第2章 古(いにしえ)の苦味たっぷりカラメルプティング
タンツェルン周辺を掌握していた宗教は、他の宗教とはかなりの違いがあった。
魔術が宗教の基礎であり、それらは聖職者のみ使用が許されていた。魔術を使って聖職者達は街の治安を護っていると謳っていた。
一方、相反する錬金術は、“悪魔からもたらされた禁忌の術”とされ、使う術者には厳しい罰を科していた。
また、魔術を使うことを許されていなかった一般市民は、教会から“街を悪から護ってやるお布施”として、多額のお金を要求されるようになっていた。拒めば即刻処刑され、人々の暮らしは苦しくなる一方であった。
また、人々は何処かやつれきった顔をしていて、皆の顔を絶望に満ちていたらしい。
街を護るためのお布施が大量に入ってくる教会では、聖職者の使い込みや汚職が蔓延り、人々の不満は日に日に募るばかり。
その市民の一人だったのが、タンツェルンで錬金術の研究をしていたヴィルジールであった。
彼は“悪”とされていた錬金術をしていた為、教会との衝突が絶えなかった。時には牢に入れられる事もあったが、それでも彼は研究を続けていた。
「マスター、前にも言ったかもしれませんが、何回か会っただけで賢者さんについて本当に詳しいんですね?」
クルスはサミュの話をうんうんと頷きながら、自身が思った感想をサミュに述べる。
「前にも言ったとおり、アイツはお喋りだったからね。あとは、住人達の受け売りもあるけど、話の続きいくよ?」
ある日、我慢の限界を迎えたヴィルジールは、単身で教会へと乗り込んでいった。
そこで、彼は“天使”と出会ったんだ。
「天使って、翼が生えた神の使いっていうアレですか?」
クルスは身振り手振りで天使を表現しつつ、質問をする。
「んー、少し違うかな。翼は生えていたけど、彼が出会った“ソレら”は神そのもので、聖職者達からは天使と呼ばれていたんだ」
「ソレらということは、複数いたわけか」
イスモが思考を巡らせながら訊ねる。
「そう、彼女は無限に増殖することが出来た。それを教会は“神の奇跡”なんて言っていたみたいだけど。
クルスが昨晩聞いた声は、多分彼女達だ」
サミュの一言に、クルスとイスモの二人はゴクリと息を呑んだ。
「悪夢の増加とその天使の出現に一体なんの関係性があるのですか、教えてください。マスター」
クルスはわなわなとしながらも、サミュに訊ねる。
「それについても触れないといけないけね。話を続けよう」
ヴィルジールが出会ったソレらは、金髪の髪を揺らしながら彼を見てニッコリと微笑んでいた。
『貴方、何か強い願いがあるようね。その願いを叶えてあげようか?
