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警護でござる。将軍、世直しの旅に出る  作者: 林和志
3章 碧き空の下で
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8.将軍、大目付に怒られる

 「たわけたことを申されますな、松平家忠様」

 陣屋の外から、大岡が静かにはっきりとした声で言った。

 大岡は、藤沢宿を出ると、小六を連れ、陣屋の様子を伺っていた。

 遠巻きに監視をしていた伊賀組は大岡に気が付き、大目付の大岡に声をかける。

 「実は、舘林宰相様が世直しの旅をしたいと・・・」

 伊賀組与力の話を聞いた、大岡は呆れた顔をする。大岡は、書付を小六に渡した。小六は主の命を受け、駕籠かきに、相場よりかなり多めの駕籠代を渡すといずこへか向かっていく。

 陣屋近くに身を隠すと、人買いの仲裁に行った舘林宰相一行を待った。河村達が色々と仕込んでいるようであったから、戻って来るのに時間がかかるであろう。小六の使いが間に合えば良いが。

 それから、だいぶ時間がたった。伊賀組も、大目付の大岡に声をかけることは躊躇われた。

 大岡が舘林宰相一行を待っていると、知己の大商人、河村瑞賢が現れた。そして、柳生宗春、水野、井伊の小姓組、書院番の将軍側近衆を伴い将軍、徳川家綱が戻って来たのである。

 身分の低い伊賀組は、将軍の顔をはっきりとは知らぬのであろう。

 「佐渡守ではないか」

 松平家忠は、陣屋に、突如、入って来た老侍に声をかける。

 大岡は、恭しく跪く。

 「恐れながら」

 大目付、大岡佐渡守の奏上を将軍は遮る。

 「かしこまらずともよい。余は、無役の旗本、松平家忠である」

 大岡は立ち上がると柳生の小僧を睨みつける。

 警護の伊賀組ですら、松平家忠を将軍の弟、綱吉公と信じきっていた。河村も将軍とは知らされていまい。だが、将軍の剣術指南の相手をしている柳生宗春が正体を知らぬはずはない。側近の水野や井伊も将軍と知っているから同行を許されたのであろう。

 「では、無役の旗本、松平家忠殿。貴殿はどこに参るのでござろうか」

 「小田原城におる老中稲葉正則殿に会いに参る」

 「ご老中に会いに行くのですな。そうであれば、その必要はございませぬ」

 「どういう意味じゃ、佐渡守」

 陣屋の外が、蹄の音で、にわかに騒がしくなる。

監視を行っていた伊賀組も、その見知った家紋に、話しかけるわけにもいかず、見過ごすことにした。保身である。

 数十頭の蹄の音がして、陣屋の外に、馬で駆け付けた老中首座の稲葉正則が現れる。

 稲葉は、馬を降り、陣屋に入ると城にいるべきお方に跪いた。

 「忍び旅ゆえ」

 尊きお方は、涼しい顔で言った。

 「ご老中、松平家忠殿とこの御仁は申されるらしい。無役の旗本だと申しておられる」

 陣屋に入ると大岡は跪いている、稲葉を立ち上がらせた。

 稲葉は、松平家忠と名乗る貴人を陣屋の外の駕籠に案内しようとする。

 河村も宗春に、「これまででござるな」と微笑んだ。河村の、その言葉に、宗春は、安堵の笑みを浮かべる。

 老中、稲葉正則が直々に、告げた。

 「松平家忠様、御出立である」

 予想外の騒動に、伊賀と甲賀の組頭が姿を現した。

 稲葉は、怪訝な顔で問いかける。

 「伊賀と甲賀の組頭か」

 「はっ」

 「では、松平家忠殿の警護の任を解く。酒井殿に、この件は、老中首座の稲葉が預かったと伝えよ」

 伊賀、甲賀の組頭が、困ったように立ちつくしている。見かねた、河村が稲葉に声をかけた。

 「ご老中様、この者達も仕事で引き受けたのです。最後まで、任務を全うさせて頂けませんか」

 「おお、瑞賢殿か。久しいな。瑞賢殿がそう言うなら、その方らも小田原の城までついてまいれ」

 そして、苦笑いしている知己の河村を労う。

 「瑞賢殿も、ぜひぜひ、小田原に参られよ。蒲鉾でも馳走しよう」

 稲葉は馬に乗り、家忠を乗せた駕籠を出発させようとすると慌てて、大岡が稲葉を静止した。

 「お待ちください。ご老中が先導をすれば、道中の者達にお駕籠のお方がどなたかわかってしまいますぞ」

 「そうであったな」

 突然の出来事に、圧倒されている少女まるをちらりと見ると、家忠は稲葉に言った。

 「あの女人、まるというが、余の連れじゃ。どうか、駕籠を用意して欲しい」

 「よろしいのですか」

 「うむ」

 家忠がそう言うと、駕籠を持った侍達が陣屋前に集まって来た。

 まると稲葉を駕籠に乗せると、数十人の小田原藩士に守られ家忠、稲葉、まるの乗った駕籠が出立する。

 家忠の横には、宗春と水野が、まるの駕籠の横には井伊が護衛として同行する。

 第二陣を率いてやって来た小田原藩の家老は、大目付の大岡と河村瑞賢に声をかけた。

 「大目付様、河村殿、どうぞ駕籠にお乗りください」

 家老に勧められるまま、二人も駕籠に乗り、大岡と河村も小田原城に向かうことになった。

 藤沢宿に逗留している代官の原口には、すみやかに陣屋に戻るようにと、老中首座の稲葉から通達を出した。

 「そういえば、あのものも」

 河村は、小田原藩の家老に頼み、悪代官役の石田を陣屋の牢から出すと小田原城に同行させた。

 小田原城内に入城すると、旗本の松平家忠は稲葉に案内され城中に宿泊することとなった。

 「あんた、なにものだい」

 「旗本じゃ。それより、お主、一緒に江戸に来ぬか」

 「行くわけないだろ」

 「そうか」

 家忠は、残念そうにうなだれる。

 「行儀見習いとして、うちに来なさい」

 河村は、にこにこと微笑みながら、まるに言った。

 家忠は、まるを気に入ったようである。いずれ、大奥にまるを入れたいと言い出すであろう。

 「一度、村に帰りたい」

 まるは、そう言った。

 「そうか。では、ならず者が来ぬように、用心棒をつけるよ」

 「今度は、爺さんがあたしをさらうんだろう」

 家忠は、二人のやり取りを微笑ましく眺めていた。

 河村は、ただの旗本である家忠に平伏して、奏上する。

 「松平家忠様。恐れながら、陣屋で捕縛した石田というものは、大目付の高木殿が用意した悪代官役でございます。お旗本と伺っております。小普請の無役で、困窮し仕方なく悪代官役をやって、芝居で成敗されたのでございます。松平様のご家中にお加えくださいませんでしょうか」

 「うむ、良きにはからえ。万事、稲葉がやってくれよう。石田と申すか。お主、なかなかの役者よのう」

 河村の横で控えている稲葉に言った。

 稲葉は、静かに頭を下げる。突然の僥倖に石田は、ぽかんとしていた。しばらくすると、一筋の涙が石田の頬から静かに零れ落ちた。

 「旗本にも、石田のように困窮しているものがおるのだな。余も馬鹿なことをしたのかもしれぬな」

 家忠は、噛みしめるように呟いた。

 それから、無礼講の宴席があり、家忠は、寝所に入る前に、宗春や水野、井伊達とも酒を飲んだ。

 最後まで、家忠は、将軍ではなく旗本で通すつもりであったから、宗春達もそのように接し、無礼講を楽しんだ。



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