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119、シエル・バーミリオン

 マザランさんの告白からややあって、シエルが学校から無事に帰宅した。


 いやマザランさんの告白とかいう文言、若干アッー!なニュアンスが含まれてしまっている気がするな? もちろん、彼が自らの罪を告解したという意味での告白なのだが。


 シエルは、オレの訪問時に自分が不在だったことを詫びに詫びたが、特に気にしてもいなかったオレはマザランさんと二人、苦笑を漏らすばかりだった。というか、むしろマザランさんがあえてオレの来るタイミングをシエルの帰宅とずらしたようだ。恐らくは先ほどの話をシエルに聞かれたくなかったのだろう。


「ユートさん、あの、ち、父が何かおかしなことを言ったりはしませんでしたか?」


「おかしなこと……シエルが愛しくて仕方が無い、みたいな話はされたかな?」


 一瞬ギクリとするも、オレは悪戯っぽい笑みを浮かべてマザランさんに視線をやる。


「えっ!? も、もう、お父さん!」


「ははは、これはこれは。惚気ていたつもりはなかったのですが……娘のこととなるとつい」


 オレの調子にマザランさんも合わせる。

 シエルはやや頬を膨らませて、父親に不満の意を唱えている。その姿は普段の彼女からは想像もつかない。きっと、真に心を許している相手だからこそできる表情なのだろう。


 何が彼女を幸せにできないだか。


 マザランさんは、立派にシエルの父親をやっている。

 無意識に彼女を見つめてしまっていると、それに気付いたシエルが顔を赤くして俯いてしまう。こちらの方が普段から見る彼女の様子に近い。


「あ、あの……あ、あまり気にしないでください……父はこういう人なんです……」


「いやいや、いいお父さんじゃないか」


 心の底からそう思う。これほど娘を思っている父親などそういない。


 ……オレも、こんな父親がいれば……


「ユートさん?」


「あー、いやなんでもない」


 思考のキャンバスに垂れ落ちた墨を急いで拭い取ると、オレは努めて明るい笑顔を浮かべて言った。


「シエル、あれ以来どうだ? 商人修行は進んでるか?」


「あ、あー……はい、その……うぅ……」


 当たりさわりの無い話題として振ったつもりだったが、この様子だとあまり芳しくないらしい。

 ちらりとマザランさんの方を盗み見ると、喜んでいるような困っているような曖昧な表情を浮かべるばかりで、この話題について彼から何かを言うつもりは無いようだ。


「難しいか?」


「……い、いえ、その……あ、でもユートさんに教えて頂いたことを少しずつ実践したら、かなり手ごたえのある取引もできるようになって……」


「おお、いいじゃないか」


「でも、まだ3回ぐらいしか……それも小さな商談成立させられなくて……」


 そう言って俯いてしまうシエル。


「まー、見習いで独学ならそんなもんじゃないのか?」


 無責任だが、彼女に必要なのは自信だ。

 小さい取引でも場数をこなすことで、彼女には商人としての自身と勘を身に付けていってほしい。もちろん、オレは商売なんてやったことが無いド素人だから、あくまで一般論的な話にはなってしまうのだが。


「うぅ……」


「マザランさんは、その、シエル……さんを指導なされたりはしないので?」


 やや踏み込んだ質問にはなるが、この流れで聞かないのも不自然だろう。


「……私としても娘が同じ商人を志すというのはとても嬉しい話ですし、その支援をしてあげたいとは思っております」


 バツの悪そうな顔で、シエルに視線を向ける。その視線にこもるのは慈愛と罪悪感。


「……ただ、彼女には選択の幅を狭めて欲しく無いのです。商人になる以外にもこの世界で生きていく術はいくつもあります。ただ親がそうであるからという理由で、彼女に自分の人生を決めて欲しくない。シエルには、自分が本当になりたいものになって欲しい……というのは、親のわがままになってしまうでしょうか」


「そんなことは……」


 無い、のだろうか。


 難しい話だ。シエルが商人を志すきっかけは間違いなく親の影響だろう。マザランさんの存在が彼女の可能性を狭めている、という考え方は出来なくもない。シエルの幸福を誰よりも、そう、誰よりも考えるマザランさんだからこそ、そこには複雑に絡み合った感情が横たわる。


「……それと、これはお恥ずかしい話なのですが、バーミリオン商会も一枚岩では無いのです。あまり露骨に自分の娘に肩入れをしているとなると、商会の中には喜ばしく思わない者もいるでしょう」


「ああ、なるほど」


 その話は先ほどの理屈よりも簡単に理解できた。世襲的な側面が前に押し出されると、権力を追い求める商会の人間たちには嬉しくない。そうなれば組織の安定が揺らぐことにもなりかねない。

