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警護でござる。将軍、世直しの旅に出る  作者: 林和志
3章 碧き空の下で
9/9

9.将軍、江戸に戻る

 その頃、老中首座の稲葉と大目付の大岡は、将軍をどうやって江戸に戻すか、話し合っていた。河村瑞賢も請われて、同席した。

 「稲葉家の駕籠でお戻りいただくにしても、ご老中の稲葉様と上様が、同時に稲葉の駕籠で江戸入りすることになります」

 「道中や関所は、老中の駕籠ゆえ改められぬ。だが、大老殿は、上様にどうやって、城にお戻りいただくつもりだったのだ。上様ではなく、弟君の舘林宰相様も江戸城府。小田原旅行をできるわけがあるまい」

 「あまりお考えにならなかったのでしょうな」

 大岡が苦笑いしながら言った。

「佐渡守。女駕籠はどうじゃ」

 「逆に、怪しまれましょう。城中もご老中同席なら駕籠改めは出来ますまい。酒井様も上様と同行されるおつもりだったのではありませぬか」

 「大老が、同行すれば、上様とわかるではないか」

 「駕籠かきか人足に紛れ込ませるしかありませぬな」

 「馬鹿を申すな。そうじゃ、一度、舘林宰相様の屋敷に入り、舘林様の駕籠に上様を移して、登城いただくのはどうじゃ」

 「妙案でございます」

 「では、書状をしたため、舘林様にお伝えしよう」

 こうして、将軍は稲葉家の駕籠で、綱吉の屋敷に向かい、そこで着替えてから、綱吉の駕籠で城に入ることになった。

 「のう、瑞賢殿。貴殿は舘林様ではなくあのお方が、上様ご本人と気づいていたのではないのか」

 「どうでしょうな。舘林様も上様も雲の上のお方、私にとっては同じようなものでございますよ」

 稲葉に尋ねられた河村は悪戯っぽく笑った。

 「あの娘、まると言ったか。幼子だが、亡くなられた養春院様に面影が似ておらぬか」

 稲葉は、酒を持ってこさせると、大岡と河村に注いだ。

 「ご老中、拙者は新番頭でしたゆえ、養春院様に御目通りをしておりませぬ」

 「そうか。いや、あの娘、言葉遣いは乱暴だが、養春院様に雰囲気が似ておるのだ。不思議なこともあるものじゃ。上様も、お元気になられるやもしれぬ。この度の世直しの旅、酒井殿のお考えは軽率すぎると思う。だが、上様、御寵愛の新しいご側室が誕生するのであれば慶事ではあるな」

 呑気に稲葉は笑うと盃を、一気に飲みほした。

翌朝、家忠は小田原城主の稲葉と大目付の大岡、河村瑞賢に言った。

 「楽しい道中であった。江戸に戻ろう」

 稲葉は尋ねる。

 「恐れながら、松平家忠殿としてでしょうか。それとも・・・」

 家忠は、無言で微笑む。

 「もちろん、松平家忠としてである。河村瑞賢の駕籠で参ろうか」

 家忠は、宗春、水野、井伊を連れ、河村瑞賢とともに小田原城をボロ駕籠に乗って出立した。

 その前後には、江戸を出立した時のように、伊賀組、甲賀組が町人に扮して護衛をしている。

 かなりの数の護衛がいることに、家忠は気づいた。だが、知らぬふりをした。 

 宿場では、松平家忠として本陣に宿泊した。

 「旅籠屋でも良いのですぞ」

 河村がそう言うと、家忠は首を振った。

 「ご老人には、感謝しておる。小田原までの道中、まるとの出会いもあった。これ以上は、皆に迷惑であろう」

 家忠は、あくまで一旗本として江戸までの道中を大目付の大岡、宗春、井伊、水野、そして河村瑞賢と駕籠かき、伊賀組、甲賀組を引き連れて戻って行った。道中で、家忠一行を追い越し、稲葉は先に江戸に向かい、舘林宰相に事情を説明に向かう。

 長閑な風景が駕籠の中から見える。

 川崎宿で、河村が手配をした屈強な用心棒をつけて村に返したまるが戻って来た。

 「一緒に江戸に参るか」

 まるは家忠の問いかけに、少しはにかみながら頷いた。家族と会って、何か吹っ切れたのかもしれないと河村は思った。

 先に江戸に戻った稲葉の差配で、道中の護衛は堅固なものになっていた。

 道中奉行支配の役人達は、稲葉の指示通り、家忠達の駕籠を改めることなく、江戸まで向かわせた。

 江戸に入ると、家忠は舘林宰相の屋敷に向かった。

 家忠が、屋敷に入ると、替えの駕籠が用意をしてあった。

 「筋が通らぬ。上様であればお会いするが、ただの旗本であろう」

 旗本の家忠と、綱吉は面談する気はなかった。

 家忠は、綱吉の屋敷で、家忠の着物を脱ぎ、将軍の格好に戻る。着替えると舘林宰相の駕籠に乗り換えた。家綱が着替え終わると、綱吉が将軍を門まで見送るために屋敷から姿を現した。

 家綱の乗った駕籠が、城の前に来ると、駕籠の脇にいる河村に声をかけた。

 「では、城に戻ろうか」

 舘林宰相の駕籠で、将軍は城に入る。

 河村は、町人ゆえ、門の前で去ろうとした。

 「ご老人には最後まで案内してもらわねば困る」

 河村は、将軍にそう言われ、驚きながらも城内に入った。

 駕籠が本丸に着くと、将軍は駕籠から降りた。

 書院番達は、上様の突然のおなりに驚いた。将軍は、平然とした顔で何事もなかったかのように、宗春や大岡を従えて御殿に入っていく。

 一瞬、驚いていた書院番の者達も、何事もなかったかのように将軍に付き従った。白昼夢を見ていただけなのだと己に言い聞かせる。保身である。

 「存外、将軍の器であられたな」

 本丸まで将軍を出迎えに来た稲葉は、河村に呟いた。

 稲葉家の駕籠に乗って、城に入ったまるは、呆然としていた。

 「お主にも、なれて貰わねば困る」

 老中の稲葉にそう声をかけられた。

 将軍から、河村に預けられた、まるは、城中の作法を教わると満流という名で大奥に入った。

 「良き子が生まれると良いな。兄上も良い土産を貰って来たものじゃ」

 舘林宰相はそう言って哄笑する。

 将軍は、何事もなかったかのように、何も変わらぬ退屈な日々を過ごした。

 それでも、小田原土産の満流を寵愛し、仲睦まじく過ごしたという。

 将軍は、側室の満流を寵愛した。しかし、子ができぬまま、将軍は病にかかった。

 死期を悟った将軍家綱は、綱吉を養子に迎えた。

 「空が碧い。楽しい道中であった」

 意識が朦朧とする中、将軍は道中で見た景色が浮かび、側に控えていた綱吉に呟いた。

 こうして、上様の世直しの旅は、幕を閉じたのである。

                                          

                                           (了)

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