第3章 襲い来る脅威をあしらったピリッと辛いジンジャータルト
3 襲い来る脅威をあしらったピリッと辛いジンジャータルト
あれから一週間、アンジェの封印作戦を密かに練りつつ、サンセルジュは今までどおりの営業をしていた。
イスモ達の夢回収に関しては、アンジェ復活のおかげで悪夢のオンパレード。
二人の胃痛もそろそろMAXに達しそうであった。
そんな二人をサミュは労わりつつ、いつも通りの生活を過ごしていた。
ただ一つ、変わったことといえば、
「キトリー、いつまでこんな所で寝ているつもりなんだい?」
サミュは、テーブルで突っ伏しているキトリーを優しく揺さぶって起こしてあげる。
「ほげ?」
まぬけな声を出して、キトリーが目を覚ます。
長時間突っ伏して寝ていた為か、顔には服のシワのあとがくっきりと刻まれていた。
「あれ? 私っていつの間に寝ていたの」
キトリーはあわてて、自分のコンパクトミラーで自分の顔を見る。そして悲鳴。
「キャー。化粧まで崩れているじゃない!」
彼女はそう悲鳴を上げつつも、自分の鞄から化粧ポーチを取り出し、化粧直しを始める。
「キトリー、最近ここで居眠りすること多くなってないか?」
サミュはキトリーに向けて苦笑を漏らす。
キトリーはここ毎日、サンセルジュを訪れては気絶するように爆睡をしていた。
サミュはキトリーを寝た瞬間に一度は起こすのだが、大体閉店後の夕方頃でなければ、なかなか起きない。
「んー、最近ヴァイゼ・フェストの取材に追われていて疲れているのよ、きっと。ここに来たら紅茶は美味しいし、ケーキも最高だし、寝心地も文句なしだし」
「いや、だからってココで寝たら駄目だろ。直帰して家で休みなよ」
サミュがキトリーをそう嗜めると、彼女もそれもそうね、と笑った。
「キトリーさん、お目覚めですか? 丁度ミントティーを淹れたので、一杯どうですか?」
厨房の方から、大事そうに紅茶を持ったクルスがやってきた。
ティーカップの中には、さわやかな香りの日とがるミントティーが揺ら揺らと揺れていた。
「わー。クルス君ありがとう。これなら目が覚めそうだわ。ついでに……」
その時、キトリーの目が一瞬生気を失ったように見えたのをサミュは見逃さなかった。
「!?」
「ケーキのおかわりでもしようかな?」
キトリーの表情にサミュは辛辣そうな表情に変わる。
「ん? どうしたの、サミュ」
再び目に生気が宿ったキトリーは、そんなサミュを不思議そうな目で見る。
「あ、いや。そんなに食べると太るぞと思っただけだよ」
「なんですって! 私だって体重管理はきちんとしているわよ。ただ、ここ一週間くらい妙にサンセルジュのケーキしか食べたくないのよねぇ。他の店のやつは気分がノらないというか。不思議よねぇ」
「……」
キトリーがそう言うと、サミュは少々複雑そうな顔になる。
「そんな顔をして、私、何か変なこと言った?」
心配そうにサミュを見るそんなキトリーを見て、サミュはケーキの入っているショーケースの方へ向いた。
「いや、何でもないよ。それより、ケーキのおかわりと言っても閉店後だからそんなに残ってないぞ。あ、でもシトラスケーキが残っているな。キトリー好きでしょ? シトラスケーキ」
サミュはこれ以上キトリーに悟られないように、シトラスケーキをお皿に盛り付け、彼女に差し出す。
キトリーはそのケーキを大喜びで頬張った。
「んー。やっぱり、シトラスケーキは最高ね。そういえば、私がシトラスケーキを好きってサミュに言ったことあったっけ?」
「シトラスケーキを頼む頻度が高いから、好きなのかと思っただけだよ」
サミュはそう言いながら、空になった皿を持ってキッチンへと向かう。
