中2年 ちょっと掠れたテノール
伊吹は中学2年生の半端な時期にやってきた転校生だった。
朗らかに自己紹介するちょっと掠れたテノールが、ふわりとやわらかくていいなと思った。
真っ黒な髪、真っ黒な瞳で柔和な笑み。
でもなぜか、冷たくて鋭く尖った刃みたいな印象を受けた。
そんな印象を他所に、彼は愛想がよくて、好奇の視線も何度と繰り返しただろうクラスメイトの質問も簡単に交わして馴染んでいった。
きっと関わることはないだろうと思っていた。
例え席が隣だろうと。
よろしくね、も、言えなかったし…。
ある日、チャイムが鳴って、先生が来てから授業が変更になっていたことに気付いた。理科の教科書は、持ってきていない。
教科書を忘れたときは合唱部の子に借りに行くのだが、授業はもう始まってしまった。
残念なことに右側が伊吹で左側は窓。
先生に気付かれるのもそれはそれで恥ずかしい。どうしよう。
「教科書、見る?」
クラスメイトと話しているときと違って、静かに抑えられた、テノール。
掠れて聴こえるのは、きっと声変わりで。
こっそりと話しかけられて、愛はビクリと体を強張らせて右側を見ると目が合った。
「教科書なさそうだったから。あるならいいけど」
やっぱり。いい声だ。
そう思いながら、声の主を凝視していると、その目を怪訝そうに細める。
「な、ない」
慌てて言うと伊吹は机を近付けて教科書を机の真ん中に置いてくれた。
授業に集中なんてできず、長いような短いような不思議な時間だった。
チャイムが鳴って机を元に戻す伊吹にお礼を言わなきゃと息を吸ったところで、一足先に伊吹の友達が伊吹に話しかけてしまった。
お礼を、言いそびれてしまった。
◇◆◇
「…澤村さん?」
聞き覚えのある掠れたテノールが、背中から飛んできた。
「あ、」
「大丈夫?具合悪い?」
花壇の前にしゃがみ込んでいたから、心配されたらしい。
愛は勢いよく立ち上がって、ジャージ姿の伊吹に頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「ん?何の話?」
お礼を言わないとと思うあまりお礼だけが口から出て、伊吹は意味がわからないと眉根を寄せる。
「あの、教科書!理科の!」
「ああ…」
「お礼、言ってなかったから」
ゆっくり瞬きをする伊吹を見て、汗をダラダラかく愛。
ーーーあ、また失敗した。なんでわたし、いつもこう…
「ふ」
口元に手を当てて……笑った?
「何かと思えば。どういたしまして」
彼は、怒ってはいない…ようだ。
「うん。何してたの?」
「花見てたの」
「たんぽぽじゃん」
「たんぽぽだよ。秋なのにたんぽぽが綿毛になってるんだよ」
愛の足元に置いてある鞄に目を向けつつ聞いた。
「授業中もよく外見てるよね」
やっぱり優しい声だと思った。鋭くなくて、広がりすぎない。
周りに比べたら落ち着いていて、喋り方も少し大人びているのかもしれない。
「そうかな?」
「うん」
授業を集中して聞いていないのがバレているのかもしれない。
「楽しそうでいいね」
吐息に混ざって落とされたそれは、呆れでもなく、トゲトゲしさもなかった。
最初に感じた、ひんやりした刃物っぽさも。
伊吹がしゃがんで、愛がしていたみたいにたんぽぽを眺めたから。
愛もそれに倣って、伊吹の部活の集合がかかるまで一緒に眺めていた。




