131、禁書庫に眠る者
術比べからややあって。
何とか祝勝会という名の罰ゲームを回避したオレは自室で自閉の限りを尽くしていた。ベッドに寝転がり天井を見つめている。
リアは何か用事があるとかでどこかに消えた。あいつの用事など、どうせ強そうな人間に喧嘩を吹っ掛けることぐらいだ。放っておいていいだろう。いや、ダメだけど、巻き込まれたくないのでそれでいい。
フォルトナの使った魔法。血錬魔法。
少なくともオレの知らない系統の魔法だ。
そもそも氷魔法自体、文書で辛うじて存在は確認していたが、オレ以外がまともに使っているのは初めて見た。
精神干渉を行う闇魔法も加えれば、やつは3属性の魔法を使えることになる。
しかも、これも最低限の話だ。実際は他の属性も使える可能性だってある。
「流石はこの学園のトップってことか……」
自身の認識の甘さを突き付けられる。
リスチェリカお抱えの魔術師や魔法を扱う勇者たちを除けば、オレの魔導士との接点はバレッタとフォンズぐらいだ。魔族であるフォンズを除けば、オレの想定を大きく上回る魔法を使ってきた相手は今までいない。だから、無意識のうちに魔法都市のレベルもその程度なのではないかと考えていた。
「……自分の経験と常識に当てはめて考えちゃいけないのは、この世界の常識だ」
言い聞かせるように自分の思考を矯正する。
「常識的に考えて」「普通なら」「経験から」。そんな言葉で今までどれだけ窮地に立ってきたと思っている。未だにそれに縋りつくなど愚の骨頂だろう。
「ええ、それは魔導の探求にも通じる考えです」
突如声が聞こえベッドから飛び起きる。
「うおあ!? お前、だからそうやって気配を消して立つな!! 何かのスキルか!?」
オレの慌てる声に、血色の良い顔色をしたフォルトナはくすくすと笑った。
「そうやって新鮮な反応をして頂けると、こちらも忍び寄ったかいがあるというものです。ちなみに、これはスキルではありません。闇魔術の一つです。『インセンサブル』という、認識疎外の魔術です」
『インセンサブル』……知らない魔法だ。
闇魔法と光魔法に関してはほとんど情報がない。使い手が少ないのもそうだし、どちらも危険性が高い魔術が多いため、高位な魔法については情報があまり市井に出回っていないそうだ。
「そういうのもあるのか……」
「良ければ手解きをいたしましょうか?」
「…………あまりいい予感がしないので断る。おススメの文献だけ教えてくれ」
オレの返答にフォルトナは大してがっかりした様子もなく「つれないお方です」と言うと、言葉を続けた。
「さて、本題です。今回の術比べの賞品。禁書庫の入庫許可、でしたね?」
「ああ、そうだ。流石にここまで来て渋ったりはしないだろうな」
オレのややドスを効かせた声にフォルトナは一切怯むことも無くコクリとうなずいた。
「ただ、一つ」
「?」
「何故、禁書庫に用が? あそこは、良くも悪くも表には出せない情報の宝庫です。きっと、貴方様であればいかようにも扱えましょう」
彼女の瞳が鋭く研ぎ澄まされていく。
ああ、この目は何度も向けられたことがある目だ。
オレを見定める目。
オレの奥底を、魂胆を、腹心を見透かそうとする目。
きっと、オレが嘯こうとも彼女はそれを見抜くだろう。オレにはそこまでの詐欺師の才は無い。
「…………声だ」
「……はい?」
予想だにしなかっただろうオレの回答にフォルトナは小首を傾げた。
だが、いまだにその目は訝るようにして真っすぐとこちらを見据えている。
「声が、聞こえたんだ。ゴーストの類なのかどうか、オレには判別がつかない。だが、その声がオレに禁書庫に来いと言った。いや、正確には禁書庫に来いとは言ってないんだが……おそらく、禁書庫を指している」
やや早口に捲し立てたのは信じられるとは思っていないからだ。
