113、十一優斗のあり方
ふらっ、と急に視界が暗くなる。
そのまま平衡感覚を失うと、オレはリアの傍に膝をついた。
血を、流しすぎたのだろう。
「……罪を……償わなきゃいけないんだ……罰を、受けなきゃいけないんだ……」
それは懺悔だ。罪の告白。
目を瞑り、ただ慟哭する。
「分かってる。分かってるんだよ……オレの在り方が矛盾してるってことぐらい……!」
でも、どうしろって言うんだ。
もう何も失いたくない。
もう失う辛さを味わいたくない。
だからすべて掬う。
だから何も見ない。
分かってる。
分かって、いる。
何も見ていない人間に、何が掬えるのだろうか。
「…………眼を、開けばいいじゃありませんか」
「リア、お前……」
気づけば倒れたリアがその瞼を開いていた。初めて聞く弱弱しい声だ。
けほっ、けほっ、とむせながらもリアは続けた。
「やっぱり、アナタはわたくしと同じですわ」
初めて見る、慈しむようなリアの表情。
「分からないんだよ……今、オレがどこにいるか」
「ええ」
「分からないんだよ……オレの行こうとしている道が合っているのか……!」
「ええ」
「オレは、罪を償わなきゃいけない……!」
「ええ、そうかもしれませんわね」
リアは優しい声で肯定を重ねる。
だが、その肯定は何も救いを与えてはくれない。
「わたくしも、同じです」
「その同じって、何だよ」
いらだつ元気すら沸かず、オレはただ純粋にリアに問いかけた。
リアは少しだけ迷いを見せると、ととつとつと語り始める。
「……わたくしは、小さい頃に母を亡くしました」
いきなり始まった昔話にやや眉をひそめる。
だが、リアは黙って聞けと言わんばかりに軽く笑った。
「わたくしの家は騎士の家系で、母も例に漏れず騎士でした」
「母親が、か?」
「ええ。ですが、わたくしが4つのときに賊との戦いで死にましたわ」
「…………」
彼女は淡々と語るが、その奥にはいかな感情が潜んでいるのだろうか。
オレには推して測ることもできない。
「それから、わたくしは強さを追い求めました」
「それは……」
「ええ……母の教えは間違っていなかった。母は立派な騎士だったと。そう証明しようと躍起になっていたのですわ」
リアはまるで他人事のように語る。
「周りの何事も見ないで。盲目に、ただ強さだけを追い続けていました」
それは、どこかの誰かと似ている。
「だから、この国の養子として引き取られたときも、別に何の感情も抱いていませんでしたわ」
リアは小さい頃にリスチェリカの国王に引き取られている。だが、その後に国王に実娘が生まれたことで不遇の扱いを受けてきた、との話は国王から直々に聞いた。
「いえ、もしかしたら何か思うことがあったのかもしれません。けれど、わたくしは見ないふりをした。その方が、楽だからですわ」
楽だから。
その一言は、深くオレの心をえぐった。
頭のどこかで気づいていた事実を突きつけられたようで、オレは息が苦しくなる。
「少し前のわたくしなら、こんなことは口には出さなかったでしょう。いえ、出せなかった。そもそも考えてすらいなかったのですから」
「じゃあ、何で……」
「アナタと出会ったからです」
オレとの出会い。それが、彼女が自らの歪んだ真っ直ぐさに気づかせたと言うのだろうか。
冗談はやめて欲しい。オレとの出会いが彼女を変えた? オレと彼女の接点など、決闘や度重なる衝突以外で何かあっただろうか。無論、共闘もしたといえばしたし、お互いに一度、命を救いあっていると言えばそれは事実だろう。
しかしだからなんだというのだろう。
オレは彼女を変えられるだけの存在ではないし、彼女の中でそこまでオレに重要な価値があったようには思えない。
そんなオレの心境を透かすようにしてリアは続けた。
「アナタに会うまで、わたくしは一度も負けたことが無かったんですの」
「流石に冗談だろ……?」
