126、饒舌な幽霊
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ただいま、と小さく呟くと自室では、見知った顔が疲労にやつれていた。
「……よう、リア、うかない顔してるな」
「あら、それはアナタも同じでなくて?」
「…………お互い様だな」
どうやらオレの知らないところでリアも苦労していたらしい。
オレはオレで対応に追われて周りの人間を見ている余裕が無かった。リアも立場的には王女だ。魔法都市の面々から質問攻めなどにあったのだろう。
「散々でしたわ。誰も彼も浮ついた話ばかり。わたくしがそんなに軽い女に見えたのでしょうか」
どうやらオレ以上に面倒な話をされていたらしい。
「まあ、そりゃ一国の王女様がこんなところに来たんだ。そういった話が振られるのは無理もないだろ。見た感じ魔法都市の面々はには地方から出てきたんだろういいとこの金持ちも多いしな」
「はぁ、わたくしとしてはそのようなものに興味はありませんのに……」
心底面倒くさそうにため息を漏らすリアに、どんまいの意味で苦笑を返す。まあ、こいつは戦闘狂も戦闘狂。色恋の話に色めき立つような輩ではない。
まあ、オレも人のことは言えないが。
「アナタと言えば、他の方々に褒めそやされて鼻を伸ばすばかり……」
「え、何、オレのあの艱難辛苦の状況を見てそんな風に思ってたの?」
心外だ。オレとしてはリアに共感まで覚えていたと言うのに。
「冗談ですわ。アナタはああいうのは苦手ですものね」
「……よく分かって頂けてるようで何よりです」
自分を理解している人間の存在に少しだけ面食らい、何故か気恥ずかしさを覚えてしまう。心の隅の方がくすぐったくなるような感覚にもどかしくなり、オレは強引に話を変えた。
「で、マジで今日はここで寝るのか?」
「ええ。これまでもあなたの家で寝泊りしていましたし、今更同室でも何も問題はありません」
リアの声は平常どおりどころか、いつもよりも平坦に聞こえるが、見れば耳が赤くなっている。部屋が暑いというわけでもなかろう、それが照れに由来するものであることはオレでも分かる。
「風呂はどうする?」
「ふぇ、は、へ!?」
オレの問いにリアが壊れた機械のような声を出す。
随分と奇怪かつ斬新な叫び声だな。
「ど、どうするというのは!? さ、流石に一緒に入るのは!」
「いや、何をそんなに驚いているのかは知らんが、普通にどっちが先にシャワー浴びるかとか、学園の大浴場使うかどうかとかの話だぞ」
「あ、あー、なるほど。そう、そうですわね。ええ、ええ。もちろん、分かっていましたとも」
リアが何か重大な勘違いをしていたような気はするが、アホらしいので考えない。
「この学園、大浴場なんてありますの?」
「ああ、さっきテオに聞いた」
テオドールいわく、この学園には生活に必要な様々な施設があるらしい。客室ともなれば各部屋にユニットバスのようなシャワー室が付いているが、大浴場も利用できる。
「テオ……ああ、あなたが話していた赤髪の青年ですか」
「ああ。話せば話すほどいいやつだった。あいつはモテるな」
などと、生来この方彼女など出来たこともない非モテ男子が、上から目線に青年に評価を下す。
「わたくしは、シャワーだけで構いません。面倒ですから」
「そうか……先に浴びていいぞ。オレは少しの間散歩にでも出てる。部屋の鍵は閉めといてくれ。帰ってきて開いていたらもう浴び終わったとみなす」
「よろしいんですの?」
「いいから言ってるんだ。ま、学園都市は広いからな。いくらでも見て回る場所はあるだろ」
オレは学園都市から借りたスーツをクローゼットにしまうと、部屋を出る。
誰にも会いたくないし、とりあえず『隠密』しておくか。
オレの『隠密』はそこまで錬度が高くない。多少人に気付かれにくくなる程度だが、無いよりは遥かにマシだ。
「さてと、散歩にでも行きますか」
立場的には客人だ。学園内をうろつき回っても、そこまでお咎めを食らうことは無かろう。
行く当てもなくぶらぶらと学園内を練り歩く。
学園内は、夜にも関わらず『魔導灯』が点いているため、廊下は明るい。
だが、オレたちのいる棟はどちらかと言えば居住施設が集まっているようだ。1階に下りてみれば炊事場や洗濯場のような場所も見受けられる。客室意外にも生徒たちの寮もあることを確認できた。
連絡通路を渡り、本棟と思われる場所へ来る。
ここは学園らしく、教室が立ち並んでいる。流石に夜中には、授業もやっていないようで教室や廊下も明かりが点いていない。人の気配もなく、いるのはオレぐらいのようだ。
光魔法で小さく明かりを確保し、散策する。
「ほーう。教室は流石に元いた世界の講義室に近いな」
中高の教室のような感じではなく、階段教室のようだ。前には黒板があり、手前に教卓、恐らく授業風景も普通の学校とさして変わりはしないのだろう。
この世界、少なくともリアヴェルト王国には義務教育という概念は存在しない。学校という機関はあるにはあるのだが、中流階級以上の者が通う場所で、しかもさらに上流階級となると学校などには行かせず、家庭教師を抱えることの方が多い。
学び舎で友人とともに勉学に励む、などというもとの世界では当たり前だった環境はこの世界においてはどちらかといえば稀有な経験なのだ。
ふと、元の世界のことを久々に思い出したなということを思う。
別に元の世界に未練があるわけではない。だが、少しだけ寂しさのようなものを感じなくもないのかもしれない。
独りでいるが故の、くだらない郷愁なのかもしれないが。
――――ねえ、君、聞こえているかな?