「そうだっけ? 好きというか、シトラスケーキは私にとって思い出の味なのよ」
キトリーはそう言って笑顔を零す。その笑顔にドキッとしたサミュは、すぐに顔を逸らしてキッチンで皿をゴシゴシと洗う。その顔が真っ赤であった。
「いけない。あと一軒取材が残っているんだったわ。ここにケーキ代置いておくわねー」
キトリーはさっと髪型や服装を整え、テーブルにケーキ代を置いて颯爽と出て行った。
皿を洗い終わったサミュは、テーブルに置かれたお金をレジスターに入れ、キトリーが今さっきまで座っていた椅子にため息交じりに腰掛けた。
「まさか、次の特別室行きがよりにもよってキトリーだなんて」
大きいため息を吐いて、サミュがテーブルにうつ伏せになる。
特別室行きが決まった人間は、暗示によってサミュの作った洋菓子しか食べる気が起きなくなる。何者かに操られたかのように、目に生気がなくなり、サンセルジュの洋菓子を食べる。それが特別室への招待状を送るサインとなっていた。
「マスター、それの何処が問題なんだ?」
「大問題だよ! 夢の中でキトリーの想い人なんて登場したら俺、一生立ち直れないかもしれない。俺じゃない奴の名前とか呼んでたりなんかしていたら、俺、死んでしまう」
顔を手で覆って悶絶するサミュをイスモは冷ややかな目で見ていた。
「そもそもキトリーさんの夢に想い人に出てくるっていう確証は無いだろうに。それに、ここ最近は、特別室行きの奴が現れなかったんだから、ここは腹を括るべきなんじゃないか?」
イスモの説得にサミュは、でもなーと煮え切らない態度を取る。
「でも、このまま暗示にかかりっぱなしというのも、キトリーさん自身にも負担でしょうし招待状送ったらどうですか?」
「それもそうか……。そうだな、仕方ないけど、招待状を送ろう」
サミュは未だ納得がいかない様子であったが、渋々、キトリーに招待状を送ることにした。
「何時にしますか?」
サミュはソレを聞いて、カレンダーをチラッと見る。
「ヴァイセ・フェストの前日の早朝にしよう。そうすればキトリーの仕事にも影響しないだろうし」
祝祭の前日だ。きっと彼女は目が回るほど忙しいだろうと予想したサミュは、クルスに予定を伝える
「了解です。準備しておきますね」
クルスはサミュの指定した日付に丸をつけ、予定を記す。
「それまでに例の作戦決行といきたいところなんだが、アンジェの姿を掴まないことには難しいよなぁ……」
サミュが頬杖を付きながら大きなため息を吐いた。
アンジェはあの一件以来、姿を現していなかった。彼女と決着を付ける為にも彼女を見つけ出す必要がある。しかし、姿が見えない以上為す術もない。
「もしかして、俺たちの出方を伺っているのか? まさかな……」
サミュは上手くいかないことに頭を掻きつつ、店内の入り口の案内板を“close”に入れ替え、店を閉めた。
その姿をキトリーが物陰からニヤリと笑っているだなんて、サミュは知る由も無かった。
キトリーの特別室招待の前日の夜。この日までに結局、アンジェを見つけることが出来なかった。
「本当にアンジェは何処に行ったのでしょう?」
クルスはダージリン紅茶をサミュに差し出す。
「うーん、謎だよねぇ」
サミュはその紅茶を受け取り飲もうとするが、手が震えて上手く飲めない。
「どれだけ動揺しているんだよ。あれか? そんなにキトリーさんの夢が気になるのか?」
キトリーが来るまであと三時間ほど。サミュは、彼女がどんな夢を持っているのかが気になって気になって仕方が無い様子。
「招待状送ることになったのはいいけど、やっぱり気になるでしょ!」
サミュは顔を手で覆ってクネクネと悶え始めた。そんなサミュの姿を冷ややかな目で見るイスモ。
