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118、バーミリオン邸訪問

「あ、あの! お父さんと、あ、会って頂けないでしょうか……!」


 そんなお願いを受けたのは変哲の無い昼下がり。久方ぶりに鍛冶場で工作でもしようかと、金属類を弄っていたところだった。

 シエルは不安そうに揺れる瞳でこちらの反応を窺っている。


「えーっと、それはどういう……」


「あ、す、すみません……嫌ですよね……そ、そうですよね……ごめんなさい……」


 今にも泣きそうになってしまうシエルにあわてて手を振ると、オレは彼女の顔を覗き込んだ。


「違うって! いや、単純にどうしてオレにシエルのお父さんに会ってほしいのかなと」


「それは……その、お父さんがユートさんに会いたいと……」


「シエルのお父さんが? オレに?」


 こくり、とシエルは目じりに涙を溜めながら頷いた。

 一体なんだろう。娘を誑かすなんて許せないぞ殺してやる、とかだろうか。

 流石にどこぞの戦闘狂よろしく、そこまで世紀末な思考はしていないか。


「私も理由はよく分からないんですけど……その、最近ユートさんのお宅によくお邪魔していることを言ったら、良ければ一度会わせて欲しいと……」


 うーん……好意的に解釈するなら、娘が世話になっている礼というのが可能性としては高そうだが……

ただ、この手の奴は人間不信気味に予測を立てておかないと痛い目に遭うからな……仮にいい話であれば儲け物程度に思っておく方がいいか。


「……あの」


 シエルが不安そうに返事を待っている。

 流石にシエルにこれだけ世話になっておいて、挨拶に行かないというのは不義理に過ぎるだろう。


「ああ、分かった。こちらから挨拶に行かせてもらう。いつもシエルには世話になってるしな」


 日々家に来て掃除やら家事を全部やってくれて、しかも美味しいご飯まで作ってくれる美少女とか、オレは一体前世でどんな徳を積んだらこんな役得を得られるのだろうか。

 そんな風に自分の境遇を疑問視していると、シエルがほっとしたように息を吐いた。


「よ、良かったです……断られたら、どうしようかと思って、私……」


「いや、そんなに思いつめることでもないだろ……」


 どうにもシエルは何かにつけて大げさすぎるときがある。自分への自身の無さがそうさせるのかは分からないが。


「何かしら菓子折りでも持って行ったほうがいいかね……」


 『持ち物』の中身を探りながら、適当な土産を見繕うのであった。




 翌日、オレは街の中でも高級住宅地として知られる地域に来ていた。あたりの家はどれも、我が家とは比べ物にならないほど大きい。それなりに大きい家を郊外に得たことで生じていた自負も、目の前の豪邸たちの巨大さの前に消し飛んでしまう。


 やっぱり、金持ちは次元が違ぇな……


 ため息を漏らしそうになって、それを飲み込むとオレは顔を叩いた。


「よし、行くか」


 鉄柵の門の前に立つと、中の執事が深く一礼をした。


「トイチユート様でございますね」


「はい」


「お待ちしておりました、奥で旦那様がお待ちでございます」


 そういうと執事はなれた手つきで門を開いた。

 丁寧な口調と落ち着いた物腰。老齢にも見える風貌だが背筋はピンと伸びており、動きもきびきびとしている。慣れた手つきを見れば、相当長い間執事としてやっているだろうことが分かる。


 歩きながら、きょろきょろとあたりを見回してしまう。

 庭園、と呼ぶにはやや狭いものの少量の生垣や木々があり、居住空間としての快適さを実現している。両隣などの他の邸宅がもっと大きな庭を保有しているところを見ると、この家はあえて庭を小さくしているようにも思える。もしかしたら、商人特有の合理主義的な考えに基づくものなのかもしれない。


「どうぞ中へお入りください」


 ふと視線を前に戻すと、執事が邸宅の扉を開けていた。


「ありがとうございます」


 軽くお辞儀を返すとオレはそそくさと中に入った。

 ここまで丁寧な対応をされると、庶民のオレとしては何ともこそばゆい感覚に陥る。


 扉が静かに閉められる。オレが内装に視線を一巡させ終わるタイミングを見計らったかのように、声が響いた。


「ああ、トイチさん。ご足労をおかけして申し訳ない」


 声のほうに視線をやると壮年の男性がゆったりとこちらに歩いて来ていた。

 その顔には見覚えがある。


「いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます。十一優斗と申します」


 短い金髪を後ろに撫でつけ、柔和な笑みを浮かべる男性だ。目元と口元に薄く刻まれた皺は、彼の経験の豊かさを物語るも、決して老いを感じさせはしない。そして、どこか雰囲気がシエルに似ている。特に目元などはそっくりだ。