「っ!? 誰だ!?」
急に聞こえた声に、思わず振り返る。
だが、人のいる気配はまるで感じない。先ほどまでと同じ静寂の中に、暗闇が横たわっているだけだ。
そして、先ほどの声がどこからでもなく、脳の中に直接響いていたことに気付く。
ゴーストの類か?
かつて、自宅を入手する際に駆除した怨霊を思い出す。
警戒度を上げて周囲に『領識』を張り巡らせる。
「出てこい、悪霊」
――――ああ、ようやく聞こえている人間に出会えた。なるほどね、悪霊か。言い得て妙だ。確かにボクという存在を正確に定義することは難しい。もしボクという状態に何かしらの定義付けを行うなら、確かにゴースト、幽霊などの語はかなり的を射ていると言っていい。けれど、それは必ずしも精確にボクを言い表しているとは言えないよ。及第点だけど、合格点ではないといったところかな。
「なんつう饒舌な幽霊だ…………」
声だけの幽霊が口早に捲くし立てる。声の質は中性的で男性か女性かも分からない。声自体は不快ではないのだが、脳内にこれだけの情報量が直接注ぎ込まれるという体験はあまり快いものではない。
「何者なんだ、あんたは。あとうるさいからそんなに脳内で話すな」
――――おっと、すまないね。そうだな、すぐに答えを示してしまうのはあまりボクの好むところではないんだ。だから、君にはヒントをあげよう。ボクを見つけてごらん。ボクはこの学園の図書館にいる。いや、精確にはいたと言うべきかな。けど、確かに今もいるんだ。ボクは死んだけど、まだ生き続けている。君の言うとおり、亡霊の一種であることも否定はしないよ。
「いや、何でオレが通りすがりの幽霊のたわごとにつきあう必要があるんだよ」
この手の声に従ってもロクなことにはならない。
――――はは。それもそうだね。でも、決して君の損にはならないはずだよ。もし君がボクを見つけられたなら、少しだけこの世界の秘密を教えてあげよう。
「世界の秘密だぁ?」
いよいよ胡散臭さが増してきたな。
オレが無視を決め込もうと踵を返したところで、
――――ねえ、当代賢者。
決して聞き逃せない言葉が、オレの脳内に響いた。
「当代、賢者…………?」
――――ああ、そうだ。賢者なら欲しいだろう? 知識が、知恵が、叡智が。触れたいだろう、この世の真理のその核に。
まただ。『賢者』という言葉。こいつは、何かを知っている。オレのスキル『賢者の加護』に関する何かを。そしてひいては、オレ自身に関する何かを。
「……図書館だな」
――――うん、そうだよ。歓迎しよう。次のヒントは、図書館に来たら教えよう。あ、夜の間は図書館は閉まってるから、穏当に済ませたいならお昼においで。
とだけ言うと、意識から声が消えていく。
気配など無かったのに、いなくなってしまえば、そこに何かがいたことが分かる。
「…………なんだってんだ」
誰に言うでもなく今しがた起きた不可解な状況に愚痴を漏らすと、オレは自室へと戻るべく本当に踵を返した。
自室に戻るまでの十数分間、誰と会うことも無く、謎の声が聞こえることも無かった。だが、オレの脳内にこびりついた中性的な声は自らの表情を難しいものへと変えていた。
賢者、賢者……
字面だけなぞれば、賢き者。知恵を持つ者。だが、この世界において恐らく『賢者』という言葉は特別な意味を持っている。
それは、もしかしたらオレの能力を説明できるものかもしれない。
考え事をしながら、自室の扉を開ける。
「意外と遅かったですわね。何か面白いものでもありましたか?」
そこにはシャワーを浴びた直後なのだろう、肩にタオルをかけたリアが寝巻き姿でベッドに座っていた。寝巻きから覗く肩は上気しており、長い金髪は水滴を帯びて煌いている。