ただし、私と契約して、新しい宿主になることが条件だけどね』
『なっ。何を。宿主って一体』
ヴィルジールはあまりにも唐突なアンジェの提案に状況が把握できずにいた。その場にいた教会の司教たちも祀っている天使の突然の発言に慌てふためく。
『アンジェ様。そんなならず者にお力を与えるつもりですか! 私たちがこれからも貴女様に力を与え続けることをお約束しますのに』
大司教と思しき老人がアンジェに向かって叫ぶ。
『教会に閉じ込められるのはもう飽きたわ。それに貴方達より、彼の方が力を持っている、私は彼を新しい宿主にしたいのよ。邪魔しないでくれる?』
そう言ってアンジェは大司教に向けて手を翳す。すると、ギャーギャー騒いでいた彼の声がいきなり出なくなったのだ。大司教はアンジェによって発声を封じられたのだ。
声が発せられなくなり、青ざめている大司教を見て、他の聖職者達は悲鳴を上げながら、物陰に隠れた。
『これで、静かになったわね。さて……』
アンジェはヴィルジールの元へと近づいてく。
『宿主って言うのはね、私が自由に動き回れる為の言わば安全装置みたいなもの。貴方はただ私に力を供給すればいいだけ。
だから、貴方はいつも通り生活しても何ら支障はないし、叶えたい願いがあれば何だって叶えてあげるわ。これ以上素晴らしいことは無いと思わない?』
アンジェは誘い込むような笑みで彼を見た。
一方のヴィルジールは頭の中で如何するべきかが頭の中でグルグルと渦巻き、悩乱していた。
宿主になればどうなるか分からないし、かと言って、断れば命の保証が無いかもしれない。自ずと答えは一つしかなかった。
『契約すれば、こんなくだらない宗教は無くなって、平和な日々が戻るんだよな』
ヴィルジールは改まってアンジェに尋ねる。
『祀られていた神に向かって、“くだらない宗教”とは失礼だけど、今回は赦してあげる。そうね、貴方が願えば、全て其の通りになるでしょうねぇ』
アンジェはほくそ笑みながら答える。
「分かった。契約しよう」
ヴィルジールは少々納得のいかない様子であったが、アンジェと契約することになったのである。
契約したヴィルジールは、アンジェの力のお陰で聖職者を追い払うことが出来、宗教は事実上の壊滅となった。
教会の脅威が無くなった市民達は、教会に挑んだヴィルジールを賢者として祀り上げ、こうしてタンツェルン街は平和を取り戻した。
と、思っていた。
「思っていた?」
イスモがサミュに聞き返す。
「そう。ヴィルジールはこれで街が平和になり、彼自身も自分の生活が楽になれると信じていたんだ」
でも、現実は違っていた。宗教という脅威が無くなっても、人々は疲弊した顔つきのままで、賢者となったヴィルジールに市民達は縋り付いてきたのだ。
まるで、救いを求めるが如く。それは日に日に数が増していった。
俺がこの街に来たのも、そんな頃だった。教会に支配されていた時は、他の宗教の影響を受けない様に、タンツェルン街周辺には制限がかけられて入るのは難しかったのだけど、賢者の活躍で自由に入る事が出来るようになった。
俺も賢者様の姿を一度でも拝んでおこうかなぁと思って、彼の家へと赴いたのだが、そこにはやつれた顔の彼の姿があった。
『やぁ。誰だい? 街では見ない顔だね』
彼がそう訊いて来たので、俺はソアラという名前(もちろん偽名)で、遠い国から旅をしてきたことをヴィルジールに伝え、俺は茶髪の長髪を垂らして深々と頭を垂れた。すると、彼の瞳が若干輝きを増したように見えた。
『ソアラは他所から来たのか。そうだ、俺に旅の話を聞かせてくれないか?
最近賢者として市民達のお願いばかり聞いてきたから、正直、参っているんだ』
ヴィルジールのお願いに俺は喜んで旅であった出来事や他の国の話を聞かせてあげた。