「いい加減、本当に覚悟を決めた方がいいんじゃないか?」
「グハッ!」
イスモの冷たい言葉に、サミュは心を砕かれた感じになり、打ちひしがれる。
「あまりマスターを虐めてはいけませんよ。今のマスターは、夢見る男の子なんですから」
「いや、クルスさん。その名称は正直ないと思います。男の子という歳じゃないですし」
「そうですかねぇ」
イスモの言葉に、クルスは不思議そうに首を傾げる。
「はぁ。もう、ドキドキして寝られないと思うから、ケーキ作る」
サミュは涙目で立ち上がって、エプロンを着用した。
「マスターは、遠足が楽しみで、前日に寝られなくなった子供か」
「うぐっ」
イスモにそうツッコまれながらもサミュは厨房へと入っていった。
厨房。サミュは一人、重いため息を吐きながら大理石の作業台に手を触れる。
「はぁ。まさかこんな事態になるなんてなぁ。今更気に病んでも仕方ないし、気を取り直して、トリガーは何を作ろうか」
トリガー、すなわち、相手を催眠状態にするモノ。
サミュは、相手にケーキを食べさせることで催眠状態に導けるのだが、食べる相手が好きなケーキが一番催眠状態に導きやすい。
「キトリーは、やっぱりシトラスケーキかなぁ。思い入れがあるとか言っていたし」
サミュはレシピブックを開き、シトラスケーキの項目を広げる。
材料を出して、いざ作業を開始する。しかし、サミュ自身、どこか上の空で、小麦粉をふるう手が止まってしまう。
「もし、キトリーの夢の中に思い人が出てこなかったら、俺は安心してしまうのだろうか」
そんな事を考えながらも、もう一つの考えが頭を駆け巡る。
「でも、例えそうだとしても、きっとこんな俺なんて見向きもされないだろう」
こんな、化け物に変わり果ててしまった自分なんて……。そう、思いを巡らせながらサミュは包丁を握って、レモンの皮を剥き始める。
「はぁ……。何を考えているんだ俺は。こんな大事な時に……つっ……」
考え事をしながら作業していたためか、レモンが手から滑り、包丁で親指をザックリと切ってしまった。
切り口から止め処なく流れる血液。サミュはその血をじっと見つめる。
流れていた赤い血はやがてその流れを弱め、最後には綺麗には傷を塞いでいく。
その一部始終をみたサミュは辛そうな表情を浮かべる。
「この呪いさえなければ、俺はすぐにだって……」
善からぬ考えが脳裏をかすめ、サミュはブンブンと首を振った。
「あー、もう!」
そう叫んで、まな板を拳で叩くサミュ。ジンとした痛みと共に嫌な気分が払拭されるかと思ったが、ダメだった。
「もう、俺は駄目かもしれない」
「マスター? 大丈夫ですか?」
サミュが意気消沈している中に、クルスが厨房へ入ってきた。
若干涙目になっているサミュの顔を見るなり、さっとお茶を差し出す。
「あー、その様子じゃ大丈夫じゃ無さそうですね。お茶を用意しました。少し、休憩しませんか?」
クルスに勧められるがまま、サミュは厨房に椅子を持ってきて腰掛け、クルスが入れたお茶を飲んだ。
「ふぅ」
「鎮静作用のあるリンデンフラワーのお茶です。気分、落ち着きましたか?」
「なんとか落ち着いたよ。クルスありがとう」
クルスはフフッと笑い、静かに厨房の出入り口を指差した。
そこには、こちらを静かに伺う、イスモの姿があった。サミュが出入り口の方を見ると、サッと隠れる。
「イスモ君が意気消沈のマスターに何か差し入れたいって言ってきたので、用意したんです。イスモ君もイスモ君なりにマスターのことを心配しているんですよ」
その言葉を聞いて、サミュはフッと笑った。
「……二人ともありがとう。こんなドジな俺のために」
