高3 冷たい刃みたい
「澤村は方向性決まってるからな。数学だけもうちょっと頑張れな。武藤と中根も教えてくれるだろうし」
「はあい」
武藤と中根は、清嗣とハナだ。いつも面倒を見てくれていることなど先生はお見通しみたいだ。
愛のことをよくわかってくれている。
「あと出席日数は気をつけるんだぞ」
「はあい」
「武藤と中根とも、毎日一緒じゃなくなるから少しずつ自立しないと、な?」
「あ…は、い…?」
「待て待て、そんな顔するな。いじめてるんじゃないぞ?」
「………」
「ま、まあなんだ。あいつらは学校離れても変わらず仲良くしてくれると思うぞ?澤村?な?」
こくこくと頷いて、担任と進路の面談を終えた。
面談の部屋を出て教室に向かいながら、呆然とした。
「そっか」
エスカレーター制で音楽科のある大学にそのまま進学はできる。
できるけど、一定の基準は定められている。
成績は、清嗣とハナのおかげでギリギリ。出席日数もギリギリだ。
形だけの受験でも、一応、試験を受けなくてはいけない。
特進クラスの清嗣は、受験をして違う大学に行くらしい。ハナもエスカレーターで大学に行くはずだけど、学部は違う。
幼稚園でハナと同じクラスになって以来、初めて2人と離れる。
1人でやっていけるのだろうか。
急に不安が襲ってきた。
「そういえば…いぶきくんは…?」
伊吹は親の都合で転入しやすいうちの学校に転校してきただけで、頭がいいはずで、どうするんだろう。
聞いたことなかったけど、遠くの大学に行くんだろうか。やりたいことはあるんだろうか。
当たり前だと思っていた、いつでも会える日々は、あっけなく消えてしまうのかもしれない。
嫌だ。怖い。
ヒュッと喉の空気が抜ける。
なにが?
お腹を抱えてうずくまった。
ペタペタと上靴の音が近づいてくるが、動けない。
「愛ちゃん?」
「ーーーっ」
やわらかいバリトンが愛を呼ぶ。
「どうしたの?具合悪い?」
顔を上げると、伊吹が同じようにしゃがみ込んで、愛の隣にいる。
ぼろぼろと涙が落ちてきた。
「え、えー?泣かないで?どこか痛い?ええっとタオル。汚れてないと思うけど」
慌ててリュックから引っ張り出したタオルで、愛の頬に触れた。
その手に、手を重ねた。
触れた体温に、胸のあたりの重いのがするするほどけていくような感じがした。
瞬きするたびに、涙がこぼれ落ちる。
「どうしたの」
進路どうするの?
受験して違う大学に行くの?
ーーー遠くに、いっちゃうの?
深い、穏やかな湖みたいな瞳が、愛を映している。
「き、きよくん、別の大学行くって」
ハナも、違う学部で離れてしまうって、というところまで、涙で言えなくて。
ピタリと、頬を撫ぜた伊吹の手が止まる。
「いぶ」
「ーーーそう。」
“伊吹くんは進路どうするの?”
訊こうとする愛の言葉を、低くて冷たい、鋭い声で遮るから。
それ以上続けられなくなる。
伊吹は愛から離れ立ち上がった。愛の手の中にはタオルだけ残して。
「武藤、頭いいもんね」
昔の冷たい刃みたいだった頃の、あの声。
あくまで穏やかな表情は崩さずに、でも。
「わ、わたし、何か、怒らせること、言った…?」
唇が震える。
「僕、愛ちゃんが好きだって、言ったよね。」
膝を抱えたまま見上げるが、表情が見えない。
「そんな驚いた顔しないでよ」
思っていることが、言えなかった。
今まで、伊吹には、なんでも言えたのに。
「でも、愛ちゃんは、アイツばっかりだね」
自嘲する声に、心臓が嫌な音を立てて、でもなにもできない。
「中根さん、教室で待ってたよ」
愛の横を通り過ぎて、伊吹は教室の方に歩いて行った。
伊吹に突き放されたのは、初めてだった。
突き放されたのは愛のはずなのに、傷ついたのは、きっと伊吹だ。
でもわからない。なんで?
さらに出てきた涙をタオルが吸う。
伊吹らしいタオルはちょっとだけ伊吹の匂いがして、また涙が出てきた。
胸のあたりが、痛い。
「ちょっと!愛、どうしたのよ?」
走ってきたハナが、愛に寄り添う。
「なになに?先生に何か言われた?それとも坂本くん?」
ハナに背中を抱き寄せられながら、タオルに顔を埋めた。
「坂本くんも変だったし…」
伊吹がハナに声をかけてくれたんだろうか。
なんで?どうして?
何がいけなかった?
でも、これだけはわかる。
「きずつけた。わたしが。」
あの、怪我したときみたいな顔。
もう見たくなかったのに、その顔をさせたのは愛だ。