彼は俺の話を楽しそうに聴いていた。俺の話が終わると賢者は大きな拍手を送る。
『面白い話を有難うソアラ。久々に息抜きが出来たような気がするよ』
ヴィルジールは俺に優しい眼差しで微笑む。が、突如何かを思い立ったかのように俺の手を握る。
『なぁ、ソアラはこの街に何時まで滞在するつもりなのか?』
そう訊かれて俺は、暫くは居座ることを伝えると、ヴィルジールは目を爛々と輝かせる。
『だったら、また話に来いよ。というか、俺の話し相手になってくれ、お願いだ』
彼のあまりにも真剣なお願いに俺は若干引きながらも了承すると、彼は大きくガッツポーズをした。
その姿を見て、俺はヴィルジールという賢者は変わっているなんて思った。
それから毎日彼の家に行っては、彼の愚痴なんかを聴く日々が続いた。
何でもペラペラと話す彼に少し呆れつつも、俺と彼は打ち解け合いつつあった。
そんな日々が一週間続いたある日、彼と話した帰り道。ふと教会の中を散策したくなって、俺は教会の内部へと足を踏み入れた。
中は聖職者が去った後もぬけの殻になっていたらしく、金目の物は全て持っていかれていた。
多分、賊でも忍び込んだのだろう。収穫もなさそうだし、帰ろうかと思ったその時、教会の中から微かに魔力の反応をしているのに気が付いた。
その反応を探すと、壁の一部に魔術で封印を施してあるのを発見した。
教会の壁になんで封印なんて施してあるんだろう、と少々疑問に思いつつも、興味本位で俺は魔術でその封印を解いた。
封印が解かれると、そこには隠し扉が出現し、扉が開いたそこには古びた書物が塔のように積み重なっている書庫のような場所があった。
封印を施してあった為か、賊はここまでは入り込めなかったようだ。書庫を埋め尽くす空気は何処か古びた感じだった。俺は、何か面白いものはないかと色々と漁っていると、古びた一冊の日記帳を見つけた。
俺は、ワクワクと心を躍らせながら日記帳を開くと、そこには神話や神などの記述が沢山記されていた。恐らく、教会の聖職者が記したのだろうと思った。
さらに、ページを捲っていくとアンジェについての記述を発見し、俺は目を凝らすようにその記述を見た。
その記述にはこう記されていた。
【アンジェ:人の心を喰らう悪神。次元の彼方に封印をされているが、やっと彼女をこの世界に喚ぶことが出来る文献を発見した。彼女を召喚し、神として崇拝することで、我々の目的は達成される。世界中の人々の心を喰い荒し、洗脳を施して征服するという我々の野望が達成されれば、こんな悪神用無しだ】
その記述を見た俺は、急いで築かれていた本の塔を崩しながら、その文献を探した。
『これか……』
俺が発見したのは、古びれていても豪華な感じの漂う、そんな本だった。本のタイトルは【Anje】
ページを見てみると、アンジェに纏わる伝承などが書いてあった。
《アンジェは夢を喰らい、人の心を喰らうことに快楽を見出し、封印された神。
彼女は夢を喰らうことで、人々を疲弊させ、心を蝕む力を持っている。》
「つまり、教会がなくなった後も人々が疲弊しきった様子だったのと、今回、悪夢がタンツェルン街に最近蔓延りだしたのも、そのアンジェって奴が原因というわけだな?」
イスモはサミュの話を簡潔にノートに纏めながら、結論を導いていた。
「その可能性が高い。でも、どうやって彼女が復活したのかが謎なんだ」
サミュは魔法で羽ペンを動かしながら、イスモのノートに【彼女はどこから戻ってきたのか?】という記述を付け加えた。
「彼女は今までは何処かに行っていたわけじゃないのですか?」
「彼女は再び封印されたんだ。ヴィルジールを助けるためにね」
クルスの質問にサミュが答える。その顔は何処か寂しそうな表情であった。
「あの時、その本には……」
そう、あの本には、彼女に魅入られた者たちの末路が書かれていた。