 この話をこれ以上続けてもマザランさんに身を切らせるだけだと思い、話題を変える。


「そういえば学校はどうだ? あれから何も無いか?」


「あ、は、はい……ユートさんのお陰で石を投げられたり、ノートに落書きされたりしなくなりました!」


 満面の笑みで言う彼女を見てほっとすると同時に、かつてはそうした悪意ある行為が平然と彼女を傷つけていたことを思い奥歯を噛む。

 マザランさんもシエルに追従した。


「いやはや、トイチさんには何度お礼を申し上げても足りないぐらいです」


「いえ、オレは大したことは」


 シエル自身はとてもいい子だ。ただ境遇や周囲の人間に恵まれなかっただけで、本質的に彼女はいじめられるような素因を孕んではいない。だが、理不尽や不条理といったものはそれを許容しない。どれだけ責任が無くとも、どれだけこちらが最善手を打とうとも、突如として現れた嵐は全てをなぎ倒していく。


 そういう、ものなのだ。


 シエルとマザランさんを交えた歓談は続く。

 益体無い談話といえばそうなのかもしれない。だが、ここ最近差し迫った話や気を張る会話が多かったのでこうした会話は逆に新鮮だった。

 殺伐としてしまっていた直近の自分の生活に内心で苦笑を漏らしたり、シエルやマザランさんの会話に相槌を打ったりを繰り返していると、気付けば日が暮れていた。


「おや、もうこんな時間ですか。どうですか、トイチさん。うちで夕食を食べていかれたら」


「あー……すみません、ありがたいお話なのですが……」


 現在オレの家にはアルティとリアが居候をしている。加えて毎晩夕食時にはフォンズも来るし、オレがいないことでややこしいことになったら面倒だ。

 なんとも世知辛い理由で上流階級のディナーを断らなくてはいけない残念さを噛み締めながら、オレはゆっくりと椅子を引いた。


「あ、あの、でしたら、私が作りにいってもいいですか……?」


 シエルがおずおずと提案する。


 ……いや、君の家に遊びに来てんのに君を僕の家に連れ帰って夕飯作ってもらうの、行動として意味が分からなさすぎるな。


 とは言えないので何と断ろうかと頭を悩ませていると、


「今日は遠慮しておきなさい、シエル」


「お父さん……」


「トイチさんもお疲れでしょうし、また次の機会に。本日は、長々とありがとうございました」


 強引に締めてくれようとしているようだ。

 シエルがこの世の終わりかのような表情を浮かべている。いや、そこまでか?


「いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございました。シエル、また明日な」


「……! は、はい……!」


 目を見開いたシエルはすぐに相好を崩すと、可愛らしく手を振った。


 ったく、本当にいい子だなこの子は。


 恐らく、オレの知りうる限りで本当にいい子なのはシエルと……あとはソフィアぐらいだろう。この異世界とう場で出会えた数少ない良心。この先も曇って欲しくないものだ。


 などと幾分身勝手なことを考える。


 遠慮したにも関わらず、二人ともわざわざ庭門まで見送りに来てくれる。

 別れの言葉をいくつか交わして、バーミリオン邸を出る。


 ちら、と振り返るとシエルが遠慮がちに手を振ってくれた。

 オレは少しだけ迷ったあとに、小さく手を振り返す。


 白い影が、笑顔に相好を崩すのを見届けてオレは帰路へとついた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 バタン、と扉が閉まる。


「ふぅ」


 無意識に小さく息を吐いてしまう。


「シエル、今日はありがとう」


「ううん、大丈夫だよ、お父さん」


 私はお父さんに小さく笑いかける。

 ユートさんと話したからか、未だに心臓がバクバク言っている。


「じゃあ、お父さんは少し書斎のほうで仕事を片付けてくるから。また後で夕食のときに」


 そういうとやや早足でお父さんは去っていってしまう。

 お父さんはいつもそうだ。私といるときは少しだけ気まずそうで、でもそれを必死に隠そうとしている。

 私には分かってしまう。


 お父さんがいなくなったところで、私は自室に急ぎ足で戻った。誰もいないことを確認してもう一度深く息を吐いた。


「はぁあああああ。良かった良かった良かった良かった良かった……嫌われたかと思った……」


 ユートさんに晩御飯を作ることを拒否されたとき、もしかしたら私は嫌われてしまったのかと思った。押し付けがましい邪魔な奴だと思われたんじゃないか。ずけずけと踏み込んでくる不躾な奴だと思われたんじゃないか。そう思うと頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった。


 でもちがった。


「また明日……また明日……」


 ユートさんは確かにそう言った。他でもない私に、「また明日」と。

 私は求められている。私は認められている。私は必要とされている。私は許されている。私は――――


「えへ、えへへ……」


 木箱にしまってあった布きれを取り出して顔に押し当てる。

 すぅと息を吸い込むと、ユートさんの匂いがした。脳内が一気に幸福で満たされる。


 数か月前に、拝借した一枚の布切れ。

 本人の許可をとらずに持ってきてしまったことに一抹の罪悪感はあるけれども、彼が「もう擦り切れたから捨てておいてくれ」と言っていたものだ。預かってしまっても、気にも留めないだろう。

この布は、他でもないユートさんが使っていた下着だ。


 彼の家で家事を任されている私なら、いくらでも持ち出す機会はある。


「……私の……私だけの勇者さまぁ……」


 ただ今だけは、その甘く痺れる匂いに身をゆだねる。


 彼だけは、否、彼ならば私を引きずり出してくれる。


 この、どうしようもない世界から。


一瞬で主人公に惚れて、こんなに都合の良い女の子がまともな人間なわけ無くない?

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