あきれ果てているだろうか。
それとも、狂人でも見るような目でこちらを見ているだろうか。
だが、フォルトナの反応はオレの予想に反したものだった。
「……その話は、誰かに?」
「いや、してない。したって、おかしな奴だと思われるだけだろ」
「そうですか……やはり、貴方様は……」
オレの方を見て、興奮した様子を隠すように、深呼吸をするフォルトナ。
は? なんだ、そのリアクション。
「何か知ってるのか?」
「……何も知らないと言えば嘘になります」
「じゃあ――――」
「けれど、貴方様に直接その目で確かめて頂きたい」
真っすぐな瞳で言い切る。
否、真っすぐではあるが、その視線は些かばかり歪んだ感情を孕んでいる。
…………何なんだこいつは。
気味が悪いとしか言いようがない。
「禁書庫への入庫許可はお出しします。ただ、それには少しばかり手続きが必要で……」
「手続きぐらいはする。オレは何をすればいい?」
「心強いお言葉を頂きありがとうございます。簡単です。こちらの書面に署名を」
そういうと紙束を渡される。禁書庫に入るだけとはいえ、それなりに手続きが煩雑なのだろう。
「えーっと……」
速読で書面に目を通していく。
…………………………ん?
「……なあ、フォルトナ・アトラウス」
「はい、なんでしょう」
笑顔のフォルトナに、オレは口の端をぴくぴくと歪ませる。
「オレの見間違いじゃないよな? …………これ、入学手続き書類って書いてあるんだけど……」
「ええ、そうです」
「しかも、8枚目の書類。これ、評議会の特別議員になるっていう同意書じゃないのか?」
「はい、そのようになっておりますね」
「一応、聞くが、あの術比べはオレの勝ちだったんだよな?」
「ええ、それはもちろん。私は完膚なきまでに、トイチ様に敗北を喫しました」
「じゃあ、何でオレが学園に入学することになるんだよ!?」
術比べでオレが勝てば禁書庫への入庫許可を、負ければオレが学園に籍を置くという話だったはずだ。
「それが、この学園の規則として、禁書庫への立ち入りは評議会議員しか行えないのです……」
「はあ!? じゃあ、オレに許可を出すってのも無理じゃねえか!」
今更のちゃぶ台返しにオレが混乱と怒りの狭間のような感情をぶつけようとしていると、
「ええ、ですから、トイチ様が議員になれば良いのです」
「………………そういうことか」
ああ、くそ、今ようやく理解した。
この女はあの術比べにオレが乗った時点で、どちらにせよオレをこの学園に引きずり込むつもりだったんだ。勝てばそのまま学生に。負けても評議会の一員にするという形で。
オレが禁書庫に入るためには評議会の議員にならなくてはならず、そのためにはまずオレがこの学園の学生になる必要があるというわけだ。
「本来我が校の評議会議員は選挙によって選出されますが、学園長には最大二名まで、特別議員として学生を推薦する権限が与えられています。その制度を利用して、トイチ様を推薦させていただきました」
禁書庫に入るには評議会のメンバーでなくてはならないというのが嘘というのも考えにくい。オレが他の学生に確認を取れば分かるようなバレバレの嘘をつくような女じゃない。
「…………だましやがったな」
「そんな、まさかトイチ様を欺こうなどと恐れ多いことは……ただ、トイチ様が禁書庫に立ち入られるには本当にこれしか方法が無いのです。心苦しい限りですが……」
悲しそうな表情を浮かべるフォルトナの白々しさにオレは鼻を鳴らす。
何とも話が美味く行き過ぎていると思った。またも油断した。
「トイチ様に大きなご迷惑はおかけしません。特待生として入学して頂くので、すべての単位も責務も免除いたします。ただ、いささかばかりこの学園のためにお名前をお貸し頂けないでしょうか」
