1、呼び出された勇者たち
いつもどおりの日常。
予め定められた脚本どおり淡々と進み、予想外の出来事など一切起きない。
誰もその退屈さに気づかないまま、否、気づいても蓋をしたまま一日一日を過ごしていく。
当たり前でくだらない何の変哲のない日常を、淡々と坦々と単々と営みながら。上っては沈んでいく太陽を見送り続ける。そんなバカみたいに代わり映えのしない毎日に悪態を付きながら、いつも通り眠りについた、はずだった。
体に奇妙な浮遊感を感じる。まるで、高いところから落下しているような。いや、逆に空高くに飛揚している感覚に近いかもしれない。そんなどちらともいえない、重力の概念が消失した世界にたゆたう。
光も闇も、熱も冷気も、楽しみも悲しみも感じない。
あまつさえこの思考すら、存在していないのかもしれない。
……我思うゆえに我ありと説いたのはデカルトだっただろうか。
だが、この場には思う我すら存在していない。何もかもが不確かで曖昧で狂おしいほど温かい。
そんな、無為の中に漂う時間は永遠には続かない。。
遠くでオレを喚ぶ声が聞こえる。
誰――――?
呼びかけたい。声を聞きたい。姿を見たい。会いたい。――――知りたい。
そんな抗いがたい欲求に呑まれるも、体の無い自分を動かすことは許されない。
オレに呼びかける何かの声に惹かれるようにして、酷く冷たい光に包まれた。
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ふと、意識が思考の水底から現実へと戻ってくる。暗く無意識の世界からの帰還。目が覚めるたびに何故戻って来られたのだろうと不思議に思うのはオレだけだろうか。
「知らない天井だ…………」
これからロボットみたいなのに乗せられて使徒と戦わされそうな主人公のセリフを吐く。
ふと床に置いた手から冷たい感触が伝わる。徐々に頭が覚醒し、それが大理石の床であることをオレの手の感触が伝えた。
にじんでいた目が冴え、改めて周りの景色を見やる。
かすかな目眩を覚える。それが何によってもたらされてのかはわからない。乗り物酔いにも近い感覚だ。
そんな目眩を押しのけ、周りの映像を脳内で処理していく。
やはり、知らない場所だ。複雑な紋様の描かれた大理石の床や天井、そして神官服とでも言うのだろうか、ローブに身を包んだ男女十数名の姿が見える。なんか、ジョブチェンジとかできそう。
あえてくだらない思考を回すことでその状況を冷静に鑑みつつ、オレは自らの記憶の断片を手繰り寄せる。
昨晩オレはいつも通り自宅のベッドで眠りについたはずだ。その証拠に、オレは寝巻き用の青ジャージを着用している。青一色のジャージとか私の寝巻きダサすぎ……?
まあ、それはさておくとして、就寝後に再び記憶が始まっているのはつい先ほど、この場所で目が覚めたときだ。
とどのつまり、オレは昨日寝たところから、この神殿のような場所に来るまでの記憶が一切無いことになる。
「おかしい……」
明らかに記憶が欠落している。いや、寝ている間に誰かに運ばれた可能性が高いか? 一体誰が、どうして?
頭の覚醒に伴い疑念がグルグルと頭を駆け巡り、幾ばくかの恐怖がオレの背筋を撫でる。
そんなオレの様子を知ってか知らずか、ローブ姿のうちの一人、年長者と思しき老人がこちらに気付いて近寄ってきた。な、なんだやるのか。
「――――お目覚めになりましたか、勇者様!」
老人が明朗な調子で告げる。
……待て、今なんつった?
