ストーカー他菜さん
「今日は早いね彦くん。先に帰っちゃったからびっくりしたよ。いつも誘ってるのにいつも先に帰っちゃうんだから。照れ屋だなあもう。でもわかってるから。私はそんな事で君のこと嫌いになったりしないよ。今開けるから待っててね。」
玄関の外でクラスメイトの他菜さんの声が聞こえる。
鍵穴をガチャガチャといじくる音もこっちに響いてきている。
僕はマンションの3階、角部屋に一人で住んでいる。
因みに他菜さんと僕の関係は只のクラスメイトで付き合ったりしているわけじゃない。
一度告白されたことがあるが、きっぱりと断った。
でも何故か今でもこうして付き纏われている。
このストーカー行為は最初の頃に比べるとかなり酷くなった。具体的に言うと家の鍵穴を開けるための道具を持ち歩くようになったり、僕の生活スケジュールを完全に把握するようになったりと、その行為のプロになりつつある。
そして僕はそんな彼女をもう異性としてではなく恐怖の対象としてしか見れなくなっていた。
「ただいまー。」
彼女は鍵穴を突破し、その姿を現した。
学校帰りなので勿論制服姿なのだが、学校の制カバンに鍵穴突破用の道具が入っていると思われるアタッシェケースがその口からはみ出している。
扉を開けると当たり前のように鍵を閉め部屋へ上がってきた。僕は居間で立ち尽くしている。
「彦くん。たーだーいーまっ!」
と言って抱きつく他菜さん。淡い赤の髪色をしたショートヘアに黒縁メガネ、セーラー服のよく似合う清楚な人。
「他菜さん犯罪だよ鍵穴突破は。」
毎回言っているはずなのだが残念ながら、他菜さんが鍵穴突破をしたのはこれで4度目だ。
その所為か最近ではかなり家に入ってくるのが早くなった。
「彦くんが開けてくれないからでしょ?照れ屋さんめっ!意地悪っ!」
「いや違うよ入ってきて欲しくないんだよ照れ隠しとかじゃないよ警察呼んだことあるよね?」
そう、一回目の鍵穴突破の時、僕は他菜さんの只ならぬ狂気を感じて恐怖し、警察に通報したのだ。
しかし、警察が来る頃には他菜さんは鍵穴突破に成功しており結局、その通報は悪ふざけとして処理された。他菜さんも他菜さんで警察がきても全く動揺せず完璧な演技をして見せたのだから本当に怖かった。
「もー照れ屋さんなんだからっ!」
ぎゅっと抱きつく力が強まる。
他菜さんは肝心な所で話が成り立たない。特に他菜さんのストーカー行為を追求する時や、他菜さんを帰らせようとしたりする時だ。それ以外は普通に話すことも論理的なのに、一体どうしてなんだ。
「他菜さん帰ってくれないかな。君がいると怖くてリラックス出来ないんだ。」
「リラックスできないの?マッサージしてあげよっか?ぎゅーーーっ!」
「……………。帰ってくれ。」
「あのね……私、彦くんのことが好きなの……。だから、付き合って下さい!お願いします!大好きです!結婚しましょう!子供はふたりが良い!」
駄目だ。普通の方法では絶対に他菜さんは帰ってくれない。まあこれもいつものことなんだけど言わずにはいられないんだ。
「わかったよ他菜さん。取りあえずそこに座って。」
僕はテレビの前に置いてあるちゃぶ台を指した。少しゆっくりと話し合おうと思ったのだ。
「私、彦くんの上に座りたい!」
「いや、今からゆっくり話し合いたいんだ。向かい合わないと話しづらいでしょ。」
「私、彦くんの上じゃなきゃ嫌!」
絶対に僕の意見は聞き入れない。他菜さんはそういう所がある。
「………わかった好きにして良いよ。」
僕は抱き付いたままの他菜さんを引きずるようにしてちゃぶ台まで向かった。
他菜さんは僕が腰を下ろしてあぐらをかくと同時に脚で僕のお腹を挟み、お尻はあぐらをかいている脚のくぼみに嵌まる形になった。そして腕は背中に回り顔は胸にくっついている。
要はまだ抱きついていると言うことだ。
「他菜さん。僕は君の事が怖い。だから付き合うことはできないよ。」
「また照れ屋さん発動してる。駄目だよ?そんなんじゃ。」