「マスターだからこそですよ。イスモ君と私をこの世に生んでくれた。それだけで、私は最高に幸せなんです」
クルスはそう言って、サミュを抱きしめた。
「絶対に、成功させましょう。何もかも。私達二人が付いている事を忘れないで下さい。マスターは一人じゃないですから」
「うん、ありがとう。イスモもありがとう」
サミュがチラッと出入り口の方を再び見ると、イスモは照れくさそうに頬を掻いていた。
「さて、二人のお陰で元気になったし、作業再開するとしよう」
サミュは立ち上がって、シャツを再び捲った。
「では、私達は時間まで待機しておきますね。おやすみなさい」
クルスはお茶一式を持って、厨房から出て行った。
運命の時間まで残り数時間。
運命の朝。
サミュはそわそわした様子でサンセルジュの扉の前を行ったり来たりしていた。
「そんなにそわそわしなくても、招待状通りに来るんだから、どっしり構えとけばいいのに」
椅子にだらしなく座るイスモを横に、未だにそわそわと待ち続けるサミュ。
「なんだか、飼い主を待つ犬みたいですねぇ。マスター可愛いです」
クルスは微笑ましい様子でニコニコを笑っていた。一方のイスモはというと、次第にサミュの行動が煩わしくなっていったのか、
「いっそのこと、首にリードでも付けてしまおうか」
と悪態をつくようになっていた。
するとその時。
トントン。
ドアノッカーの音が店内に響いた。
「き、来たっ」
キトリーが来た気配を感じて、更にオロオロし始めるサミュ。
「ど、どしよう。どうしよう」
「マスター、とりあえず深呼吸しましょう。ゆっくりと」
クルスに促されるままに、深呼吸をするサミュ。
「な、なんとか、お、お、お餅ついた」
「いや、落ち着いてないからソレ。ほら、気合入れろ」
イスモがそう言って、サミュの肩をバシンと叩いた。
「痛いっ。そうだね、気合を入れてもてなさないと……」
そう呟いて、サンセルジュの入り口の扉を開けた。
そこには、真っ白なブラウス、ブラウンのロングスカート姿のキトリーの姿があった。
いつもと違った装いの服装にサミュは少しドキッとする。
「なに、ドキッとときめいているんだよ。さっさと案内してやれよ」
と小声でイスモが促す。
「おっと、そうだった。キトリー……オリオール様、特別室への招待状はお持ちですか?」
サミュの言葉に、目が虚ろのままのキトリーはまるで誰かに操られているかのような動きで招待状を差し出す。
「確かに拝見いたしました。それでは、特別室にご案内します」
キトリーがあれだけ行きたがっていた特別室。でも、その記憶は起きたときには消えているんだ……。そんな複雑な気持ちを抱きながら、サミュはキトリーを特別室へと誘う。
部屋への扉を開け、特別室へと入るサミュ。しかし、キトリーは扉の前で急に立ち止まった。
「さぁ、怖いことはない。どうぞ、中へ」
サミュはそう言って、キトリーに手を差し出した。キトリーもその手を取り、特別室へ歩みを進めた。
ふと、その時。キトリーがニヤリと笑ったのだが、それに、サミュが気づく様子は無い。
「さぁ、ここが特別室。さぁ、キトリー。椅子に腰掛けて。特別なケーキを振舞ってあげよう」
サミュは指を鳴らすと、テーブルに突如、今回のトリガーになっている柑橘系の風味漂うシトラスケーキが出現した。
「食べてごらん? そして、君の夢を見せて?」
まるでサミュが操っているかのように、キトリーはフォークでシトラスケーキを一口大に切り分け、それを口に運ぶ。そして、目を閉じて、動かなくなった。
催眠状態に入ったのだ。
「さて、君の夢を頂こう」
サミュはキトリーに近づいて、肩を優しく叩いた。
