115、騎士としての初仕事
朝。それは、一日の始まり。
学生諸君におかれては、眠気と布団の誘惑に抗えずついついもう一眠りと洒落込んでしまう人もいるだろう。生憎オレ自身も学校が楽しみで仕方ない、というような人種ではなかった。人並みに毎朝憂鬱になりながらも、学生の本分を果たすべく代わり映えしない通学風景を見送り続けていた。
だが異世界においてはそんな一律的な教育課程に縛られることもない。好きな時間に起床し、好きなことをし、好きなように一日を終えられる。
さすれば、爽快たるはずの朝に憂鬱になる原因など無いようにも思えるのだが……
「あら、あなたも普通に食事をなさるのですね。意外でしたわ」
「およ? そういう騎士ちゃんも、騎士なのに主と一緒にご飯食べるんだ?」
「何か問題が?」
「分を弁えるって言葉知らない?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ」
何でこいつらは朝っぱらから火花を散らしてるんですかね……
はぁ、と目覚めてから何度目になるか分からないため息を漏らす。
どうしてこうオレの平穏というのはオレを取り囲む人間によって簡単に崩されてしまうのか。
必要上とはいえ、自らの身辺に人を置いておくというのがそもそもの間違いなのかもしれない。いや、ほぼ間違いなくそうだ。いっそのことこいつらもろとも追い出して――――
「……なぁ、お前ら、朝食ぐらい静かに食べたらどうだ――――」
「「少し黙ってて(ください)」」
「あっはい……」
家主の人権が確保されない家があっていいのかなぁ!?
オレは目の前で繰り広げられる水面下での…………否、水面上での大抗争にもう一度ため息をつくと、諦めたように目の前の朝食を口の中にかきこんだ。
「そういえば、魔法都市に出発するのっていつ?」
朝食を食べ終えたアルティが、皿を洗いながら聞いてくる。
場所は我が家のキッチン。紆余曲折あって、今はオレとアルティしかいない。オレは拭き終わった皿を食器棚に収めると、昨日の大臣との会話を思い出しながら話した。
「昨日から数えて七日後……だから、六日後の朝に出発だな」
「えー、意外と近いじゃん……」
「まあ、シャーラント自体はここからそう距離があるわけじゃないし、そんなに長期の遠征ではないだろ」
実際、小竜の類を丸二日ほど走らせていれば着くらしい。まあ、実際にそんなことをしては途中で小竜をダメにしてしまうのでどうしても片道3、4日は見なければいけないが。
こと移動手段の発達していないこの世界で、片道3、4日というのはかなり近所……それこそ隣町と言って良いような距離だ。帰りは転移魔方陣を使えるだろうことを踏まえても、そう時間のかかる旅じゃない。
「でもその間はだーりんからの魔力供給無くなるしなぁ……」
「まあ、その件については出発までの間、お前に渡す魔力の量を倍にするって感じで先払いさせてくれ」
「え、いいの?」
オレの提案にアルティが目を丸くする。皿を洗う手を止めた彼女を小突いてから、オレはやや曖昧に言葉を返す。
「……そうだな、正直オレはまだお前を信用しきっちゃいない」
そういうとアルティは「えー」と不満げに唇を尖らせた。
「でも、『コントラクト』の効果にはかなりの信頼を置いている」
オレと彼女の間には魔法道具『コントラクト』による契約が効いている。その内容を遵守する限り、彼女はオレに不利益が生じるような行動が取れないはずだ。
そして実際問題として、ここまで接近しておきながら未だにアルティはオレに害為す行動を一切とっていないのも証左の一つとして上げられるだろう。
「っつうわけで、まあ、先払いで魔力を上げても問題無いだろうと判断した――――」
「ありがとっ! だーりん!!」
「ぐえっ……」
アルティが胸元に抱きついてくる。
柔らかい感触が腹部に当たっていたり、濡れた手のまま抱きついてきたせいで背中がめっちゃ冷たくなっていたり、意外と体温が高いことに気付いたり、いやこいつ普通に力強くて背骨が悲鳴あげてね、などとオレが胸中定まらぬ状態になっていると足音がした。
