こういう仕事をしています。
「何なのよ、それ……」
三日前の夜の一連の出来事を思い出し、つい口走る。
「えっ!? あの……西条さん、そんなに駄目ですか? この資料……」
「あ、ごめん。違うの、ちょっと考え事しちゃって。ごめんね」
眼前にいる、今年の新入社員である男女二人のうち、男性の方が心配そうに尋ねてきたので、慌てて訂正する。
作ってもらった資料のレビュー中なのに。いけないいけない。
「で、どうですか、資料の方は?」
私が担当している新入社員二人のうちのもう片方の女性が恐る恐る訊いてくる。
「そうだね……大まかなラインはこんな感じでいいと思うよ。ただ、この説明、日本語としてちょっとおかしいし、それから誤字脱字もちょこちょこある。この資料、私に提出する前に見直しした?」
「……いえ」
「してませんでした……」
「こういうミスって確実にゼロにすることはできないのね。私だってしちゃうし。でも、作成後に見直しをすることで、最小限にすることはできるわけ。ミスの少ない資料の方が、お客様から信頼してもらえるでしょ?」
新入社員達は神妙な顔で頷く。
「内容としてはいいものができてるから、後はそこだけ直してもらえる?」
「はい、分かりました」
「すぐに直してきます」
「うん。宜しく」
話が済むと、新入社員の二人は足早に自分の席に戻っていく。
私が任されている新入社員二人は、共に今年の新卒。まだまだ仕事はできないし、覚えが悪いところもあるけれど、未熟者ながらがむしゃらに頑張っていると思う。早く仕事を任せられるように成長してくれればいいな。
「頑張っているようだね」
早速資料の修正作業に取り掛かるべくPCに向かい始めた新卒二人を見つめていたら、背後からそう声を掛けられた。
振り向き、その声の主の姿を知覚した途端、心臓の鼓動が急激に早まるのが分かった。
「榊課長。はい、とても頑張っていますよ、彼ら」
「彼らもそうだけど、僕が言ったのは君のことだよ。新入社員の教育係を任命されたの、初めてだったろう?」
「! そんな……ありがとうございます」
穏やかな微笑みを浮かべている端正な顔に、切れ長の優しい瞳に見つめられる。囁くように告げられた賞賛の言葉は、私の鼓膜を、そして心までも甘く痺れさせる。自分の顔が紅潮してるだろうことが分かるほどに熱を帯びる。
「ところで、昨日の件だけど……」
「あっ……昨日は申し訳ありませんでした。今後はあのようなことがないように致します」
「そうしてもらえると僕も助かるよ」
昨日の件とは、もちろんホテルでの一件のこと。周りに聞こえてもいいように、仕事の話っぽくしてるけど。
昨日は久々に二人きりになれたのに……あの忌々しい天使野郎がいるもんだから。
「はい。是非、懲りずにまたご指導ご鞭撻のほど、お願いいたします」
「うん、また、ね?」
私にだけ見えるようにウインクをし、榊さんは別の社員の元へと歩み去っていく。
……かっこいい人だなぁ、やっぱり。
「え? 彼氏?」
「はい。やっぱ、西条さんは彼氏いるんですか?」
昼休み。担当している女性の新入社員――永野加奈子を誘って、職場から徒歩5分のところにあるイタリアンレストランで野菜たっぷりのトマトスープスパゲティーを食べている最中、永野が少し身を乗り出しつつ訊いてきた。
「彼氏は……いるよ」
「ですよねー。西条さんくらい美人なら彼氏の一人や二人、いますよね」
「美人、なの……私って?」
「美人じゃないですかー。新入社員の何人か、既に西条さんのファンですもん」
「ファンって……アイドルじゃないんだから」
「でっ、どんな人なんですか? 西条さんの彼氏って!」
爛々と輝く眼で私を直視しながら永野が尋ねてくる。
「すごく大人で落ち着いてる人かな。まぁ、実際に歳も5つ上だけど。落ち着きがあって、優しくて、頼りになる人」
「落ち着いた年上かぁ……。いいなぁ、あたしもそういう彼氏が欲しいなぁ」
半熟卵が乗っているクリームカルボナーラをフォークに絡ませながら、永野が溜息交じりに呟く。
「永野さんはいないの、彼氏?」
「半年前に元カレと別れてからいないんですよ。同期にも良さげなのいないし」
「へぇ。松藤は駄目なんだ?」
私が担当しているもう一人の新入社員である松藤章介の名前を出すと、永野はげんなりした顔で「ないですよぉ」と答えた。
そっか、ないんだ。割とイケメンだし、優しそうだけど。
「じゃあ、永野さんの好みのタイプってどんな人?」
「榊課長みたいな人がいいです!」
即答された名前に思わず咽てしまった。「ちょっと、大丈夫ですか、西条さん!?」と慌てる永野を大丈夫だから、と手で制す。
「さ、榊課長がいいんだ?」
「だって、すっごく大人な感じじゃないですか! それにすっごくイケメンだし!」
目を見開き、興奮気味に答える永野の頬に朱が差している。
うーん、これは結構本気かもしれない。新たなライバル登場か。
「でも残念だなぁ。課長、もう結婚されてるんですよね」
「イケメンは誰も放っておかないものだからね」
「でも、いくらイケメンでも人のものに手を出しちゃ駄目ですよ」
店員に案内されたこの席に着いた時から隣に座っているスズキイチロウが釘をさしてくるけれど、無視する。
どうやらスズキイチロウの姿は私にしか見えていないらしく、永野も、他の客や店員も、大きく白い翼を背中に生やしている天使が私の隣にいても、誰一人として慌てることも叫ぶこともない。
「ですよねぇ。やっぱ榊課長レベルのイケメン、誰も放っておいたりしないですよね」
天使の声も永野には届いていないようで、永野は私の発言にのみ同意し、深々と頷く。
「あーあ、榊課長くらいイケメンで、フリーな人いないかなー」
「合コンでも行ってみたら?」
「ですよね。あの、あたしちょっとトイレ行ってきますね」
そう告げて、永野は席を立つ。彼女の姿が見えなくなったところで鞄から、着信もメールも来ていない携帯電話を取り出し、耳元にあてる。周囲に怪しまれることなく、天使と話をするためだ。
「なんであんたがここにいるのよ?」
「ゆかりさんの普段の様子を伺うためですよ。仕事です」
姿勢を正し、誇らしげにスズキイチロウが答える。「立派な仕事ですこと」と思わず独りごちた。
「あんたに何を言われようが、あたしは榊さんとの関係続けるから。さっさと諦めて天国に帰ってくんない?」
「それはできません。与えられた仕事は完璧にこなさないと気が済まない性分なんです」
「そうなの? あたしは人に否定されたら反発せずにいられない性分なの」
「…………」
「我慢比べ、長くなりそうね?」
そう言うと、紺色のスーツに身を包んだ生真面目な天使は眉間に深々と皺を寄せた。