《アンジェに魅入られた者は凄まじい魔力や地位を有することが出来るが、その者もまたアンジェの悪夢に取り憑かれ、破滅する運命を辿る。》
俺はその文章を見るなり、本と日記帳を持ったまま書庫から抜け出して、ヴィルジールの元へと走った。一刻も早く、彼をアンジェの呪縛から解放させてあげたかった。
「賢者さんをそんなに大切に思うなんて、マスターはやっぱりカッコいいです。私、尊敬しちゃいます」
クルスはそういって、ブンブンと自分の結んだ白い髪を揺らしながら嬉しそうに笑う。
「そんなにカッコいいわけじゃないよ。あの時は必死だったんだ」
そう、あの時は必死だった。
『ヴィルジール居るか? 居たら返事をしてくれ!』
俺は彼の家のドアを思いっきり開けて叫ぶ。しかし、彼の声は無い。
恐る恐る家の中に入ると、隅の方で床の上で丸くなっている物体が見えた。
さらに近づいてみると、ヴィルジールが倒れている姿だった。
『おいっ! しっかりしろ!』
俺は彼をゆっくりと抱き上げ、ゆさゆさと揺らしながら、彼の目を覚まそうとした。
『んー……』
ヴィルジールはゆっくりと目を開け、ボーっとした様子で俺の顔を見る。
『ソアラ、どうしたんだい? 忘れ物でもしたのかい?』
自分に起きたことは気にもせず、彼はそう言って俺に笑いかける。
『違う。心配になって戻ってきたんだ。そうしたら、お前が倒れていて、ビックリしたんだぞ』
『あー。また床の上で寝ていたのか。最近疲れやすくて、彼女に魔力供給もしているからだと思うけど』
いつものことだと、ヴィルジールは俺にそう言って、心配するなと言った。
『実はアンジェについて、教会の跡地でみつけモガッフガッ』
俺は彼に本題を伝えようとすると、彼は俺の口を片手で塞ぎ、もう一方の手は人差し指を彼の口元に当てて、俺に静かにするように促す。
『モガッフガガ(えっ、何故?)』
彼は何も言わずに、俺の腕を掴んで家の奥のほうへと引っ張りながら誘導する。俺は少々混乱しながら、なすがまま連れて行かれると、特殊な紋様が刻まれているドアの前で彼の足が止まった。
彼がその扉を開けて、俺を招き入れると彼がやっと口を開いた。
『ごめん、ソアラ。この街全体に彼女の結界が張り巡らされていて、彼女に敵対する者が居ないかどうか監視しているんだ。あのままじゃ、君に魔の手が迫り来るかもしれなかったから、この部屋に連れてきたんだ。
この部屋はアンジェの結界の効果を無効化出来る魔方陣を刻んであるから大丈夫だよ』
ヴィルジールはそう言って椅子を差し出した。俺はその椅子に腰掛ける。
『それにしても、教会にそんな物が残って居ただなんて驚きだよ。あの後、泥棒とかが入って、俺が見たときは殺風景だったのに』
『隠し部屋があったんだ。魔法で封印されてあったから、一般人には気づかれなかったんだろうな。入れたとしても、金目のものは無かったけどな』
そう言って、俺は見つけた日記帳と本を彼に手渡した。彼は、まず日記帳をペラペラとめくり目を通す。
『契約者の力を奪い、壊すか……』
日記帳と本を読んで、彼女の正体を理解したヴィルジールは俺にそれらを返す。
『すまないがそれは君が持っていて欲しい。俺が持っていたら彼女に見つかりかねない』
『別に構わないが、ヴィルジールはこれからどうするつもりなんだい?』
俺が尋ねると、彼はそっと目を閉じ、大きく深呼吸をした。そして目を開いてこう言った。
『その本に書かれていることが本当であるなら、俺がアンジェを封印しない限り俺に安息の時は来ないだろうし、人々も悪夢に囚われたままだ。だから、彼女を封印する』
彼の決意に満ちた言葉に、俺は感銘を受け、何か手伝えることは無いかと訊いた。
『ソアラは彼女に見つからないように、教会の封印部屋で準備をお願いできないだろうか?
