってオレの眼には彼女が消えたように映った。


 氷魚は、一抹も表情を変えずにそのまま怪物の両足の腱を断ち切った。

 苦悶の咆哮を上げる怪物を、魔法で土の牢に閉じ込める。あの怪我では恐らくこの壁を破ることはできないだろう。


「氷魚、お前……こんな強かったのか」


 筆頭勇者にいる以上、彼女とて常人の域は優に超えているだろうとは思っていた。だが、彼女が龍ヶ城らに匹敵する剣の強者だとは聞いたことが無かった。目の前で見た彼女の強さは、その事実と微妙に乖離している。


「…………別に。あまり目立ちたくない。面倒だから」


「お前なぁ……」


 言外に普段は手を抜いていたことを告げられ、オレは呆れ気味の声を漏らした。


「十一も似たようなもの」


 その言葉にズキリと胸の奥が痛んだが、その感情を理性でしまいこんで続けた。


「それにしても、何だったんだこいつ……」


 未だに土の壁の中で唸り続けている怪物の姿を思い返し、不気味さに眉を顰める。


「さあ。人に化けるドラゴンだったんじゃない」


「…………いや、まあ、ファンタジーならいてもおかしくはないと思うが……」


 だとしたら、今までオレが切り伏せていたドラゴンには、人としての意思や感情があった可能性があるのか?

 そんな考えに思い至ってしまい、オレは慌てて頭を振った。


 仮に、仮にだ。

 奴らに人間的な感情や理性があったとしても、こちらを攻め込んできている以上敵だ。それに変わりはない。


「よし」


 『領識(エリアライズ)』が伝えて来る戦況も先ほどから徐々に変化が緩慢になっている。人間、ドラゴンともに疲れ始めているのだ。魔法都市に幾分か流しているおかげで、数も当初の3分の1ぐらいになり、この程度の数なら仮にシャーラントに全部流れても問題は――――


 ぞくり、と嫌な予感が背筋をかけた。


 腹の底を捕まれるような得体の知れない恐怖に、全身が粟立つ。


 まただ。


 死神が、気安くオレの首に手をかけている。


「? あのドラゴン、何して……?」


 氷魚が呟きながら見つめるその先。

 そこには、大きく口を開いたあの灰竜の姿。

 だが口からは何かが出ている様子も無く、『領識(エリアライズ)』も何も映し出さない。


 ――――そう、何もだ。


「氷魚ッ!!!」


 彼女の腰を掴み、強引に『瞬雷』で跳んだ。

 オレたちがいた場所を、何かが舐めた。

 ごっそりと、音もたてずにその場所だけがそぎ落とされる。

 まるで最初から何も無かったかのように。塵一つ残さずきれいさっぱりと。

 遅れて、ひゅごう、という何かを飲み込むような空気音が鳴った。


「……何、今の」


 氷魚の端的な問いにオレは首を振るしかない。


 分からない。


 そう、何が起こったのか、全く分からなかった。


 『領識(エリアライズ)』の伝える限り、あの場所には何も起こらなかった。

 オレたちが見た範囲でも、何かの攻撃が当たったようには見えなかった。


 不可視の攻撃……というわけでもない。


 不可視であっても実体が伴えば、必ず『領識(エリアライズ)』がそれを観測する。それが空気の塊だろうと、透明な拳であろうと、灼熱の光線であろうと。

 だから、目の前で今しがた起きた事象には、実体が無かった。と、そう説明を付けるほかない。


 実体のない攻撃。


 何を言っているか分からないと思うが、オレも何を言っているか分からない。幻覚などのちゃちなものであればどれだけよかったか。

 だが、目の前の抉れた地形はどれだけ目を擦ろうとも変わらないし、仮に幻覚でも『領識(エリアライズ)』は騙せない。


「あいつ、何をしやがった……!!」


 『領識(エリアライズ)』により、奴の撃った「何か」がこの戦場のいたるところを抉りとっていったことが分かる。


 やはり、放置しておいていい存在じゃない。


 未知。


 それよりも恐ろしい存在はない。

 そして、絶望的な光景が『領識(エリアライズ)』を通じて広がる。

 あたり一帯、まるで流星群が落ちてきたかのように抉れ、穿たれ、穴と溝だらけになっている。恐らくは奴のした攻撃によるもの。奴は所構わず無作為にあの攻撃を放った。それにより数多くの木々がその姿を消し、ドラゴンでさえも数を減らしていた。

 そして、何度数えても足りない。


 人間の数が。


 先ほどまでいたはずの、味方の数が。


「…………氷魚。作戦変更だ。他のドラゴンは無視していい。あいつの対策を考える」


「……何をする?」


 氷魚が一瞬の沈黙の後、何も聞かずにオレの指示を仰いだ。

 こいつは面倒だなんだと嘯いても、その実肝心なところでは自分がなすべきことが分かっている。


「ひとまずは他の面子と合流するぞ」


 まるで何事も無かったかのように再びドラゴンの死骸を貪る灰竜の姿に震える膝を抑えつつ、オレは氷魚と一緒に大地を蹴った。


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