「はは、ご丁寧にありがとうございます。改めまして、マザラン・バーミリオンと申します。いつも娘のシエルがお世話になっています」


「そんな、こちらこそシエルさんにはいつもお世話になりっぱなしで……」


 軽い挨拶と歓談を交わすと、マザランさんはオレの背後にいる執事に目配せをした。

 執事は一礼を返すと、奥の方へと引っ込んでいく。


「ここで、立ち話をするのもなんです。奥の客間の方で話しましょう」


「分かりました」


 ここまでの会話に一切、妙なところも難しいところもない。

 ただ、彼の底が見えないな、と思った。

 柔和な笑み、落ち着いた物腰、丁寧な口調……そのどれもがこちらに好印象を抱かせるに十分ではあるものの、だからこそ言葉の裏に潜む真意や、彼の腹の底といったものがまるで見えない不気味さもあった。


 無論、そう感じるのはオレの性格がひん曲がっているからに他ならないが。


 少し歩くと、客間と思しきところに付く。大きなテーブルといくつかの椅子。そしてテーブルの上には、白いテーブルクロスが引いてある。そこには先ほどの執事がおり、彼に案内されるがままに席についた。


 不自然で無い程度にあたりを見回す。だが、オレが探している人物の姿が見当たらない。


「シエルは今学校に行っておりまして。じきに戻ると思います」


「ああ、そうでしたか」


 目ざとくオレの思考を読んだマザランさんに空返事を返す。可能な限り中身の無い言葉を選び、こちらの底を見抜かれないようにする。


「お飲み物です」


 執事がオレの前にコースターと、グラスを差し出す。グラスの中にはやや濁ったオレンジ色の液体が注がれており、恐らくはそれが果実を絞ったジュースであることが分かった。


「甘いものは苦手ではありませんか?」


 マザランの問いに、オレは軽く首を振った。


「いえ、むしろ好物です」


「それは良かった」


 人当たりの良さそうに笑うマザランに礼を言うと、ジュースを一口口に含めた。

 甘くて、美味しい……のは確かなのだが、緊張によってあまり細かい味までは分からない。


「さて……」


 マザランが優しい目を細めた。瞳に微かな鋭さが点る。それは常人であれば気付かないだろう違いだ。だが、オレの完全記憶能力による微妙な差異の感知、そして死地を潜り抜けた直感がそれを気付かせた。


「トイチさんとは、こうして話すのは初めてですね?」


 表情は笑顔だ。極めて友好的に見える。だが、オレは今試されているのだと感じた。


「六将軍撃退の対策会議のときに、一度だけお会いしたことがあるだけです」


「ええ、あのときのトイチさんの弁舌と鼓舞には我々も救われました」


 薄く笑みを浮かべるマザランさん。その言葉に裏は無いように思う。


「そうそう。魔族の撃退と言えば、これは噂として聞きかじっただけなのですが……」


 そう前置くと、マザランさんは変わらない調子で尋ねた。


「トイチさんは他の勇者様たちとは距離を置かれているとか」


「ええ、まあ……」


 別に後ろめたいことがあるわけではないのだが、どう答えたものかと喉の奥で言葉がわだかまる。様々な理由を建て並べ、大義を振りかざすことはできるが、結局はオレの独断に過ぎないのだ。そのことで生じる各種の問題を、ブラント団長らに押し付けているだけに過ぎない。


 無論、勝手にオレたちを召喚なぞした向こう側にほぼ全ての責任があるので、そのこと自体に罪悪感は感じていないが、どうにも不義理な人間だと思われるのも嬉しくない。マザラン・バーミリオンはこの国を率いるバーミリオン商会の会長であり、他でもないシエルの父親だ。是非とも友好的な関係を築いておきたい。