「広間の方の片付けは大方終わりましたわ……わ?」
紆余曲折あった末にじゃんけんに敗北し、一人で広間の掃除をしていたリアがこちらを覗きこんでフリーズする。
まあ、待ってくれ。今この状況を見て言いたいことがあるのは分かる。うむ、よく分かる。
仮にも敵将である六将軍にこんな懐に潜り込まれている危険性とか、見た目だけだと中学生みたいな少女に抱きつかれてどうしようもなくお手上げしている男性とか、色々と思うところがあるだろう。
しかし、その上であえて言いたい。
「オレは何もやってないぞ」
「少し、話をしましょう」
話をしよう、と言ってくるやつは大抵こちらの話を聞くつもりが無いという普遍的事実に気付いたのは、それから間もなくのことであった。
それからおよそ30分。
説教が始まって5分ほどでアルティはどこかへ消えてしまった。それこそオレの察知できない隠密性能を見せて。
「……ですから、あまり彼女たちと親しくしすぎるのは……聞いてますの?」
「はい、聞いてます、そうですね、分かります」
肯定の言葉を吐くだけのマシーンと化したオレに、もう怖いものは無い。
リアの説教自体はオレのことを心配する感情が基軸にあるため、オレからは何も言うことが無かった。そもそも、リアに対してこれまでは敵意や煽りを込めた言葉ばかりを投げかけてきた記憶しかなく、関係を再構築しているいま何を言えばいいのか分からないというのもあった。
「……はぁ、これ以上は、言っても仕方ありませんわね」
「はい、そうですね」
「ユウト」
思わず勢いで吐いてしまった肯定の言葉に、リアが再び説教モードに入りかけるも小さくため息をつくと仕方なさそうに肩をすくめた。
そんな一挙手一投足も絵になるのだから、やはり世界は美男美女にとって非常にイージーに作られているらしい。
勝手にオレが世界の不平等を嘆いていると、リアはもう一度ふぅと息を吐いて自らの髪を指先で弄り始めた。その動作はいかにも少女らしく可愛らしい。まあ、こいつがオレを瞬殺できる狂犬で無ければの話だが。
何をするつもりかと警戒に目を細めると、リアは気まずそうに目を逸らす。それから何やら落ち着かない様子で咳払いをすると、オレの目を見ないまま言った。
「その、ユウト……今日は、一緒に、街に出ませんか?」
「……は?」
あまりに予想外な提案にぽかんと口を開けて情けなく固まる。
いや、女子に街に誘われるという状況を「予想外」と断じてしまうのは何か物悲しさを覚えない気がしないでもないが、どちらかといえばリアの口からそうした言葉が出ること自体に意外性があった。
というか、この戦闘狂王女に出かけるという文化があったことにびっくりだわ。
「何だ、『俺より強い奴を探しに行く』的なあれか」
「そんなんじゃありませんわ!!」
どうやら違ったらしい。
「なら、何だってんだ」
「……行きたいところがありますの」
行きたいところ……闘技場とかだろうか。
オレのイメージ内でリアが闘技場の剣闘士を全滅させたところで、ふと現実のリアの不安そうな表情が目に入る。
……ああ、そういうことか。
こいつ自身、偉そうなことを言っておきながらも、オレとの接し方が分からないのだ。かつては殺し合い、今では騎士とその主。しかもその関係もかなり歪ときた。恐らく彼女なりにオレとの接し方を探したい、そうした意味合いでの提案だ。
「……まあ、オレはどうせぼっちだからな、付き合うぜ」
「ほ、本当ですか!?」
途端、パァと顔を明るくするリア。
その反応に苦笑とともに納得を覚える。
こいつも、オレと同じぼっちなのだ。養子としてリスチェリカに引き取られ、強さを求め周囲の人間をなぎ倒す彼女に、友人や親しい親族がいるという話は聞かない。彼女もまたオレと同じく、ただひとりでこの世界に生きる人種なのだ。
オレの当初の彼女への嫌悪感はそうした同属嫌悪も含まれているのかもしれないな、と一人自己分析をする。
目の前では一人の少女が、まだあどけなさの残る笑顔を浮かべていた。
凛ちゃんを放置して何で別の女の子とデートしようとしてるんですか?