既にキリキリと悲鳴を上げ始めているこめかみを押さえつつ相手の言葉を待つ。
「ささ、こちらへ」
そう言って老人がオレの肩を押す。周囲のほかのローブ姿たちも「おお、ついに最後の勇者が……」「ありがたやありがたや」「これでリアヴェルト王国も安泰だ」などといった歓喜の声をあげている。
その様子を見て、オレは唖然としながら自分の頬をつねる。
鋭い痛みが頬を走った。
だが、正気に戻る気配も、夢から醒める兆候も見られない。
……まあ、ここまで言われれば嫌でも分かるわな。
オレは老人の案内に従いながら内心で苦笑する。
どうやら、勇者として異世界に召還されちゃったみたいです。
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簡単にオレのことをまとめておこう。
オレは、十一優斗、しがない普通の高校二年生だ。
趣味はサブカル全般。得意なことは勉強。嫌いなものは運動。特に無意味な長距離走は理解できない。とまあ典型的なインドア気質。彼女などというけったいな代物はこの短い生涯で出来たことは無いが、顔はフツメンを自称している。自称しているだけで客観ししたらまあ悲しいかな平均以下なのだろう。コミュニケーション能力はそこそこ高い、つもりだ。モテないのはイケメンでないからだと信じて疑わない。そうじゃないと顔以外の様々な要因に非モテの責任を負わせる必要が生じてしまい、精神衛生上あまりよろしくない。
などと、思わず自分の境遇を振り返るぐらいには目の前の光景は歪だった。
「早く家に帰してくれっ!」
先ほどから茶髪の若者が、ローブ姿の神官たちに突っかかっている。
……神官でいいんだろうか。神殿風の建築構造と彼らの姿や雰囲気から宗教関係者と断じてしまっているが……まあ、概ねの理解として問題がなければ構わないか。
そんなことを考えながら、茶髪の男子や周囲の若者たちをさりげなく見回す。
そう、何を隠そう異世界から勇者として召還されたのはオレだけではなかったらしく。周りにはオレと同じように現代日本から飛ばされてきたであろう人々が……
……ざっと数十人。
多くない? なにこの勇者のバーゲンセール。
なんでこんなに大量に勇者が召喚されてるんですかね……ちくしょう、選ばれた勇者とかいう胸熱展開に心躍っていたオレの童心を返してくれ。
オレがくだらなく独り不貞腐れている最中も、勝手に召喚されたことに怒り心頭と言った様子の若者たちの議論は紛糾している。明らかにファンタジックな格好の神官たちと、現代日本の画一化された洋服をまとっている少年少女の共演という絵面はシュールさを通り越して、一種の滑稽さすら感じる。
急にこの世界に呼び出されてからはや1時間ほど。今、この場は幾つかの派に分かれている。
一つは、今突っかかっている茶髪の若者に代表されるように現状を理解し、神官たちへと怒りを募らせる者たち。一つは、現状を理解できずに狼狽したり泣きじゃくったりしている者たち。そして、最後にオレのように現状を理解しつつも、傍観を決め込んでいるもの。多分これが一番少ない。
「訳が分らないわよっ! 早く、元の世界に戻しなさいよっ!」
茶髪の後をついで気の強そうな女子が続ける。女子だよね? 多分高校生ぐらいに見えるから女子でいいと思う。女性の年齢の推定は得てして難解なものだ。過去に幾度となく間違った年齢を指摘して顰蹙を買っているからな。基本的にはちょっと若めに言っておくと失敗はない。
「……ええ、皆様を勝手にこの場にお呼びしたことは大変申し訳ございません。ですが、これは神の御意志でございまして……」
老人が困った様子でしどろもどろになりながら答える。先ほどから代表して受け答えをしている。あの老人がこの場の責任者と見て間違いないだろう。
「そんなの知らないわよ!」
「申し訳ありません……ですが、どうかお話だけでもお聞きください」
「誰がそんなっ――――」
気の強そうな女子がついに怒りのあまり椅子から立ち上がろうとしたところで、別の椅子が引かれる音が聞こえた。
「ちょっと待とう」
さわやかな声。高すぎず低すぎず、耳障りでない透き通った声でありながら、聞くものに存在感を主張する、確かな芯も持つ最高の声質。
「はぁ? あんた、誰……よ……」
声の主に怒りの矛先を向けようとした女子の声が尻すぼみになる。
無理も無いだろう。
声の主は、サラサラとした黒髪をたたえた絶世の美丈夫だったからだ。
まさに絶世と呼ぶのが相応しい顔だち。鼻立ちはすっと整っており、顎は細い。まつげは女子のように長いにも関わらず、その顔の均整を崩すことなくさらに美しさを高めている。外国人のように目鼻立ちがくっきりしているかと思えば、日本人らしい丸みを帯びた頬も持ち合わせており、一種の芸術品なのではないかと見紛うほどの整った顔だ。
そのイケメン君はおもむろに立ち上がると、透き通った声で続けた。
「話だけでも聞いてあげたらどうだろうか? 彼も、とても困っているようだし」
そう言うとそのイケメンは周囲を見回した。
「皆も少し落ち着こう。とりあえず、彼の話を聞いてから判断しても遅くはないはずだよ。それに、……老人をイジめるのは僕の趣味には合わない」
そう言うと、先ほどまで啖呵を切っていた面々に改めて顔を向けて、微笑をたたえた。
ズッキューンと、一昔前の効果音が流れそうなぐらいの悩殺スマイル。男の中にも顔を赤らめてるやつがいるんだけど大丈夫かしら、あれ。
その状態は、魅了と呼ぶほかはないだろう。
「ま、まあ、そうね……話ぐらいなら」
「あ、ああ。お、おれもちょっと焦ってた……」
そう言うと、いきり立っていた彼らもその怒りの矛を収め、罰が悪そうに一人また一人と席についていった。
……すげぇカリスマ性だな。
内心で、その場を収める能力の高さに舌を巻く。あの紛糾して平行線を辿っていた議論と、負の感情を鶴の一声で収めてしまった。イケメン君、恐ろしい子!