「…………くそっ、オレに選択権は無いだろうが」
オレが聞いた声の正体。
恐らく先ほどの反応からこいつはそれも知っているのだろう。
いや、それすらこいつの仕込みである可能性まである。
一度疑い始めた思考は、その回転を止めてくれはしない。
「ああ、分かったよ。名前ぐらい貸してやる。だが、この学園の学生になるんだ。オレもこの学園を十全に利用させてもらう」
「もちろん、大歓迎でございます。ぜひ、トイチ様の研鑽に我が校を心行くまでお使いください」
フォルトナは今までで最高の笑顔を湛えた。
「何でこんなことに……」
書類の群れに署名をしながら、オレは何度目かになるため息をついたのだった。
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フォルトナが去ってからすぐにオレは図書館へと向かった。
去り際にフォルトナに渡された徽章。これが評議会議員の証となるバッヂらしい。これを付けていれば禁書庫へ入れるとのことだが、魔法道具の一種だろうか。
単身図書館へ足を踏み入れ、『隠密』で姿を隠しながら、禁書庫を目指す。
前回、『領識』で場所は確認している。迷うことはない。
5分ほど歩いて、禁書庫の入り口と思しき場所にたどり着く。この辺りまで来るとほとんど人もいない。図書館の中でも隅の方の目立たない場所だ。
だが、そこは本棚。他の場所と代り映えのしない本が詰まった本棚だ。
「おかしいな……この向こうにあるはずなんだが……」
試しに『領識』を展開するが、確かにこの本棚の奥に空間が広がっている。
本棚をどかすのか?
そう思い、軽く本棚を押そうとすると、そのまま手が突き抜けた。
「うお!?」
バランスを崩し、そのまま奥へと倒れこむ。
そう、本棚を通り抜け、奥の空間へと。
「ってぇ…………おいおい、どうなってんだこりゃ」
今オレがいるのは本棚の裏側。
そこから先ほどまでいた図書館が透けて見えている。
「……魔法による認識齟齬か……?」
フォルトナが使っていた認識疎外の魔法の亜種。それをこの本棚にかけていたのだろうか。
「もしかして、徽章が無いと……」
そう思い、先ほどフォルトナからもらった徽章を『持ち物』にしまい、外に出ようとすると、
「出られん……」
ぺたぺたと、本棚の裏側を掌で撫でるも向こうに突き抜けそうにはない。軽く手で押してみるが本棚が欠片も動く様子はない。
恐らく、結界の一種だ。
術法と闇魔法の組み合わせ。徽章を持つものしか通り抜けできないようになっているのか。
「…………どういう魔法か、想像もつかねえな」
自分の理解の枠を超えた魔法技術の登場に少しばかり好奇心が刺激されるが、それは後回しだ。
今はあの腹立たしい声の正体を確かめたい。
ちら、と本棚の裏に広がる空間を見やる。
今立っている場所は薄暗いが、奥に続いている道はすぐ闇に呑まれている。
「よし、行くか」
小さく独りごちて、空間の奥へと進んでいく。
数歩も歩かないうちに空間は下の方へと広がっているのが見える。
下に降りる階段だ。
「暗いな……」
『持ち物』からランタンを取り出しつける。『火蛍』で照らしてもいいのだが、さすがに図書館で火はご法度だろう。このランタンは火を使わない魔法道具の一種だ。周囲の魔素に反応して光る水晶が埋め込まれている。そこまで光量があるわけではないが、周囲を照らすには十分な光源だ。
「カビ臭い……」
思わず零してしまうぐらいには空気が悪い。
階段を下りれば下りるほど、空気がどんよりと淀んでいき、カビやら埃の嫌な臭いが鼻をつく。あまり長居はしたくない空間だ。
石造りの壁と床は嫌が応にも閉塞感を覚え、精神的にも肉体的にもよろしくない。
見るからに手入れがされていないのが分かる。
定期的に掃除しろっての。