「やむをえない、事情がありまして」


 数多くの文言が脳裏を過ぎったが、オレはあえて核心をぼかした言葉を返す。


「……ほう」


 マザランさんは続きを促すでもなくただ相槌を返した。ここで会話を終わらせても構わない、という意思表示だろう。


 だが、オレはあえて続けた。ここでやめては信頼を得られない。


「世界各地のダンジョンを巡っています」


「ダンジョンを……?」


「ダンジョンを巡る理由についてはお話できませんが、僕にとっては重要なことなんです。すみません」


 一息に告げて、追究を避ける。

 マザランさんは、「なるほど」と小さく口に含むように漏らすと、また笑みを浮かべた。


「問い詰めるつもりはこれっぽっちも無いのです。ただ、トイチさんがどうして他の勇者様たちと距離を置かれているのか気になりまして……お気に障ったのなら申し訳ない」


「ああ、いえ、気にしないでください。僕自身、特殊な状況に身を置いていることは理解していますので」


 やや砕けた口調で謝罪を述べるマザランさんに、安心する。だが、多分オレの返答次第では問い詰める気満々だったんだろうなと、漏れ出そうになる苦笑をぐっと堪えた。


 そこから他愛無い雑談に花を咲かせる。

 だが、いつまでたっても核心とも呼べる話題が出てこない。


 マザランさんは何のためにオレを呼んだ?


 その疑問に対する答えが出ることなく、会話が続く。


「そういえば、マザランさんはバーミリオン商会の会長だと伺いましたが……」


「名ばかりですけどね。一昔前はしがない商店経営者だったのですが、あれもこれもと風呂敷を広げていくうちにいつの間にか大きくなってしまって……」


 謙遜する言葉にいやらしさは無く、本当に驕りなくそう思っているようだ。目もとの薄いしわが深くなり、昔を懐かしんでいるのが窺える。


 回想の最中、ふと彼の表情に翳りが宿った。

 目を逸らし見なかったことにしようかとも思ったが、彼が直後に浮かべたバツの悪そうな顔を無視するのも難しかった。


「どうか、されましたか?」


 慎重に問いかけると、マザランさんはぽりぽりと頭を掻き、一口飲み物を口に含んだ。


「……質問に質問で返してしまい恐縮ですが……シエルから、彼女の母親の話を聞いたことは?」


「…………いえ、オレの記憶では無いはずです」


「では、あの子がハーフエルフであることは?」


「……それは……はい、彼女から聞きました」


「そうですか。あの子は本当にトイチさんを信頼されているのですね……」


 そういうとマザランさんは一瞬だけ瞑目し、ぽつぽつと語り始めた。


「少し昔話をすることをお許しください。まだ私が若く、商人としては駆け出しも駆け出しだったころ、一人の女性と出会ったのです」


 一つ一つ、確かめるようにして語る彼の言葉を、黙って聞き続ける。


「名はマルティナ。エルフ族の呉服屋の娘でした」


「エルフ……」


「ええ、お察しの通り、私の妻で、シエルの母でした」


 マルティナ。その女性がシエルの母親。


 シエルの口からは決して語られなかった事実が一つずつ明らかになっていく。彼女のいないところでその話をすることに若干の罪悪感を覚えながらも、彼の言葉に引っかかりを覚えた。


「母、でした……?」


「はい。マルティナは、11年前に亡くなっております」


 驚愕にオレは言葉を失う。


 シエルの母親が、亡くなった?


 気の利いたことの一つでも言おうとして、そのまま何も言えずにいると、マザランさんが続けた。


「正確には、私が殺したとも言えますがね……」


 彼の言葉に、ドクンと心臓が嫌な音を立てた。


「……それは、どういう」


 自嘲げに呟くマザランさんに理由を問う。


「私は当時、リスチェリカとアストアラ帝国の間で行商をしておりました。ある商機を見つけた私は、天候の悪化を無視してそのままアストアラ帝国へ荷を運んでいたのです。そこに妻も同行していました」


 マザランさんが目を伏せる。瞳の奥が覗けなくなり感情が読み取れない。


「崖沿いの道を進んでいたとき、事故が起こりました。豪雨で緩んでいた地盤のせいで、土砂崩れが起き、荷車が巻き込まれてしまったのです」


「それは……」


「彼女はいち早く土砂崩れに気付いて、咄嗟に私を荷車の御者席から突き飛ばした。そのお陰で私は軽い擦り傷で済み、彼女はそのまま土砂に潰されました。恐らく、即死でした」