「ふふっ。流石、輝政ね。よくやるわ」
「そうだな。輝政はこういうことは得意だからな」
「やめてくれ。僕はただ彼らに話を聞こうって提案しただけだよ。何もやってない」
輝政、という名らしいイケメンは両隣に座っているキリっとした目つきの女子と、熊のような大柄の男子の賞賛を、きまりが悪そうに受け取っていた。ふむ、今の感じだとあの三人はここに来る前から知り合いだったのか……?
先ほどから見ているとどうやら友達と一緒に飛ばされてきた若者たちが多いようで、それぞれが知り合い同士でグループを作って集まっていた。この中でグループに入れていないのはオレぐらいかもしれない。
し、仕方ないだろ! 目覚めたのが最後だったから、出遅れたんだよ! なんか、既にみんなグループ作ってて近寄りがたかったし!
などと自分自身に意味の無い言い訳をしていると、老人が安堵に息を漏らして告げた。
「ありがとうございます。改めて皆様には謝罪と感謝を。このたびは、この世界『グランティリエ』に無断でお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。そして、ご足労頂き本当にありがとうございます」
「勝手に連れて来られたんだけどな」
「ちょっと!」
発言の合間に野次が飛ぶも、老人は苦笑しつつ続ける。オレは老人の発言に感じた違和感を一旦保留し、彼の言葉の続きを待った。
「皆さん、ここが皆さんの元いた世界とは別の世界だということは先ほども説明いたしました。信じられないことでしょうが、このように……」
そう言うと老人は手を顔の前に掲げた。
「火よ火よ、その紅き心で全ての邪を灼き尽くせ―――『ファイアーボール』」
そう唱えると、おっさんの手の中に拳サイズの火の玉が形成される。
「うそ……」「おいおい、マジかよ……」「手品じゃねーの?」「でも周りに何もないよ?」
などと、三者三様な感想が飛び交う。
なるほどね、魔法が存在する異世界か。で、彼の発言やこの建物の構造を見るにここは、神殿、もしくはそれに準ずる宗教施設。異世界から勇者召還なんて大掛かりなことやってるんだから、国の直属宗教機関かもしくは宗教がカーストトップに位置する国の可能性が高い。
そんなオレのやけに回る思考をよそに、老人は説明を続ける。
「この世界には魔法が存在します。あなた方の世界とはここが大きく違うでしょう。そして我々の世界は今大きな――――」
「……待ってください、一つ質問が」
今までだんまりを決め込んだオレが急に声をあげたことで周囲の目が一斉にこちらへ向く。
「なんでしょう?」
出鼻をくじかれたにも関わらず、柔和な笑みをたたえたまま老人がこちらに顔を向け、続きを促してくる。
「いや、あなたは今オレらの世界に魔法は無い事実をご存知でしたが、それはどうやってお知りになったんですか?」
そう、何故オレらの世界について彼らが知っているのか。
ついでに、何故世界が違うにも関わらず言語理解が可能なのか。そもそも、老人は自分たちの世界を『グランティリエ』と名乗った。世界に名称をつける行為は、他の世界があることを認知していなければ生じ得ない行為だ。無論、元の世界でも「現世」や「隔世」、「天国」「地獄」などといった世界の概念はあったが、それとはまた別種の区別に思える。
彼らの事情を聞く前に、それを明らかにしておきたい。
「そうですね……そのことも踏まえて、これから皆様に全てをお話します」
そう言うと老人は一息置いて、こう続けた。
「この世界、グランティリエには人間以外にも様々な生物が生息しています。犬や猫、牛などの動物に加え、亜人である犬人族や猫人族、人狼に天翼族など……多種多様な生物が。そして、人に害を為す魔物に、逆に人を助ける精霊などの魔力を糧とする生物。そして、今まさに我々と戦争をしている、魔人族」