悪態をついて不快感を誤魔化しながらも、足を踏み外さないように階段を下りていく。
長い階段を降り終えると、少しばかり開けた場所に出る。
開けた、と言っても天井は低く、手狭で暗い。
真ん中に通路が伸び、両脇に棚が並ぶ。
その棚の中に様々な本が詰め込まれているのを見て、ようやくここが禁書庫なのだと理解した。
「…………ここが、あの声が言ってた場所か?」
オレの独り言にも、何の返事も返ってはこない。
本棚の一つに近づき、本の背表紙を見る。
かび臭い空間だが、本自体はそこまで劣化していないようだ。
「なになに…………『人体錬成基礎』『生物合成の理論について』『生命の解釈と魔物の蓋然性』……あからさまに禁書入りしそうなラインナップだな」
露骨すぎるタイトルに苦笑を漏らすが、別にこれを書いた著者たちも後世でどのように扱われるかなど考えて題を決めたわけでもあるまい。
1冊を取り出し、中身をパラパラとめくってみる。
だが、すぐに唸り声を上げるしかなかった。
「ここまでさっぱり分からないものか……?」
文字列としての意味は理解できる箇所も多い。だが、それが系統的な理解となるにはもう一歩、否、もう何歩も距離が開いていた。明らかに理解に必要な知識が欠落している。
リスチェリカのダンジョンの最奥、カシュール・ドランの書庫の書籍も理解できないものが多かったが、ここまでではなかった。
この本の内容は、そもそも自分が何を理解すべきかすら分からない。
そのレベルでオレの知識と思考力を上回るものだ。
「…………そんなに、得るものは無さそうだな」
そっと本を戻すと、別の書架を漁るべく一歩を踏み出した刹那。
――――ようこそ、我が城へ。歓迎するよ、当代賢者。
声がした。
聞き覚えがある声に、足が止まる。
昨日、空き教室でオレに語り掛けてきた正体不明の声だ。
オレがこんな場所に来る羽目になった張本人。
「…………来てやったぞ。姿ぐらいは見せたらどうだ?」
――――姿、姿ね。僕としてはもう姿を見せているつもりではあるんだけど。いや、見せているというのもおかしな話か。そもそも、君は何をもって自分の姿を画定するんだい? 何を根拠に自己と他の区別を明らかにする? たとえば、人の目には見えない姿をした存在がいた場合、その存在は君にとって姿を見せていることになるのかな?
少年のような声がつらつらと理屈を立て並べる。
「……詭弁だ。オレと意思疎通がとれている時点で、多かれ少なかれオレと意思疎通をとれるように発生した存在のはずだ。なら、意思疎通において相手の認識内に収まるような姿形になっていない方がおかしい」
声や言葉というものがそもそも意思疎通の手段だ。
そんなものを扱える存在が、意思疎通を行いたい対象が主に利用する認知機能――――ここでは視覚か――――に一切認識されないメディアであるとは考えにくい。
――――ああ、面白い主張だね。確かに一理あると思わせる説得力がある。けど、申し訳ないことに、本当に人の形をとって君の前に現れることはできないんだよ。
と、少年はさして罪悪感も感じていない平坦な声で続けた。
――――君の左前、4列目の本棚の上から三段目。一つだけ白い背表紙の本があるはずだ。それを見てくれ。
「あ? 何を……」
声の指示を訝りながらも、オレは言われた箇所の本棚を探す。
確かにあった。
暗くて見づらいが、その中でも真っ白い装丁の本はよく目立つ。
試しに手にとって、表紙を見ると、そこには几帳面な手書き文字でこう書かれていた。
リベリオ・アトラウス
「……何だこりゃ、人名か?」
――――ああ、その本こそが僕、リベリオ・アトラウスそのものだ。
声は何気なく告げた。
――――改めてようこそ、当代賢者。歓迎しよう。我が学園アトラスへ。
オレはその声に何も言葉を返すことができなかった。




