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愚女

「お、お父さん……」


エルミナの小さな呟きに、その場の空気が一瞬、凍りついた。


「……あ?」


地面へ手をついた大男は、その声の主を確認する様に、ゆっくりと顔を上げ、酒で赤らんだ目がエルミナを捉える。


「……誰かと思えば」


「……」


エルミナは返事をしないまま、ただ、ぎゅっと自身の服を握り締めた。


「出来損ないが、こんなところで何をしている」


「そ、それは……」


言葉に詰まるエルミナを前に、状況が飲み込めていない遥は、二人を交互に見比べた。


「えっと……お父さんって、その……お父さん?」


エルミナはその場で小さく頷く。


「……はい。私の父ですわ」


「はえー」


遥は感心したように大男を見上げ、続けた。


「エルミナのお父さんだったのか」


「あぁ?」


その遥の一言にエルミナの父は視線を遥へと移し。


「何を馬鹿なことを言っている」


鼻で笑うように吐き捨てながら続けた。


「私の娘に、このような愚女はいない」


「っ……」


小さく震えたエルミナの肩。

それはまるで獲物に怯える小動物のようだ。


その空気を断ち切るように、酒場の入口からヨモが大きくため息を吐く。


「出禁だって言っただろ、店の前も同じだ」


ヨモは一本の酒瓶を無造作にエルミナの父へ放り投げた。


「これもってさっさと帰れ」


それを片手で受け取ったのを確認したヨモは続けた。


「客のいる場で暴れられちゃあ、迷惑なんだよ」


「……チッ」


舌打ちを一つついたエルミナの父は酒瓶を右手に持つと、エルミナを一瞥した。


「落ちこぼれが」


吐き捨てるように言い残し、そのまま夕暮れの街へ歩き去っていった。


遥は呆然とその背中を見送る。


「……なんだ、あの親父」


エルミナの父が去った後、しばらく誰も口を開かなかった。


重苦しい沈黙を破ったのは、エルミナだった。


「……ごめんなさい」


小さく頭を下げ、普段らしさなど感じられない声で続けた。


「今日は、その……先に失礼しますわ」


「え?」


思わず聞き返す遥に、エルミナは無理に微笑みを作り、そして樋川へ向き直る。


「せっかく誘っていただいたのに、本当に申し訳ありませんわ」


「エルミナさん……」


「二人で、お食事を楽しんでください」


そう言い残すと、返事を待たずに踵を返した。


夕焼けの中、小さくなっていく背中を、遥は黙って見送る。


「あっ、ちょっ!!」


呼び止めようとした遥の肩に樋川は手を置いた。


「赤城君……今はそっとしておこう」


「お、おう……」


結局、遥達もそのやり取りの後、ヨモの店で食事を摂る事なく寮に戻った。


◇


翌日。


「次、間違えれば十六連不正解だぞ、赤城遥。そろそろ記録更新を止めてくれ」


教壇に立つグランツは、呆れ半分、諦め半分といった表情で俺を見ていた。


「いや先生、その記録いります?」


「不要だ。だから止めろと言っている」


そのやり取りに教室のあちこちから笑いが漏れる。


「さっさとしろ、赤城遥。この中で最も、威力の出る魔法はどれだ?」


黒板にはいつものように、AからDまでの選択肢が用意されており、グランツは眼鏡を押し上げながら、遥の回答を待った。


そして、遥は答える。


「デ――」


「正解はAだ」


「まだ言ってねぇよ!」


遥が解答を言い切るよりも前に、グランツは正解を告げた。


「自主学習が足りていないようだな」


グランツは眼鏡を押し上げると、冷たい視線を遥へ向けた。


「このまま伸びないようなら、私が特別課題を用意し――」


「勘弁してください!!」


特別課題だけは何としても避けたい一心で、深々と、プライドなどとうに捨て去った美しい姿勢で頭を下げた。


その一連のやり取りを見た周りの連中からは、いつも通りに笑い声があふれる。


「全く……よく復習しておく事だ」


「はーい」


呆れたため息と共にそう告げたグランツは再びメガネを押し上げた。


「では次――」


そう言って次の問いに移ろうとしたその時だった。


「こ、困ります!まだ講義中です!!」


廊下から、切羽詰まった女教員の声が響く。


その声は誰かを追い掛けるように、みるみる教室へ近づいてきた。


続いて聞こえてきたのは、慌ただしく駆ける足音。


――そして、それを追い越すように響く、重々しい足音だった。


異変を察した生徒達は自分の席から覗き込むように、前のめりで廊下側に視線を向けた。


「講義中だ。どこを見ている」


教壇から放たれたグランツの一言で、教室は再び静まり返る。


しかし、その静寂は長くは続かなかった。


ガラッ――!