「少なくとも、1対1の正式な戦いにおいては」
なんていう強さの王女だよ……
オレが唖然としているとリアは小さく吹き出した。
「アナタを見て、わたくしに似ていると思いました。本当に、そっくりだった」
「……や、お前みたいな金髪美少女ではないんだが」
「そういうことでは、けほっけほっ」
「おい、大丈夫か!?」
先ほどまでのリアに向けていたはずの敵意は最初から無かったかのように霧散し、率直な心配が心の中を占めた。自分で自分の感情の推移が分からない。
急いで彼女の体に治癒魔法をかける。もう魔力も残り少ない。ガリバルディとの戦いで消費した魔力は全快していなかったし、その状態でリアと戦う羽目になったのだから無理も無い。全快までは治せないだろう。
「ありがとう、ございます」
「元はと言えば全部オレがつけた傷だけどな……」
やや自戒を込めた呟きを漏らすと、リアは「気にするな」と首を振った。
「挑発をしたのは、わたくしです。責任はわたくしにありますわ」
「けど……」
「話の続きをしましょう」
食い下がるオレを見て、リアは無理やりに話題を戻した。
「アナタを見て、わたくしは気づきました。自分がいかにどれだけのものに目を瞑り、耳を塞いできたか」
どうしてオレを見て気づく? そんな質問を投げかけられるほど、オレも自覚が無いわけではなかった。オレは今彼女の身の上話を聞いているような形で、オレ自身の在り方を突きつけられている。
「そして、分からなくなりました。今のアナタと同じように」
「じゃあ、何でお前は、そんな風に……」
安らかな顔でいられる。
罪を告白できる。
自分のあり方を認められる。
リアは一瞬だけ困ったような顔を浮かべると、オレの頬に手を当てた。
「どうしてでしょうか……自分の進んでいる道がどんなものか気付けてほっとしているのか……はたまたアナタのような同類を見つけられて安心しているのか……」
リアは冗談めかすように言ったが、そのどちらもが真実であるような気がした。
だが、その真実はオレにいっそう不可解をもたらした。
「……じゃあ、お前はこれから、どんな道を進むって言うんだ……散々、ここまで走ってきて、周りに何も見えない……来た場所も、行く場所も分からないんだぞ!?」
感情的に叫ぶ。自分の中にまだ叫ぶだけの激情が残っていたことに他人事のように驚きながら、けれどもオレは喉を嗄らすように叫ぶしかなかった。
だが、リアは一拍置くと薄く笑いながら言った。
「分かりませんわ」
「は……?」
安らかな顔で呟くリアに、オレはぽかんと口を開ける。
我に帰り、思わず文句を言おうとしたオレの言葉を遮ってリアが続けた。
「ですから、とりあえずは騎士としての職務を全うしようと思いますわ」
「騎士としての……職務……?」
脈絡無く出てきた単語に、オレはまたも首をかしげる。
こいつとの会話は、相変わらず成り立っているようで成り立っていない。
「ええ。強さだけを追って、ここまで来ました。それこそが騎士としての正しい在り方であると信じて。ですが、今はもうどうやってここまで来たかも、これからどうしようかもまだ分かりません。強さへの執着も、まだこれっぽっちも消えていませんから」
だから、とリアは自分に言い聞かせるように漏らした。
「アナタの下で、騎士をしながら、じっくりと探そうと思います」
騎士、というのがようやく国王がオレにリアを押し付ける名目で与えた役のことを指していることに気付く。
「おい……オレの騎士ってのは名目上のことで……」
「あら、名目が整っているのであれば、中身をそれに伴わせても構わないのでは?」
ぐうの音も出ない正論にオレは反論を失う。
「前回の旅では置いていかれてしまいましたので、今度は四六時中一緒にいてついて行こうかと」
「やめろ、いや、やめてください」
リアが付きまとうのを想像してオレは悪寒に身を震わせる。
