127、クエスチョン&アンサー
日の光が瞼を焼く感覚で目を開けた。
それは朝日特有の光。さわやかな空気が、窓から流れ込んでくる。見れば、リアは既に起床して寝巻きから着替え終わっていた。
「随分とぐっすり眠られていたようですわね」
「おかげさまでな」
ぐっと背筋を伸ばすと、リアが小さく欠伸を噛み殺した。
「寝不足か?」
「……ええ、まあ」
リアが恨みがましい目でこちらを睨みつけてくるが、オレとしては何ら心当たりが無いので首を傾げるしかない。
「いびきでも酷かったか? 特に自覚は無いんだが」
「いいえ、そういうわけでは……はあ、何でもありませんわ」
呆れたようなため息を漏らすリアに、オレももう何も聞かない。
「少しあっち向いててくれ。着替える」
「なっ! ちょ、ちょっと待ってくださいまし! 部屋の外で待っていますわ!」
そういうとリアは足早に扉から出て行き、バタンと勢いよく扉を閉めた。
……さっさと着替えるか。
手ごろな服に着替え、扉の外で待っているリアに声をかける。
扉がゆっくり開いていき、隙間から恐る恐るこちらを覗きこんでくるリアが見える。何を遊んでいるんだ、こいつは。
あの戦闘狂がこの様子だと、どうにも調子が狂う。
部屋の中にリアを招き入れ、今日の予定などを話していると、大きな鐘の音が聞こえる。
教会が鳴らすような祝福の鐘ではない。もっと実務的な鐘だ。
チャイムだろうか。恐らくは時刻を報せる類の。
ここが学校施設であることを考えれば、そんなに違和感はない。
「どなたか来ますわね」
チャイムの鳴り終わると同時に、リアが閉まった扉の方を見やって言う。
さも当然のことのように気配を察知するな、こいつは。
オレが扉を開けると、そこには学生服を着た一人の少女が立っていた。
少女はノックをしようとしたところで内側から扉が開いたことに驚いたのか、目を丸くして固まっている。
ややあってから、少女がノックをしようとしていたのだろう右手を体の真横に下ろし、「こほん」と咳ばらいをした。
「トイチユート様、リア・アストレア様。朝食の準備が出来ております。ご足労をおかけいたしますが、食堂の方までご一緒願えますでしょうか」
昨日もオレたちを案内してくれた子だ。
よくよく思い返すと、昨日歓迎パーティにもいた。直接話してはいないが、テオの後ろに控えていたのを覚えている。オレたちの案内役なのだろう。
「了解です。ちょうど腹も減ってたんで」
「それは良かったです。ご出発の準備はもうお済みですか?」
「ええ、大丈夫です。リアも問題ないよな?」
オレの問いにリアもコクリと頷く。
「じゃあ、案内をお願いします」
「かしこまりました」
そのまま案内に来た学生に付いていく形で、食堂へと向かう。
「その、トイチ様は何故魔導を極めようと思われたのですか?」
道中、案内役の子にそんなことを聞かれる。
恐る恐るこちらの顔色を窺うような様子で、こちらに対する強い遠慮と緊張を感じる。もしかしたら、いくばくかの恐怖も混じっているかもしれない。
「魔導を極める……か。恥ずかしい話、別に、極めたいと思って魔導を極めたわけじゃないんですよ」
「……え?」
少女がきょとん、と目を丸くして首をかしげた。
「オレにはそれしかなかったんです。どうやら、他の才能がてんでなかったらしくて」
この世界に飛ばされてきたときのことを考える。
剣も魔法も扱えず、春樹とともに最底辺をへらへらと笑いながら這い続けていた日々を。
あそこで腐らずにいられたのは、偏に春樹のお陰だったのだろう。魔導を極めたのはそうするほか無かったというのが大きかった。もちろん、オレ自身魔法という現象に対する強い興味と関心はある。だが、それだけではここまで魔法を扱うに至ることは無かっただろう。必要こそが、人の進化を促すというのはやはり真理なのかもしれない。
「あの……?」
