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警護でござる。将軍、世直しの旅に出る  作者: 林和志
3章 碧き空の下で
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6.陰謀、宮将軍擁立

 将軍、家綱が世直しの旅に出た頃、大老の酒井の下に一通の書状が届いていた。

 酒井は、恭しく書状を掲げてから、中身を丹念に読んだ。

 酒井宛の書状を書いたのは、摂政の一条である。京から届いた書状を読むと、酒井は綱吉の屋敷に向かった。

 綱吉は、酒井から渡された書状に目を通す。一瞬、顔色が変わったが、静かな声で言った。

 「宮様が兄上の後継でも、余は構わんぞ」

 一条の書状には、「幕府が強く望むのであれば、有栖川宮様を後継将軍に推挙してもかまわない」と書かれていた。有栖川宮幸仁親王、後西天皇の第二皇子である。

 「上様に実のお子がおられれば良いのですが・・・」

 酒井が言い訳をするように綱吉に言った。

 「養春院殿が亡くなられて、だいぶ経つな」

 酒井ら幕閣も、養春院の懐妊に、お世継ぎが出来ると喜んでいた。だが、流産し、養春院もそれが原因で亡くなった。それから、家綱は無気力になった。

 「よい女子と、道中で結ばれると兄上も気が晴れるやもしれぬが」

 新しい側室を迎えない将軍、家綱に、酒井は独断で宮将軍を一時的な跡継ぎにしようとしていた。家綱はまだ若い。御三家や綱吉を跡継ぎにせずとも、宮様を後継者にしておけば、お子が出来れば、反故にすればよいと考えていた。

 「だがな、酒井よ。将軍の後継を、大老の裁量で決めて良いことではなかろう」

 柔和な顔で、やんわりと綱吉は酒井をたしなめた。

 「上様に奏上して、御裁断を仰ぎまする」

 「帝にも上様にも、不敬にならぬようにな」

 綱吉は酒井に釘をさした。


 その頃、保土ヶ谷の脇本陣で、まるは、上等すぎる布団に目が冴えて眠れずに朝を迎えた。夜中に家忠が、夜這いに来るかとも思ったが、何事もなく朝を迎えた。

 家忠一行は、脇本陣を出る。

 宿の外では、いつ宿を出たのか、河村が駕籠かきを連れて、待っていた。

 この老人は、相変わらず、薄汚れた着物を着ているが、嫌な臭いがしない。旅籠の風呂に入ったのであろう。

 まるは、愛嬌の良い河村のことを薄気味悪く感じた。

 駕籠が一つ増えた。

 昨日、家忠が、「女子のまるを駕籠に乗せるべきではないか」と言ったからである。

 道中、一行が目にする駕籠かきは、貧しいものが多く粗野に見えた。

 河村が連れて来る駕籠かきは、筋肉質である。そして、服も煤で汚している。木綿の着物を刃物で切って、ところどころに穴が開いているように見せかけていた。

 まるは、河村に得体の知れない不気味さを感じ取っていた。

 保土ヶ谷を出ると、次は藤沢である。

 途中の陣屋に、大目付の高木が仕込んだ悪代官役がいる。

 飛び地で幕府の天領があったから、そこに悪代官役を準備しておいたのだ。

 最初、高木は河村に悪代官役の役者の手配を頼んだ。

 「高木様、代官を成敗するのは舘林宰相様でございましょう。世事にも通じた、ご聡明な方と聞いております。舘林様は武士と町人の区別はつくのではありませんか」

 それもそうだなと高木は感心する。河村は、松平家忠に直訴する町人役の役者は準備をしてくれた。だが、代官役は高木が手配をすることになった。

 そして、小普請の小禄の旗本の石田という四十の男を悪代官にすることにした。

 それとなく、小普請の者達の噂を集めてみると、馬鹿正直だが口が堅い石田という旗本がいるという。

 高木は、城中に、石田を呼び出すと言った。

 「斬られて死んでくれぬか」

 「拙者に落ち度がありましたか」

 「ない。芝居でな、斬るふりをするゆえ、死んだ真似をしてくれればよい」

 大目付の高木に頭を下げられ、石田は悪代官役として、宗春に斬られることとなった。

 石田の俸禄は百石である。御家人とかわらぬ小禄だが、御目見えであるから代替わりの時に、上様に拝謁することが出来る。

 伊賀組や甲賀組の同心達は、上様に拝謁できない御家人である。

 小禄でも、旗本の方が良いと石田を悪代官役に仕立てることにしたのだ。

 借りるのは、小さな陣屋ゆえ、数日間、与力、同心以下は、藤沢宿の宿屋に泊まる事となった。

 石田が高木から頼まれたのは、陣屋にやってきた尊いお方のために余興で悪代官役を演じて欲しいということであった。

 河村が手配をして、芝居の作者に大まかな筋書きを作らせた。

 筋書きを渡された石田は、何とも言えない表情をする。

 これも仕事と割り切り、「くれぐれも相手がどなたであるかを詮索せぬように」という高木の厳命により、石田はやんごとなきお方であることを理解した。

 