まあいつもの返答だ。僕が他菜さんの事を好きではないと言うといつも僕を照れ屋だという事にして誤魔化す。
「一度きっぱりと君のこと振ったよね。それは覚えてる?」
「うーんそんなことあったっけなー。わからないなー。」
無かったことにするつもりか。
「いや、あったんだよ確かに。無かったことにはさせない。これはまず認めようよ。」
「ねえ……。私今日大丈夫な日だよ…。する…?」
この野郎。
「…………。真面目な話してるんだけど。話聞いてる?」
「彦くん良い匂いする。クンクン、クンクン、はあー……。良い匂いっ!」
「てめえこの野郎!!」
とうとうイライラが頂点に達し、他菜さんの拘束を力づくで解き、弾き飛ばす。
「いたっ!い、痛いよ彦くん!乱暴はやめて…」
衝撃でズレたメガネ越しにこちらを見る他菜さん。
「乱暴なのはどっちだ!!鍵穴突破するお前の方だろうが!」
「それは彦くんが入れてくれないからでしょ!乱暴じゃないよ!」
「入れてくれないじゃなくて入れたくないんだよ!何回もいってるだろ!?」
「それは照れ隠しでしょ!こんな時にまで照れ隠ししないで!」
ことごとく事実をねじ曲げやがる。こいつは化け物か。
「お前な、本当にいい加減にしろよ…。」
僕は倒れている他菜さんに近づく。
「な、なに?彦くん怖いよ……。あっいたっ!」
他菜さんの手首を掴み無理矢理立たせる。
「出ていけ。」
僕はそのまま玄関口へと引っ張っていく。
「あっ…やだよ!彦くん!やだ!ごめんなさい!ごめんなさい!許して、」
「ごめんなさいって、何が悪いかわかってるのか?」
足を止めて振り返らずに言う。
「えっと、その……わからなかったけど恐かったから、その…」
その時、頭のどこかが切れた。
僕は空いている方の手で他菜さんの頬を掴み、壁に押し付ける。
「うぅっ!乱暴は、やめてぅ!」
手で口が歪んでいるため変な発音になる。
「お前は頭がおかしいよ、壊れてる。会話がやっぱり成り立たないし。する気無いの?」
僕は壁に押しつける手の力をより一層強めて言う。
「…ぅ……う…や……だ……。」
すると他菜さんの目から涙が流れた。
「……やだ………恐いよ……彦……くん…!」
泣きながら訴える他菜さん。
「じゃあこれに懲りたらもう付き纏わないでくれ。カッとなって女の子に手を出す男なんてやめといた方が良いよ。」
そう言って僕は手を離した。
キレてしまった。しかも他菜さんとは言え手を出してしまった。最悪だ。
流石に懲りただろう。学校でもキレた姿なんて見せたことなかったし、さぞかしショックだったことだろうな。
僕もショックを受ける程だしね。
他菜さんはまだ泣いている。まあ、放っとけば帰るだろう。
「はぁ……ごめんね。カッとなって手を出したよ。でもこういう奴でもあるんだよ僕は、知れて良かったね。」
他菜さんを見ずに言った。なるべく酷い奴を演じなければまた付き纏われるかも知れないからだ。
すると、後ろからドンっと身体を押されたかと思うと他菜さんが背中に抱きついていた。
「でも、それでも好き。」
僕は固まってしまう。
「彦くんには壊されてもいいって思うぐらい好き。もう壊れてるってさっき言われちゃったけど。」
「怒らせちゃったのはごめんなさい。でもやっぱりなんで怒られたのかはわからない。それもごめんなさい。何故か君のことを考えると、頭が回らなくなっちゃうんだ。やっぱり壊れてるね、私。壊れちゃうぐらい好きってことなのかな。」
そうか、本当に壊れていたんだな。
だから怖かったのか。
「付き合ってくれなくても良いから、少しだけで良いから相手して欲しいな。」
「僕のことを考えると頭が回らなくなるなんて初耳なんだけど。」
もしかして僕に対してだけ挙動が変わるのも、プロのようなストーカー行為もそんな単純な理由だったのか。
「私も今初めて気づいたんだよ。」
正直、その可能性は見落としていた。
「そうか……わかったよ。」
どうせこのままじゃ埒があかないし。
「付き合おうか。君のアホが治るまで。」
「ずっとアホのままでいます!」
ぎゅっと抱きつく力が強まった。