すると、前に招待した少女のように、シトラスケーキが再構築さて、目の前に浮かび上がる。
サミュはソレを確認すると、魔方陣を出現させ、白髪の姿に変身した。
「さて、夢を……」
サミュが浮かび上がったシトラスケーキに手を伸ばしたその瞬間。急に、そのケーキに歪みが生じた。
「なっ。一体何が……」
サミュは驚いて一歩引いたその瞬間。
ザグッ。
「え?」
いきなり浮かんでいたシトラスケーキが崩れ、金髪の少女が現れた。
サミュは目の前に現れた少女に、腹部を杭のようなもので突き刺され、地面に打ち込まれて動けなくされたのだ。
「マスター!」
「大丈夫か!」
すかさず、クルスとイスモがサミュの元へ駆け寄ろうとしたが、体が上手く動けない。
「なんで、動かないんだ!」
「フフッ。貴方たちの動きは封じさせてもらったわ。この子達でね」
クルスが後ろを見ると、無数の金髪の少女が彼らの動きを取り押さえていた。
「ゴホッ。な……なんで、ここは、君は通れないハズ……なのに……アンジェ」
サミュは口から大量の血を吐きながら少女に訊く。
「アンジェ……だって……」
クルスとイスモは驚いた様子で少女達を見る。彼女達は同時にケラケラと嗤いながら答えた。
「そうね、確かに私はここを通ることは出来ない。でも、人間を介して通ることは出来るのよ? だから、彼女を使って通れるように仕向けた」
「……ワザと暗示にかけさせたのか」
サミュの問いに、ご名答と答えるアンジェ。
「マスター、今助けま……ぐっ」
クルスが取り付いている少女達を振り払おうとすると、彼女によってねじ伏せられる。
「ダメよ、勝手に動いちゃ。あまり痛いことはしたくないのよ」
「……どの口が言うのか……ゴホッゴホ」
サミュは文句を言いたいところだが、体に杭を打ち込まれている為、上手く呼吸が続かない。
「さぁ、これから私と共に楽しいことをしましょう。ヴィルジール」
少女は、サミュに近寄って彼の頬を撫でながら、この場にいないはずの賢者の名を呼んだ。
「一体、どういうことなんだ? なんで、マスターのことを賢者の名前で呼んだんだ?」
イスモは少女の言葉に疑問がわく。
「違う、俺はヴィルジールじゃない。ソアラ……今はサミュエルだ」
サミュはアンジェの言葉を頑なに否定するが、少女は、それすらも否定する。
「いいえ、貴方は賢者ヴィルジール。ソアラは貴方が殺した、魔術師の名前じゃない?」
「違う! ヴィルジールはあの時消えたんだ」
「マスターが賢者さんで、本当のマスターは賢者さんが殺した?」
少女とサミュが話している内容が全く掴めず、クルス達は混乱しながらも状況を見守っていた。
「貴方たちも今まで騙されてきたのね、可哀想に。この男の本当の正体は、ヴィルジール。この街の賢者にして、全ての元凶」
「だから、違うっ」
頑なに否定するサミュに、アンジェは近づいて、優しく微笑みかける。
「何も恐れなくていいのよ? 私に身を委ねればいいの」
そう言う彼女の瞳は歪に笑っている。
「嫌だっ……、取り込まれるだなんて……絶対に」
「いいの? 貴方の半分が戻ってこなくても?」
アンジェの一言に、サミュは目を見開いた。
「消し去った……訳じゃないのか?」
「依り代をそう易々と消し去るわけがないじゃない。私の操り人形になってくれれば返してあげるけど?」
「くっ……」
アンジェの要求に絶望するサミュ。その様子をクルス達はただただ見ているしかなかった。
「もう、何がなんだか、分からなくなってきた。一体、どういうことなのか説明しろよ。マスター!」
イスモが業を煮やし、叫ぶ。
しかし、サミュからの返答が来ることはなかった。代わりにアンジェが口を開いた。