「わたくしも、別にアナタの騎士を本気でやろうとは思っていませんでしたが……先ほどのアナタの様子を見て、そしてアナタの泣いている姿を見て……決めましたわ」
「…………あー、その、何だ」
曖昧な返事をするしかない。それは彼女にどう言葉をかけていいか分からなかったからだ。
少し前のオレであれば間違いなく拒絶していただろう。
彼女の言葉を鼻で笑い、自分に何のメリットがあるのかと問い糾したはずだ。
だが、彼女の告白を聞き、自分がどこに立っているのかも分からなくなってしまったオレに、そんなことはできなくなっていた。
「それに、アナタの傍にいれば、強さについてもいろいろと分かるでしょうし」
よく分からないが、彼女にはそう確信する何かがあるらしい。
「……さてと、これでわたくしのお話はおしまいですわ」
それは暗にオレに答えを求めているように聞こえた。
胸の奥で楔が鳴る。ズキズキと鈍い痛みを、主張する。決して抜けない、重い、どこまでも重い楔が彼らの声で呻くのだ。
オレが言葉になりきらない声を喉の奥で鳴らしていると、リアはオレの手を握った。
「見ていて思いましたが、アナタ、結構軟弱ですわよね」
「お前、一応オレに二連敗だからな?」
「いえ、そういうことではなく。……アナタが弱いということにわたくしは気付きました。いえ、気付けました。もちろん、帰ってきた途端、黙っていなくなったことを謝りもせずにあーだこーだと言い募ったことには腹が立ちましたが……」
「いや、それは……」
「けれど、それもきっとアナタの弱さなのでしょう。……だから、わたくしはアナタの騎士になると決めたのです」
何を言っているのか分からない。
オレが必死に言葉を探していると、
「……ですから、そんな騎士から一言。今は、答えが出なくてもいいのではありませんか」
「は……?」
答えを求められるとばかり思っていたオレは、その予想外の言葉にぽかんとする。
「アナタの背負っているものは重い。恐らくは、とても」
「…………」
「ですから、きっと、簡単に答えは出ないものだと思います」
「オレは……」
「それでも、前に進まなければならないのだとも、わたくしは思います」
「…………」
リアの言葉はとても優しいが、とても厳しい。
甘えを許さず、ただただ霧の中を歩き続けろと、そう言っている。
「前を見なさい。アナタの周りを見渡しなさい。決して目を逸らさずに、アナタなりの答えを見つけなさい」
「…………厳しいな」
「ええ、わたくしも、やらなければならないことです」
リアはしっかりと目を開いて言った。オレができないことを、やってのけようとしている。
「オレに、できるのか……?」
「きっとできますわ。彷徨い人としてはアナタより十数年の先輩であるわたくしが、太鼓判を押しましょう」
彷徨い人の先輩。
その表現にオレは小さく笑ってしまう。
リアも笑う。
そうしてやっと気付く。
オレがリアを疎んでいた理由。
それは、同属嫌悪からだったのだと。
そしてリアがオレにまとわりついたのは、オレが同属だったからなのだと。
彼女と腹を割って話して思った。
オレは中途半端過ぎた。
何も見ずに、すべてを救うなど、できっこない。
だから、少しだけ。
怖くても、辛くても、目を逸らしちゃいけない。
まずは目を開け。
手の中に抱えたものから、目を逸らすな。
自分の抱えたものぐらい、しっかりと向き合え。
……そうだ。見なくちゃいけない。
オレは、自分の罪に、誠実に向き合っていると思っていた。
だが、甘えていたんだ。
目を瞑って耳を塞いで、逃げ出そうとしていた。
楔が疼く。オレを嘲る声が聴こえる。
まだ、怖い。でも、それでもオレは――――
強く目を瞑って上を向く。
瞼越しに太陽の光が薄赤く輝く。
重い瞼を、開いた。
目を見開いて見つめたこの世界の空は、しっかりと、青色をしていた。