次の瞬間、教室の前扉が乱暴に開かれた。


「ここだな」


開口一番にそう呟いたのは、白いスーツに身を包んだ大男――。


「お、お父さん!?」


昨夜、ヨモの酒場で出会ったエルミナの父親だった。


教室の中央付近に座るエルミナの声に、生徒達が一斉にざわめく。


「あの人って……」


「魔法省の元隊長じゃないか!」


「え……エドワード・アルヴェイン!?」


囁き声が次々と飛び交う講義室内。

そんな空気を意に介することなく、エルミナの父――エドワードは教室へ足を踏み入れた。


「アルヴェインさん……」


最初に口を開いたのは、教壇に立つグランツだった。


「元とはいえ、魔法省の方の学園への立ち入り自体を制限するつもりはありません。しかし、今は講義中です」


「……グランツ」


エドワードは鼻で笑い、続けた。


「お前は相変わらず堅苦しいな」


「そう言う問題ではありません」


その言葉に、グランツ先生は表情を変える事なく、淡々と続けた。


「いくら貴方といえど、講義中の教室への立ち入りは禁止です。講義を妨げる行為は、学園長の定めた規則にて禁じられています」


「規則、か」


エドワードは肩を竦め、小さく鼻で笑った。


「安心しろ。そんなものは理解している。私もこの学園の卒業生だからな」


「それは講義を中断する理由には――」


エドワードは聞く耳すら持たず、教壇の前を通り過ぎる。


「安心しろ。用件はすぐに済む」


低く告げながら、階段状の講義室をゆっくりと上がって行く。


規則も、教師の制止も意に介さない。


教室中の視線を集めたまま、真っ直ぐ教室の中央へ向かうその足は、一人の少女の前で止まった。


「荷物をまとめろ、エルミナ」


「……え?」


突然告げられた言葉に、エルミナは目を瞬かせる。


何が起きているのか理解できないまま父を見上げる彼女へ、エドワードは感情を交えず言い放った。


「お前の許嫁が決まった。この学園も、今日までだ」


それはあまりにも突然の宣告だった。


何を言われたのか、一瞬理解が追いつかない。


いや――理解したくても、目の前に立つ父の存在が、それすら許してくれなかった。


エルミナは小さく息を呑む。


唇がかすかに震える。


「ど、どういう……事ですか、お父さん……」


ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


その問いに答える者は誰もいない。


教室中が静まり返っていたその時。


「……え?」


誰かが、小さく声を漏らした。


その一言をきっかけに、張り詰めていた空気が揺れた。


「ど、どういうこと……?」


「アルヴェインさん、辞めるって……」


「許嫁って……」


戸惑いの声が教室中へ広がり始めた。


「何度も言わせるな、お前を学園に通わせる理由はもう無い。早く荷物をまとめろ」


「ま、待ってくださいお父さん。私は……まだ」


「まだ?なんだ」


震える声で問い返すエルミナ。


しかし、エドワードは娘の戸惑いなど意にも介さない。


「初等部から高等部まで在籍して、我が家の魔法を扱いこなせる様になったのか?」


「……」


「扱えずとも、ルナのように詠唱に秀でた魔女になれるのなら、それも一つの道だと思っていたが……ノクスにすら敗れる程度の落ちこぼれだったとはな」


その瞳に宿るのは、失望ですらない。

ただ事実を告げるような冷たさだけだった。


「結局お前は何者にもなれない愚女のままだ。これ以上この学園に通う必要がどこにある?」


「そ、それは……」


「お前のなすべき事は魔法を学ぶことでは無い。我が家の……アルヴェイン家の魔法を絶えさせない事だ」


エドワードは娘を見下ろしたまま、淡々と言い放つ。


「出来損ないなら出来損ないらしく、せめて家の役に立て」


その容赦の無い言葉に、エルミナの肩は震えた。


俯いたまま、何も返せない。

教室を支配するのは、冷たく重苦しい沈黙。


誰一人として口を挟もうとはしない。


その時だった。


「ふざけんじゃねぇぞ、このクソジジイ!!」


机を叩く轟音が教室へ響く。

勢いよく立ち上がった遥が、エドワードを真っ直ぐ睨みつけていた。


「あ?」


その言葉にエドワードの視線はギロリと遥を見据えた。


「だ、ダメだよ赤城君!」


必死に静止を試みる樋川だったが、遥の耳には入らない。


「それが……それが実の娘に対して言う言葉か!」


怒りで拳を震えさせながらも、遥は叫んだ。


「エルミナはお前の所有物じゃねぇぞ!!」


教室中の視線が遥へ集まる。

だが、エドワードは眉一つ動かさなかった。


「……おい、小僧――お前だな?異例のノクスってのは」


遥を見据えるその瞳に、温度はない。


「魔力も持たぬノクス風情が、誰に口を聞いている」


瞬間、先に殺気を悟ったのはエルミナだった。


「っ!?待ってください、お父さ――」


エルミナの言葉よりも先に、遥の視界からエドワードの姿は消えた。


刹那。


「我が家の問題に――」


遥の背後から声が響いた。


「なっ!?」


全身が総毛立つ。


反射的に振り向いた、その瞬間。


「――口を挟むな」


視界いっぱいに、振り抜かれた拳が迫っていた。

読んでいただきありがとうございました。

また次回も見てもらえると嬉しいです。

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