「……突っ立ってないで、入ってきてはどうですか?」
自分が入り口で呆けていたことに気付き、曖昧な返事を返すと中に入り後ろ手に扉を閉めた。
「いや、なんつうか、風呂上りのお前の姿を見るってのも新鮮だな」
「普段のあなたは夜になるとすぐに自室に引きこもってしまいますものね」
「まあ、別に広間にいたってやることも無いからな。自室に戻って脳内読書やら魔法の鍛錬に勤しむ方が有意義だ」
オレの家の風呂場は勝手に使わせているため、こいつが風呂を使っていようがいまいがオレの知るところではない。
「…………どうして、視線を逸らすんですの?」
「何だ、ガン見して欲しいのか?」
「そういうわけではありません!」
オレの言葉にリアは身を抱いて後ずさる。だが、ベッドの上に逃げ場など無いことを知り、諦めて姿勢を正して座り直した。
「別に普段から一つ屋根の下で生活してるだろ。何を今更」
ややつっけんどんな言い方になってしまったのは、リアだけに向けた言葉ではないからだろう。
オレの言葉にリアは口をへの字に曲げて、枕を抱きかかえた。
「そう、ですが! そうかもしれませんが!」
「嫌なら出て行ってくれ。オレとしちゃそっちのが気楽だ」
「絶対に出て行きませんわ!」
さいで。まあ、オレも軽くシャワー浴びて寝るか。
「っつうわけで、オレはこれから湯浴みをするんだが……覗くなよ?」
「覗くわけないでしょう!?」
吠えるリアを置いて、客室内の簡易浴場を利用する。ふむ、どうやらちゃんとお湯が出るようだ。流石に魔法都市の客室、ちゃんと魔法道具の類が備え付けられているらしい。
この世界、やたらと街並みが中世ヨーロッパじみているにも関わらず、技術自体はかなり進歩しているという歪さがある。魔法というオレたちのいた元の世界に無いものがある以上、人類の進歩の仕方にずれが生じるのは当然ではあるのだが。
「ふぅ……」
温度調節は出来ないが、お湯を浴びて疲れを流し落とす。
今日は色々ありすぎた。
シャーラントの歓待、フォルトナ・アトラウスとの衝撃的な出会い、学園都市の進んだシステム、教室棟で出会った謎の声……
考えなければならないことが多すぎる。
「とりあえずは明日図書館だな……」
さしあたっての方針を決めてお湯を止める。
備えつけの随分と質のいいタオルで身体を拭い、『持ち物』から手ごろな部屋着を取り出した。
くぁ、と小さくでた欠伸に眠気を思い出す。
「よう、リア上がったぞ。オレは眠いから寝るが、お前は?」
「そ、そうですわね。わたくしも、寝ましょう」
「じゃあ、明かり消すぞ」
「は、はい!」
こいつ、寝る前の割りにやたらと元気だな。オレにも分けて欲しいぐらいだ。
明かりを消して、オレはベッドに倒れこむ。
隣のベッドが軋む音が聞こえ、衣擦れが聞こえる。
静寂だ。
お互いの息と布が擦れる音のみが聞こえる。
そこに鼓動の脈打つ音が混じる。
それがオレの心拍音であると気付くと同時に、その音がどうしても無視できなくなる。
緊張、していると言えばしているのかもしれない。
今までだって散々同じ屋根の下で暮らしてきたのだ、何を今更。
などという合理化を続けていても、やはり一つの部屋で他の女性と寝るという行為は、多かれ少なかれオレの精神に影響を及ぼしている。
たとえ、そこに何の意味も行為も伴わなくともだ。
それはリアも同じらしく、呼吸は不規則で不定期に布の擦れる音が聞こえる。
あんまり質のいい睡眠はとれそうにないな。
そんなことを最後に考えて、気付けばオレは意識を手放していた。
熟睡