 淡々と、まるで歴史でも読み上げるかのように話すマザランさんに、オレはどういった言葉をかければいいのか分からなかった。


 そして、胸中に湧き上がる感情に、オレは名前を付けかねていた。


「……だから、マルティナは――――シエルの母親は、私が殺したも同然なんですよ」


 ドクン、とまた心臓が跳ねる。


 聞いたことがある言葉だ。


 誰が言ったんだっけ。


 言ったことがある言葉だ。


 誰が言ったんだっけ。


 乾いた口を湿らそうとグラスに手を伸ばすも、既にグラスは空になっていた。口の中が甘ったるく、不快ささえ覚える。


 そうだ、オレが言ったんだ。


 オレが、春樹を救えなかったときも、オレは、同じ言葉を吐いた。

 そして、今も春樹はオレが殺したようなものだと思っている。


 彼が抱く罪悪感。


「ですから、娘のシエルだけは何に替えても守ろうと、幸せになって欲しいと、そう願っているんです」


 彼の抱く贖罪への意志。


「身勝手なのは重々承知しています。けれど、あの子にも詳しいことは言っていないんです。ただ、事故で死んだとだけ伝えています」


 彼だけが抱く責任。


「……もし私があの子に全てを伝えても、きっとあの子は私を許すでしょう。あの子はとても優しい子ですから」


 彼は、決して誰かにそれを背負わせようとはしない。


「だから、謝れないんです。それに、私に謝罪されたあの子は、今度こそ本当に寄る辺を失ってしまうんじゃないか、父親までもを失った気持ちになってしまうんじゃないか。そう思うと、絶対に、彼女には話せない」


 ああ、そうか。オレが彼に感じていたのは、


「――――――――分かります」


「え……?」


 どれだけ願っても出てこなかった言葉が、口からするりと漏れ出た。


「簡単に、分かるなんて言ってはいけないことは承知しています。それでも、言わせてください。オレは、あなたを、理解できる」


 どうしようもなく回りくどく、どうしようもなく矛盾的な言葉だけれども。


「きっと、オレもあなたも、罪を、背負い続けてきた。そして、これからも背負い続ける。それは変わらない。変えられない過去であり現実です。ただ、それに向き合い続けるしかない」


「トイチさん、あなたは……」


「……すみません、分かったようなことを言ってしまって」


 オレが小さく頭を下げると、マザランさんは片手でそれを遮った。


「気にしないでください。こちらこそ、つまらない話をしてしまいました」


「そんなことは……」


「そして、もう一つ謝らせてください。……私は少しだけずるをしました」


「?」


「私は、あなたが思っている以上にあなたのことを聞き及んでおります。あなたが何故、勇者様たちから距離を置くのか、現在何をやられているのか……」


 マザランさんはそういうと少しだけ躊躇って息を吐くように言った。


「そして、亡くなられたあなたのご友人のことも」


「ッ!?」


 予想外の言葉に殴りつけられたような錯覚に陥り、オレは思わず息を詰まらせた。


「…………それは、ブラント団長からですか」


 辛うじて震える声を絞り出す。


「はい。それと、私の色々な人脈から」


「……なる、ほど」


 その事実をあまり快く飲み込めはしない。自分のことを調べられていたことに、微かな不快感を覚える。ただ、マザランさんの顔は如何な罵倒でも受け入れんとする覚悟を決めていて、オレはどうにも感情をぶつけられなかった。


「だから、トイチさんを利用しました。私の罪を懺悔するための、……神父様になっていただいたのです」


 彼はオレを利用したと言う。それは自らの罪を告白するため。背負う罪を懺悔するため。

 それが彼の言う「ずる」の中身だ。


 ああ、確かにずるい。


 オレの体験と彼の体験は酷似している。どこまでも身勝手な自分の欲が、大切なものを取りこぼす結果に繋がったという点で、嫌というほど。


 だからこそ彼はオレに自らの話をしたのだろう。

 オレなら理解できると、共感できると思って。


「酷い人だ」


 オレの苦し紛れの憎まれ口に、マザランはコクリと頷いた。


「その通りです。私はとうに人でなしなのですよ。でも、」


 自嘲げに微笑むマザランの表情が引き締まる。


「繰り返しになりますが、私はシエルにだけは幸せになって欲しい」


 マザランさんは再び瞳に意志を宿すと、こちらをまっすぐに見て言った。


「あなたのことを話すシエルは本当に楽しそうに笑うんです。少し前までは外のことなんて、少しも話さなかったのに。それに、学校でのイジメも鳴りを潜めて、家で泣くこともなくなりました」