「私が変わりに説明してあげる。今の彼はいわば賢者の亡霊というモノよ。肉体と魂の一部は私が大切に預かっているわ」
「賢者の……」
「亡霊……?」
クルス達がアンジェの言葉を繰り返し呟く。
「亡霊は、亡霊自らが殺した魔術師に憑依した。ただ、それだけのことよ。それにしても、折角肉体を返してあげようとしているのに、強情な賢者だわ。これだけはしたくなかったけど、ココまで頑固だと強硬手段するのは仕方ないわよね?」
次の瞬間、アンジェの足元に黒い靄のようなものが現れた。
「……! まずいっ」
アンジェから禍々しい気配を察知したサミュは、何やら呪文を唱えて、クルス達に取り憑いていた少女達を引き剥がした。
「クルス、イスモ、今すぐキトリーを連れて、特別室から出ろ!」
いきなり叫んだサミュに二人は驚きつつ、机の前に寝転がっていたキトリーを急いで回収する。
「マスターも早く!」
「俺のことはいいから早く! 特別室を出れば彼女達は追いかけて来られない筈だ」
クルスはサミュに手を伸ばそうとすると、イスモがそれを止める。
「イスモ君、なんで止めるんですか。早くしないとマスターが」
「ダメです、クルスさん。ここでまた捕まったらマスターの折角の努力が水の泡なんですよ」
イスモはキトリーを担ぎつつ、クルスの肩を押し、急いで特別室から脱出しようとする。
「絶対、助けに行くからな」
イスモはそう言い残して特別室から出て行った。彼らを捕らえていた彼女達は後から追いかけてきたが、サミュの言うとおり、特別室の外へ出て追いかけてくるということは無く、入り口前でたじろいでいた。
「いいのかしら? 貴方の最期を見られなくても」
たじろいでいた彼女達を指を鳴らして消したアンジェは、サミュを突き刺していた杭を勢いよく引き抜いた。
サミュはいきなり杭を抜かれ、床を這いながら激痛に耐えていた。
「ここで……無残な姿を従者に見せるわけにはいかないからね」
「ふぅん。安心してヴィルジール。今すぐ楽にしてあげるから」
アンジェの足元から魔法陣が出現。そして、先ほどまで漂っていた黒い靄がサミュに向かって一直線に動き、彼の体を捕らえた。
「さぁ、深い深い、“無”という地獄に落ちなさい」
彼女の言葉が鍵となって、黒い靄がずぶずぶと彼を引きずり込んでいく。
しかし、サミュは必死に抵抗して、床を這って、アンジェの元へと行き、彼女の足首を掴んだ。
「……なんのつもりかしら?」
「もちろん……君も道連れにするってことさ」
アンジェが掴まれた足を必死に振りほどこうとするが、なかなか外れない。
「ふっ。馬鹿なことを」
「……やってみなくちゃ、わからないだろ?」
サミュはそう言って笑ってみせる。
「そうやって私に逆らって、一度痛い目にあったじゃないの。アレで懲りないだなんて、貴方よほど被虐的なのね」
アンジェは掴まれてない方の足でサミュの背中を踏みつける。サミュは痛みのあまり、掴んでいる手を離した。
「なんと言われようとも構わないさ。でも、これで、最後にしたいんだ……」
再び、アンジェの足を掴もうとするが、その手は虚しくも届かない。
「例え、この身が滅んだとしても」
サミュの言葉にアンジェは嘲笑をする。
「では、お望みどおり、貴方に最高の死を与えようじゃない。貴方は見て飽きない存在だったけど、コレでお別れね。さ よ お な ら」
アンジェが指を鳴らすと、黒い靄が勢いよくサミュを引っ張る。サミュもそれに抗おうと耐えるが、力が余り残っておらず、どんどん引っ張られていく。
「……アンジェ!」
「精々、お友達を殺した罪を地獄で悔いることね」
そう嗤うアンジェを必死に掴もうとするが、それも叶わず、
サミュは黒い闇へと落ちていった。