 さて、石田が悪代官として成敗されるために、大目付の高木から数日間の休暇を与えられた本物の代官の原口達は、藤沢宿の脇本陣に入る。

 「申し訳ございません。脇本陣は全て大目付の高木様が借り切っておられます」

 主人が深々と頭を下げる。

 「原口様、旅籠に入りましょう」

 与力が先導し、町人達も宿泊している旅籠に向かった。

 旅籠に向かう途中、原口に突然、老侍が声をかける。

 「原口ではないか」

 聞きなれた声がした。振り向くと大岡がいた。

 「佐渡守様」

 大目付の大岡佐渡守忠種である。中間であろうか、大岡は若者を一人同行させていた。

 「佐渡守様がなぜ、このような場所に」

 原口と代官所の者達に、大岡は微笑む。

 「大山詣での帰りに、江島にも足を延ばそうと思うてな。しかし、代官、与力、同心、総出で何をしておるのだ」

 原口は、高木から陣屋を離れるように命じられたこと。脇本陣を高木が貸切っている事を伝える。

 「おかしくはないか。高木殿は道中奉行を兼ねておられる。だが、陣屋を借り切るのは筋が通らぬ。筋が通らぬことをする御仁ではなかろう」

 柔和な顔をした白髪まじりの老人ではあるが、大岡は鋭い。

 「実は、大老の酒井様のご命令らしく」

 「酒井様か」

 怪訝な顔をした。大老の酒井はずる聡い。聡く、現実主義の実務家である。

 「ご大老がな・・・」

 思案するように呟く。

 「まあよい。旅籠に案内しよう」

 大岡は、大目付になってからは昼行燈と揶揄する者もいたが、御徒頭、目付、新番頭を経ての大目付である。いわば、武闘派の警護畑を歩んで大目付に任じられた人物である。今は好々爺に見えるが、若い頃は血の気も多く、そのために閑職の江戸城二の丸留守居に左遷されたこともあった。

 最後の御奉公と閑職の大目付となり、従五位下佐渡守に任じられ、今は悠々自適に、毎日を過ごしていた。

 大岡は、大老の酒井のことが好きではなかった。小賢しく、器用に立ち回る酒井が武闘派で実直な大岡には不快に感じられたのである。

 大岡は昨日、藤沢宿にやってきた。本来であれば、今日、江島に向けて出立しても良かったのだが、代官の原口と出会い。藤沢宿に逗留して、きな臭い成り行きを見守ることにしたのである。

 原口達が案内された旅籠は、武家と町人が半々、宿泊をしていた。藤沢宿では上の下の宿であろうか。

 大岡は大山ぐらいなら一人で詣でるつもりであったが、用人の飯島が嫌な顔をして猛反対をした。そこで、妥協点として、親子二代にわたり大岡家に使えていた中間の小六を同行させることとなった。

 小六は、道中、飯盛り女を抱いても、寛容に笑っている大岡が好きであった。

 大岡は、大身の旗本であったが、喧嘩はしても女を買って抱いたことはない。若い頃、悪友達から、吉原に誘われたこともあったが断った。その気真面目さゆえに、大目付に昇進したのである。

 大岡は、快楽を過度に好まず、妻だけを愛し、その妻に先立たれてからは、昼行燈と呼ばれる好々爺になったのである。若い頃の大岡を知るものが好々爺となった彼を見れば、驚くであろう。

 大岡の部下に対する口癖は、「ほどほどにな」であった。

 目付の仕事も、厳しく監視をすれば、旗本達もやる気をなくすであろうと、小さな不正は目をつぶった。小さな不正は、咎めはしなかったが、「目付にばれぬようにうまくやれ」と注意をした。

 新番頭として江戸城の警護を十年ほど勤め、これでお役御免かと思ったが、大目付に推挙された。新番は、水野や井伊が務めている書院番や小姓組より格下である。荒事を好む大岡には新番の方が向いているように感じていた。

 大岡は、裏方の荒仕事をこなしてきたから些事は気にならない。ゆえに、宿屋も小六と同じ部屋に泊まっていた。大名格の大岡であれば、本陣に泊まることも出来た。しかし、公務ではないと旅籠に泊まったのである。

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