多分、その部屋もこの部屋と同じようにアンジェの結界を打ち消せるみたいだしね。今まで彼女がその部屋の存在を知らない所からも裏づけられるからね。
あとは、彼女に怪しまれないように誘導するようになるまで、しばらく時間を空けたほうがいいかもしれない。決行は一週間後。場所は教会で』
『教会だな。了解。早くゆっくり休める日が来るといいな』
俺とヴィルジールは目と目を合わせ、お互いに決意を固める。
『彼女に悟られないように、決行日までは今まで通り話しに来てくれるとうれしい。こんな俺の為に手伝ってくれる君が居てくれて本当に心強いよ、ありがとう』
『感謝の言葉は全部終わってからだよ、賢者様』
俺がそう言うと、ヴィルジールが噴出して笑うもんだから。俺もつられて笑った。
『はてさて、アンジェが大人しく封印されてくれるか、それが問題だな』
俺は一番の不安要素を定義する。悪神である彼女がそう易々と封印できるハズが無い。
『それも、そうだね。それでもし、俺に何か起こったとしても君が気にすることは無いよ。これは俺の決意だから』
『俺に出来る範囲だったら、お前を助けるよ』
『無理はしなくていいけど、それは頼もしいねぇ。偉大な魔術使い様』
ヴィルジールの返しにカウンター攻撃を食らったような気分になって俺は噴出す。
その日は、部屋から出た後、何事も無かったかのように世間話をして、家を後にした。
こうして、アンジェの封印作戦の火蓋がきって落とされたんだ。
「ドジなマスターだから、すぐアンジェに作戦がバレるというオチが見えてきたのだが?」
イスモが話を聞いて思ったことを率直に述べる。
「なっ。俺だってそういう時は慎重になる派なんだよ。ただのドジじゃないんです」
サミュが顔を真っ赤にしながら否定すると、イスモは、はいはいと聞き流す。
「まぁ、危ないときは二回くらいあったけど」
「あったんかい!」
サミュの補足にイスモは椅子からずり落ちそうになり、なんとか持ち直す。
「危なかった時の話は置いておいて、一週間後の決戦の日が来て、俺らはアンジェを教会に誘いこむことが出来たんだ」
――今思えば、それは彼女の思惑の内だったのかもしれない。
『私をこんな場所に誘い出してどうする気なの? また新しい宗教でも始める気?』
アンジェは大層つまらない様子で教会の中をフヨフヨ浮きながら辺りを見回す。
『たまにはこんな場所でゆっくり話しでもどうかなと思っただけだよ』
ヴィルジールが俺に目で合図を送ると、俺は魔法でアンジェを閉じ込める檻をつくり、彼女を閉じ込めた。
『何のマネなのかしら? こんな低級魔法で私を閉じ込めたつもり?』
彼女はそういって指を鳴らすと、檻の外に数人の彼女自身を作り上げた。
作り上げられた彼女たちは、一目散に俺の方へと飛んできて、俺を取り押さえる。
取り押さえられ身動きが取れなくなった俺は、ヴィルジールに向けて大声で叫ぶ。
『ヴィルジール、今だ!』
俺の声を合図にヴィルジールは、アンジェの真下に仕掛けてあった魔方陣を発動させる。
魔方陣の効果で、アンジェは徐々に陣の中へと吸い込まれていく。
『なるほどね。オリジナルの私を檻の中に入れておいて、私がその低級魔術使いに気をとられている間に封印陣を発動させたって訳ね。よく考えたわね』
アンジェは俺たちが練った作戦を賞賛しつつ、嗤った。
『だけどね、私もこのまま大人しく封印されようとは考えていないわ。神を封印しようとした罪は重いわよ?』
彼女がそう言ってヴィルジールに向けて呪文を紡ぐ。
すると、ヴィルジールは激しい光に包まれた後、消えてしまった。
『えっ、嘘だろ……。ヴィルジール! 何処だ、ヴィルジール!』
俺はその光景があまりにも信じられなくて、彼女たちに取り押さえられているのを必死にもがきながら、消えつつあるアンジェに向けて叫ぶ。
『彼には一緒に封印されてもらうわ。永遠にね』
彼女がくつくつ笑いながら俺を見下し、言い放つ。
『この封印を止めれば彼も帰ってくるわ。ただし、止められたらの話だけどね』