「ああ、申し訳ない。考え込んでしまいました。大魔導士、だと思われているようで恐縮ですが、オレ自身そんなに大した人間じゃないんですよ」
オレの言葉に少女は困惑した表情を浮かべる。
まあ、無理も無いだろう。大魔導士だの勇者だのと喧伝されて魔法都市にやってきたその人が、急に弱気なことを言い出したのだから。
「ま、とはいえそれなりに魔導を鍛錬してきた自負はあります。可能な範囲で魔法都市に貢献したいとは思っていますよ」
営業スマイルを浮かべると、少女は安心した様子で愛想笑いを浮かべた。
リアが肘でこちらを小突いてくる。
「何だよ」
「もっと自信を持ちなさいな」
「別に、客観的な事実を述べたまでだが」
「いいえ、あなたの述べる事実はいつも悲観に過ぎますわ」
「悲観主義者を気取っているつもりはないんだけどな……」
リアの言葉はいつだってまっすぐで、重い。
彼女はきっと本気でそう思っているのだろう。
だからこそ、オレにはその言葉が重いのだ。彼女の期待ともとれるその言葉が。
オレが渋面を浮かべているのに気付いたのか、リアもそれ以上は何も言わなかった。ただ、目に諦めの色は浮かんでいないことだけは見て取れる。
「着きました」
案内人の声に引かれて、どうやらオレは俯いて歩いていたらしいことに気付く。目の前には大きな空間。大きな長机が並び、テーブルクロスがかけられている。昨日のパーティ会場とは別の場所だ。見れば、既に学生や商人、勇者たちの一部が席について談笑していた。
「こちらの席でお待ちください、給仕が朝食をお持ちします」
至れり尽くせりだな、と思いつつも案内人に軽く挨拶をするとリアと隅っこの方の席に座る。どうやら、勇者含め客人たちは一つのテーブルに集められているようだ。一方で、アトラスの学生たちは流石にセルフサービスなのだろう、窓口と思しき場所でトレイを受け取って各自で食事をとっている。
リアは学園の食堂という環境が見慣れないのか、キョロキョロとあたりを見渡している。
「なんつうか、こういう食堂に来ると、アルティと戦ったときのことを思い出すな……」
長旅から帰ってきて早々に、食堂でアルティと一戦を交えることになったのは記憶に新しい。
「ええ、あのときは災難でしたわね……」
リアもアルティとのやりとりを思い出したのか苦い顔をする。
「なになに、アタシの話!?」
「うお!? 気配を消して後ろに立つな! 心臓に悪い!」
耳元で囁かれた……というには大きすぎる元気な声で、アルティがのたまう。相も変わらず攻撃的なまでの笑顔を浮かべている。
「まったく、朝から騒々しいな君は……」
少し遅れて、フォンズがすたすたと歩いてくる。珍しく眠たげな目をしており、いつものように怜悧な雰囲気は感じ取れない。
「アンタが朝に弱すぎるんだってば。そんなんだと、すぐに噛み殺されちゃうよ?」
「ふん、君のような群れの長気取りの野生動物にやられるほどやわではない」
などといつものように毒の応酬をし始めるので、「はいはい、仲がよろしいことで」と適当に流すと、二人とも憤懣やるかたない様子で怒りをこちらへと向けてきた。
そんな二人を適当にあしらっていると、澄んだ声が耳を通った。
「皆様、お揃いのようですね」
見ると、フォルトナ・アトラウスが笑みを浮かべて立っていた。
その一言だけで雑談をしていた勇者や商人諸君も口を噤み、黙ってフォルトナの方に向き直る。
そのカリスマ性に舌を巻く間も無く、フォルトナが続けた。
「おはようございます、皆様。本日もよき一日となりますように」
見計らったかのようなタイミングで給仕が朝食を運んでくる。
それが一目で豪華なものだと分かる。一端の宿などで出てくるような質素な食事ではない。これがちょっとした夕食だと言われても違和感の無いレベルだ。ただこれだけで、どれだけ我々が歓待されているかが分かる。
一口、口に運ぶ。うまい。