 マザランもシエルがいじめられていたことは把握していたようだ。彼女の幸せを願うものとしては当然かもしれないが。


「すべて、あなたのお陰だ」


 マザランが深く頭を下げる。


「お願いです。あの子の笑顔を守ってやってください。私には、シエルのあんな笑顔を引き出すことは出来ない」


 嘆願にも聞こえる悲壮な言葉。

 その言葉の一つ一つが、真にシエルの幸せを願うからこそ出てくる言葉であり。


 驕りもなく、ただただ純粋に娘の幸せを祈る言葉だ。

 だからこそ、彼の言葉は悲しい。

 自分ではシエルの幸せを築けないと。

 自分が壊してしまった、彼女が獲得していたであろう幸せはもう取り戻せないと。

 彼は知っているのだ。


「……だから、あなたはわざわざオレに……」


 合点がいく。

 シエルから父親の影を感じなかったのはこのためなのだろう。シエルがたった一人で商人としての修行をしていたのも思えばおかしかったのだ。父親は大商会のトップ。もっと支援があってもおかしくない。


 だが、恐らくマザランさんは意識してかどうかは知らないが、シエルから距離をとっていたのだろう。罪悪感と、責任感を覚えて。


 彼の願いは単純だ。


 オレにシエルを幸せにして欲しい。


 そのために、彼女の過去を、そして彼女の今をオレに伝える必要があったのだ。

 だからこそほぼ初対面であるオレに、あんな話をした。


「……ええ。だから、私はずるをしたのです」


 きっと、その話を聞けばオレは彼女を無下にできなくなるから。


「あなたの評判は勇者様たちの間ではまるで良くなかった」


 マザランは唐突にオレについて語る。


「ええ、でしょうね」


 その評価は妥当だ。彼らから見て、オレに関して褒め称えるべき点は一抹ほども存在していない。


「……けれど、彼らの語る君の人柄は、シエルやエーミールから聞き及んでいるものとはかけ離れていた」


「……エーミールの奴」


 気弱に笑う緑髪の商人の顔を思い浮かべて、笑い顔になり損なった苦笑を浮かべる。

エーミールはバーミリオン商会の商人だ。マザランとも面識がある。あいつが何かとオレのことを話したのだろう。いや、マザランが聞きだしたのかもしれないが。


「今、君と話して分かりました。君は、誠実で、思慮深く、合理的で、根が優しい」


「そりゃまあ随分な過大評価で」


「そして臆病で、自嘲的で、頭でっかちです」


「……そりゃまあ随分と辛らつな評価で」


 だが、彼の言っていることは概ね当たっている。

 前者の評価については正しいかどうか判断しかねるが、オレは出来る限り合理的な判断を下そうとしているし、下してきたとも思っている。常に思考を回し、臆病なまでに全ての可能性を考えて何とか生き延びてきた。

 前情報があったとはいえ、この数分の会話でそこまで見抜くのはさすが商人といったところか。


「……オレには、荷が重いです」


 彼のシエルを幸せにしてくれという願い。オレに、そんなものが背負えるとは思えない。

 幾度も掌に抱えたものを取りこぼしてきたのに。そんなオレに、彼女を抱える余裕も能力も備わっているとは思えない。


「……ええ。そう仰られるのも無理はありません。これは、全くの私の我がままですから」


 マザランはバツの悪そうな顔をする。

 その面影がシエルの浮かべる自信のなさそうな顔と重なって、何故か胸が締め付けられた。


「……荷は重いです、けど」


 だが、決めたのだ。


 全てを救うと。

 目の前に抱えなければならないものがあるのなら、それを抱えて進むのだと。

 もう何も取りこぼさないと。


 そう、決めた。


 だから、


「彼女の不幸を振り払うぐらいは、できると思います」


 それは欺瞞だ。


 シエルのハーフエルフという出自、シエル自身の気の弱さ、色々なことを考えてもきっと彼女には数多くの不幸が降り注ぐ。それを全て振り払うなど、それこそ運命の神にでもならなければ難しい。


 だが、それでもオレはやらなくてはならないのだろう。


 きっとこれも贖罪の1つ――――――


 否、オレが目を逸らしてはいけないものの一つなのだろう。


 シエルを救ったあの日から。


「……ありがとう、ございます」


 マザランはその場で立ち上がり、深く、深く頭を下げた。その意味は深い感謝だろうか。それとも――――


 オレはそんな彼の姿を、ただ微妙な表情で見つめるしかなかった。


次から次へとヒロインとの関係を深めていく優斗君。なお。

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