戦争……その響きに場の熱が引いていくのを感じた。
「魔人族は、それはそれは極悪非道でありまして、襲撃を受けては日々多くの人が苦しめられ、その命を奪われています。そんな彼らと我々はもうかれこれ300年以上戦っており、つい数年ほど前までは、戦況は拮抗していました。しかし……」
老人は複雑な表情でとつとつと述べる。
「魔人族が急に勢力を増し返してきたのです。その原因の一つが六将軍の着任です」
つよそう。
「六将軍は魔人族の中でも強大な力を持ち、瞬く間に各地を蹂躙していきました。我々は徐々に悪化する戦況に日々頭を悩ませていたのです」
徐々に老人の口調が強く、激しいものへと変わっていく。
「しかし、そんな衰退と敗北しか見えない未来に打ちひしがれていた我々に、天からお告げがあったのです! 勇者様をお呼びすることで、戦況を覆し人間を勝利に導くことができると! 神は我々に、こことは別の世界の存在をお教えになり、そこから勇者たりえる方々をお呼びするよう仰せになりました。そして、神は我々に皆様をお呼び立てするための魔法陣をお伝えになり、勝手ながらも皆様を召喚する次第となったのでございます。どうか、どうか、皆様方のお力を、我々人類の存続のためにお貸しください! このままでは我々は、必ずや魔人族めに滅ぼされてしまうでしょう! どうか、どうか皆様方のお力を…………!」
そう言うと老人は、椅子からおり、床にこすり付けん勢いで頭を下げた。傍に控えるローブ姿の人々がその姿に狼狽して止めているが、老人は頑として頭を上げようとしない。
その姿に誰しもが気まずそうに、自分がどうするべきかを考えあぐねていた。決して若くはない柔和そうな笑みを浮かべていた相手が、土下座をしているのだ。そらまともな人間が狼狽しないわけがない。
対して、オレの感想は非常に冷たいものだった。
……あのじいさん……中々くえないな。
先ほどまで、明らかに非協力的ムードだった若者たちを自分の演説でものの見事に覆した。少年少女の顔には、明らかな憐憫とためらいが見て取れる。
別に彼の発言全てが嘘偽りと断じたいわけじゃないし、オレもそこまで性格が悪いわけじゃない。だが、あの演説は意識的にしろ無意識的にしろ効果的面だったってわけだ。
そんな風に考える自分自身に対して内心で性格の悪さに苦笑していると、イケメン君が再び立ち上がっていった。
「…………僕は彼らを助けたい。人々を苦しみから救ってあげたい」
その瞳には強い意志が宿っていた。マジで言ってんのか。何かの冗談だろうと耳を疑っていると、そんなオレの考えを咎めるように彼は続けた。
「目の前に苦しんでいる人がいるのに放っておけない。僕に力になれるのであれば、喜んで力になろう」
そう言うとイケメンは全ての人間を虜にするような笑顔で笑った。
「ふふっ……もう、仕方ないわね。輝政は一度決めたら絶対にまわりの意見を聞かないから。いいわ。私も協力する」
「おれも力になるしかないな。輝政。お前はなんだかんだおっちょこちょいなところもあるからおれが支えてやる」
そう言って両隣のイケメンズフレンドが薄く笑った。
それに付随するように、イケメンの周囲にいた面々が参加を表明していく。どうやら、イケメンの周囲に集まっている男女7~8名ほどは全部あいつの友人らしい。すげぇな、おい。オレなんて今ぼっちだぜ。一人ぐらい分けろよ。やっぱ平等って大事。
ってか、何だよあの主人公力。流石に恐ろしいレベルなんだが。
「あ、ありがとうございます!」
老人が感涙にのどを詰まらせる。
その後、その場の全員が参加を表明したのは当然の流れだった。
え、オレ? いや、気付いたら参加することになってたよ。
読んでくださってありがとうございます!