2.警護計画作成
その夜、大老の酒井の屋敷に徳川御三家、水戸藩附家老の中山が急遽、呼び出されることとなった。附家老は、将軍から御三家に派遣された家臣である。水戸藩二十八万石、附家老の中山家の石高は二万石。御三家の附家老は大名格である。水戸藩江戸屋敷とは別に、中山にも幕府から屋敷を与えられていた。
ご丁寧にも、迎えの駕籠まで用意をして、大老に呼び出された中山は、嫌な予感しかしなかった。
中山の脳裏には、改易切腹の四文字が浮かぶ。
しかし、相手は、幕府の最高権力者の酒井である。
「内々に、中山殿にお会いしたい」
そう呼びされれば、拒否するわけにはいかなかった。
中山が酒井の屋敷につくと、玄関まで大老の酒井と老中の松平が満面の笑みを浮かべ、出迎えに来た。酒井は、水戸藩主の徳川光国よりも、数歳年上で、もうすぐ五十歳になる。
精悍な顔つきであった。老中の松平は、三十代前半で将軍家綱と年も近い。
松平は、家光の弟である保科正之が没した後、親戚衆の代表として老中に就任した。鷹揚な人物で、腰は低く、譜代、外様問わず、小人物であったが、それなりに人気があった。
酒井の屋敷は、小石川の水戸藩邸に比べれば、大老という地位を考えれば、気の毒なほどに小さい。とはいえ、大手門の側にあり、すぐに城に駆け付けられる。
酒井と松平、直々の案内に中山は恐縮する。嫌な汗が額から一筋、流れた。その汗が気持ち悪く感じられた。中山は、酒井と松平に案内されて、奥座敷に通された。
宴席の料理が運ばれると、女中達は席を外す。
二十畳の座敷に、酒井、松平、中山の三人が座った。
中山は、酒井に酒を注ごうとする。
「こちらから呼び出したのだから、まあまあ」
酒井は、中山の盃に、上方から取り寄せた清酒を注ぐ。
中山は、器用な男ではない。父の跡を継いで附家老となったが、父のように合戦の経験があるわけでもない。酒井は悪人ではないだろう。けれど、腹の読めぬところがある人物である。松平は、善人であろう。ゆえに、余計に何を考えているか、わからないところがあった。
中山が仕える徳川光国は、革新的な藩主である。家光に反旗を翻そうとした尾張や紀伊と異なり、家光から光の一文字を与えられていた。光国は、明から高名な朱舜水を招き、大日本史の編纂を行っていた。この年、水戸藩に一時帰国した際、船で鎌倉まで行き、道中見物をして江戸に帰参した。
光国は、肉食者でもあった。薬として牛の味噌漬けを作る井伊家とは異なり、食べ物として肉を食った。牛や豚、羊肉も食べる。小石川の屋敷では、朱舜水から教わった拉麺を元に後楽うどんなる料理を考案し、来客に振る舞っていた。
光国には、幕府から睨まれる要素しかなかった。
さらに、素行が良いとも言えなかった。水戸藩主就任前には、吉原の遊郭に通っていたと聞く。中山は、光国が若い頃に、江戸市中で辻斬りをしていたという噂も耳にしていた。
それだけに、中山は酒井や松平の腰の低さは、実に気味が悪かった。
自分から、何を聞き出したいのか。
「ところで、水戸宰相様はお若い頃は、市中に出向いておられたそうですな」
「私が子供時分のことですから」
中山は、松平の問いに、曖昧な笑みを浮かべ誤魔化そうとした。
「歴史書の編纂で、全国に人を使わしておられるとか、さすがですな」
酒井が不自然な笑みを浮かべる。歴史書、大日本史編纂のために、水戸藩では藩士を全国に使わしていた。御三家のことゆえ、幕府も黙認をしていたが、 内心は不快に感じていたのであろうか。
松平は、中山の不安そうな顔色を読み取り、穏やかな口調で話しかける。
「誤解をされぬよう。我々は、水戸様を批判したいのではありませぬ。中山殿のお知恵をお借りしたく、お呼びした次第でござる」
松平は、酒井の顔を見る。
酒井は、中山の気持ちを察し、
「遠回しにお聞きして申し合わけなかった。これは、水戸藩のことではないのだ。水戸様にも他言無用でお願いできるか」
中山は、幕府を一身に背負う大老の有無を言わせぬ迫力を感じた。
「実はな、舘林宰相様が世直しの旅をしたいと仰られてな。我らも弱っておるのだ」
「よ、世直しの旅でございますか」
「左様。左様。家光様もお若い頃は、市中にお忍びで出かけられることがあったと聞く。しかし、舘林宰相様は、上様の弟君ゆえ、ご不自由に思われることもあるのであろうな。我らは、どのように舘林宰相様を警護して良いかがわからぬ。水戸様も江戸定府、時折、江戸を抜け出しておるという噂もある。いやいや、それを咎めようというのではない。どのように水戸様を警護しているのかを中山殿にご教授願いたいのだ」
人の好い中山は、二人に同情した。この幕閣のお二方も、自分と同じ苦労をしておられるのだと。
「そういうことでございますか。殿は武芸の腕に自信がございます。ですから、護衛の侍をことさらに嫌がるのです。そこで、町人に扮した、殿と面識のない十名の腕利きに守らせております。また、水戸では、殿の護衛のための忍びがおります。この忍びが常時十人、殿を見張っております。護衛のものには、短筒も五丁渡してあります。もちろん、鉄砲は江戸には持ち込んでおりませぬ」
慌てて言い訳をする中山に、酒井は言葉をかける。
「気にせず。水戸様は江戸には短筒を持ち込んでおられぬのであろう」
「何より大切なことは、殿を危険な場所に行かせぬことです。そのために、先方、中堅、後方の三部隊を配備しております」
「先方、中堅、後方の部隊もおるのか・・・」
思わず酒井は声を漏らす。
「藩主の警護とはそういうものでございます。各隊十人から二十人の選りすぐりの腕利きでございます。先方隊は一里先を、中堅隊は十五町先を、そして後方隊は、殿の十町後を歩きます。また、各藩に先ぶれを出して、家老に事情を説明いたします。しかし、各藩の方々には殿が通られても各藩の同心、与力が総出で市中見回りをしていること隠していただいております。殿に気付かれるように、殿のお付きの小姓にも、警護の仔細は教えてありません。殿はああ見えて、勘は鋭いのです」
「なに、水戸様は、小姓を連れて、市中に出向かれるのか」
「家光様もお一人で市中には行っておられぬでしょう」
中山の言葉に、酒井は松平と顔を見合わせ、破顔一笑。
「これは、盲点であった。お供がおっても良いのだな」
「舘林様はお一人で世直しに行くとは申しておらぬ。親しいお供なら、連れて行くのであろう。腕利きの若い側近をお側につけ、危険なところは与力、同心が排除する。中山殿には良いことを聞いた。かたじけない。かたじけない」
無邪気に喜んでいる幕閣二人に、中山は真剣な顔で言った。
「それだけ、入念に準備をしても、我々の思い通りに動いてくださらぬのです」
それは、正鵠を射る、不吉な予言であったが、酒井と松平は、「なんとかなりそうじゃ」と安堵した。
それから、ささやかな御礼の宴席が終わると、酒井と松平は陪臣である中山を玄関まで、丁重に送った。
「くれぐれも内密に頼む」
幕閣の二人は、中山に深々と頭を下げるのであった。