ぱく、ぱくとテンポよく口の中に食事を運んでいく。
こちらの世界に来て様々な料理を食べた。味はピンキリだったものの、美味いと言えるものもそこそこあった。
ただ、これはその中でも最上位に来る。
昨日の晩餐会ではほとんど食事には手を付ける余裕がなかったから分からなかったが、相当に腕利きの料理人を雇っているようだ。
最初はやや多いなと感じていたにも関わらず、気づけば目の前の皿を平らげていた。すると、機を見てフォルトナが再び前に立った。
「この後は、勇者の皆様方にこの学園内をご案内いたします。午後は、学生たちの授業や演習の様子をご見学頂きたいと考えております。もちろん、強制ではございません。何かご希望がございましたら、遠慮なく仰ってください」
口ぶりからするに、勇者とそのほかの客人は別枠らしい。
学園の案内と聞いて、昨日の正体不明の幽霊の言葉を思い出す。
「……図書館、か」
オレの呟きに耳聡いリアがこちらに「何か?」と問うような視線を向けてくるが、オレは目線だけで独り言であることを伝える。
図書館は、恐らく学園の主要施設だろう。案内されてしかるべきだとは思うが。
まあ、それは後々考えればいいか。
そんなことを考えながら、くぁ、と小さく欠伸を噛み殺した。
案内が始まってから一時間ちょっと。現在、ようやくこの学園の図書館に向かっている。
いや、この学園でかすぎだろ。
とても一つの学校施設の規模ではない。
フォルトナ・アトラウスは多忙らしく、案内自体はこの学園のほかの学生が行っている。
ぞろぞろと連れ立って歩く勇者たちは、修学旅行に来た学生さながらだ。異世界という地に飛ばされてきたことで失念していたが、我々の本分は学生。それも高校生だ。学園という環境に身を置かれれば、否が応でもかつての日々を思い出す。
「……なんていう感傷に浸っているのはオレぐらいか」
学園都市の面々と和気藹々と歓談を繰り広げている勇者諸君を視界の端にとらえ、自嘲気味な苦笑を漏らした。
「到着いたしました。こちらが、わが学園が誇る世界有数の大図書館、『ルート・ライブラ』でございます」
解放された大扉の奥に空間が広がっている。
誰もが言葉を失っていた。
視界を埋め尽くすのは本、本、本。
右を見ても、左を見ても、上を見ても、本の書架が所狭しと並んでいる。目に入ってくる情報量の多さに思わずふらりと立ち眩みを覚えた。
「これは、すごいな」
熊野が思わず感嘆の息を漏らす。
ああ、図書館の果てが見えない。どれだけの書物がここにあるんだ。
「世界中からかき集めた叡智の数々、その一端がここに収められています。蔵書数はおよそ200万冊と言われています」
200万……
途方もない数字に誰も反応を返すことができない。
元の世界であれば、200万という数字もありえなくはなかったのだろう。だが、それは情報通信や印刷技術の発展した現代地球だからこそだ。ことこの世界の技術水準において、これだけの蔵書を実現するのは、それこそ魔法と呼んで差し支えない。
リスチェリカの王立図書館もでかかったが、ここを見てしまえばちっぽけに感じてしまう。
案内人の説明がつらつらと続く。
「この学園の学生であれば、誰でもこの図書館を利用でき、地上に存在するあらゆる本を読むことができます」
これまでの案内には興味なさげだった勇者たちも、真剣に聞き入っていた。
――――ようこそ、当代賢者。ボクの居城へ。
声が響く。
急な呼びかけに思わず肩を跳ねさせると、隣にいたリアが「なんだこいつは」といった訝し気な目を向けてきた。どうやら彼女には聞こえていないらしい。
――――はは。この声は君にしか聞こえていないよ。
「……せっかく図書館まで足を運んでやったんだ、さっさと知ってる情報をよこせ」
小さな声で「声」に向かって呼びかけると、中性的なその声はからからと笑った。声の主は忘れるべくもない。昨夜、空き教室でオレに語り掛けてきた胡散臭い幽霊もどきだ。