封印は発動者にしか止められない仕組み。俺の力ではどうにも出来ない。
『ごめん、ヴィルジール。俺では助けられない……』
あまりの不甲斐なさに俺の目からは止め処なく涙がこぼれる。
『さて、アナタにもこのお礼をしてあげなきゃいけないわね』
アンジェは身も凍るような笑みを浮かべる。
『えっ?』
俺はその笑みに寒気を覚え、必死に取り押さえていた彼女たちを振りほどいて教会の出入り口に向かって走った。
しかし、無常にも彼女の放った呪文が俺に命中、その衝撃で俺は床へと倒れこむ。
攻撃を受けた俺は、まるで業火に焼かれたかのように体中が熱く感じ、呼吸が次第に荒くなっていく。
『俺に……何をした……』
ハァハァと息をしながら俺はアンジェをキッと睨む。
『アナタには呪いをくれてやったわ。私のように夢を食らう化け物になる呪いをね』
アンジェの言葉に俺は頭が真っ白になった。彼女のように人々の夢を喰らい、疲弊させていく化け物になってしまったのか……、俺は。
『人間ではなくなったアナタは、その姿で一生苦しんで生きていくといいわ。アーハッハッハ。ごきげんよう?』
アンジェは高笑いをし、そして封印陣の中へと完全に消えていった。
「アンジェを封印したことによって街は平和を取り戻した。だけども、街を救った賢者は消え去り、俺は人間では無くなった」
サミュはそう言って自らの片腕をぎゅっと強めに握る。
その姿をみてクルスとイスモは辛そうな表情を浮かべる。
「呪いのおかげで夢を食らわないといけない身体になってしまったから、サンセルジュを作ったんだ。むやみやたらに夢を食らわないようにね。そして、悪夢で疲弊した人々を救う為に君たちを召喚した」
「サンセルジュ誕生にそんな過去があったんですね。そして僕らの役割も」
クルスは感傷に浸り涙を零す。
「で、これからどうするんだ。そのアンジェが復活したとなれば、また昔のようにトンでもないことになるぞ?」
イスモは涙を零しているクルスにハンカチを差し出しながらサミュに問う。
「封印する。ヴィルジールの意志を無駄にしない為にも。今度こそ必ず」
サミュの目には確かな決意があった。
「とは言っても、基本的にはいつも通り過ごしていれば大丈夫だよ。サンセルジュに彼女は入ることが出来ない。結界が張ってあるからね。
特にこの特別室は何重にも張り巡らせてあるから声さえも聞き取ることは出来ない。ヴァイセ・フェストまでには何とかしたいかな」
ヴァイセ・フェストまであと二週間。それまでに決着をつけるということでまとまった三人は、特別室から出てそれぞれの部屋に戻っていった。
一方その頃のサンセルジュの入り口。キトリーが扉に掲げられている【臨時休業】の看板を見て頬を膨らませていた。
「全く。昨日があんまり忙しすぎたからって休むことないじゃない! 仕事でイライラしているから甘いモノ食べたかったのにぃ!」
キトリーはプンプンと怒りながら、地団駄を踏む。その姿を通行人達が見ながら少々足早に道を歩いて行く。
「今度来た時は覚えておきなさいよ。とびっきり美味しいケーキを作ってもらうんだから」
キトリーはそう言って踵を返して、雑誌社に帰ろうとした。その時、目の前に目を奪うくらいの金髪ロングの少女がキトリーに笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「お姉さんはこのケーキ屋さんの常連さんなの?」
「え? えぇ、仕事でこのサンセルジュにはよく出入りしているわよ?」
いきなり話かけてきた少女にタジタジになりながら、キトリーが説明すると、少女は満足そうな顔をする。
「そうなんだ。じゃあ、アナタに決めたわ」
「えっ?」
少女がキトリーに向かって抱きついてくる。キトリーはビックリして避けようと思った時、少女が目の前で消える。
「え、あ、あれ? 今さっきの女の子は何処いったの?」
キトリーは周りを見回すが、さっきの少女の姿は何処にもない。
「疲れて幻覚でも見たのかしら?」
今日は直帰しようかしら、と呟きながらキトリーはサンセルジュを後にした。