――――いいねえ、その傲慢さ。さすがは賢者だ。そうでなくっちゃ。でも、まだ教えられないな。だって、君はボクを見つけてはいないだろう? それなのに教えちゃったらゲームの意味がない。
「オレは別にお前と遊ぶつもりはないんだが」
――――えー、そんなー。じゃあ、仕方ないなぁ。次のヒントを出してあげよう。
「人の話を聞けよ」
思わず大きな声が出してしまい、またもやリアに「こいつ頭の病気なんじゃないか?」といった訝しげな視線を送られるが、それに取り繕っている暇はない。
――――この図書館は誰にでも開放されている。この学園の学生であれば、簡単に知識に触れられる。でも、それは半分建前だ。
「どういうことだ」
――――それを考えるのが君の仕事だよ。この図書館には数多くの本が収められているけれど、君が触れられるのはその一部だけだ。ボクは君が触れられないところにいる。さあ、ゲームを始めよう。ボクを見つけてごらん。
一方的にそう言い切ると、声は姿を消した。
「……図書館でオレが触れられない場所……」
簡単だが、難しい問題だ。
たとえば、本棚の上の方の棚には当然手が届かないので触れられないが、台を使っていいなら触れられる。書庫や作業室など、関係者以外立ち入り禁止ブロックも侵入はできないだろうが、勇者特権を振りかざせば無理ではないだろう。
あいつが何も考えていない可能性もあるが、ゲームを語っている以上その解答は明白に解答たり得るはずだ。
「たとえ勇者であっても、賓客であっても、絶対に立ち入れない場所……」
物理的に? それとも規則として? そもそも存在しない?
様々な可能性が脳裏を過るが、答えらしい答えは出てこない。
「では次の場所に――――」
「禁書庫」
案内人が次の場所に我々を連れて行こうとしたタイミングでぽつりと漏らす。独り言だったはずの声は静かな図書館ではやけに響き、皆の注目を集めてしまった。
「あ、いや、ここ、書庫とかあるのかなって。蔵書数200万冊の割には表に出てる数が少ないように見えたんで」
取り繕うように言い訳を重ねると、案内人の学生が「うーん」と顎に手を当てた。
「書庫の類があるという話は聞いたことがありませんね……もちろん、図書館自体非常に大きいので私自身すべてを把握しきれているわけではありませんが」
案内人の答えにオレは「で、ですよね」と気持ち悪い営業スマイルを浮かべた。案内人は今のでオレの疑問は解消されたと思ったのか勇者たちを引き連れて先に行ってしまう。
「……『領識』」
図書館内全体に魔力を浸透させ、それらしい場所が無いか探す。
たとえ勇者特権があろうとも絶対に触れられないだろう、この学園の秘密。むしろ、客だからこそ触れられない、そんな場所があるとしたら。
それは禁書庫。表には出せない、数多くの書物が収められているはずだ。
こと魔法学園という性質上、倫理的政治的に問題のあるであろう書物は数多く存在するはず。そのすべてが表に出ているとは考えづらい。
「見つけた……」
図書館の最奥。本棚の間に鉄製の扉がある。『領識』で見た範囲では鍵がかかっているように思える。その奥は地下への階段が続いて……
「……?」
だが、その奥がどうあがいても見えない。どれだけ魔力を浸透させようとしても、かき乱されるように、像がノイズまみれになってしまう。見えるのは階段の途中まで。『領識』の範囲外ということも考えにくい。もう少し近づけば何か……
「何をやってるんですの? そんなに魔力を放出して」
リアが呆れた調子で声をかけてくる。
「ああ、いや、少し気になることがあって」
「?」
見れば、勇者一行たちは図書館を出てしまっている。
……あまり遅れるのもよくないか。
「何でもない。いま行く」
探索を中断して小走りに図書館の出口へと向かう。
思考の奥に、小さな引っ掛かりを残しながら。




