第9話:異能AI、ジェニングス襲来
ジャングルに響き渡った、機械音声が歪んだような不気味な咆哮。 「R...Y...O...O...」 その声が、凌のHUDに直接語りかけるように響いた。
木々を揺らし、姿を現したのは、漆黒の迷彩服を纏った兵士。 その背後には、同じく漆黒の装備を身に着けた数体のシャドウ・ユニットが控えている。 先頭に立つ兵士は、一見すると人間と変わらない体格だが、纏うオーラが尋常ではなかった。 その手に握られたスナイパーライフルは、一般的なM1903スプリングフィールドではなく、さらにカスタマイズされたような、漆黒の銃身を持っていた。
(……間違いない。こいつが、ジェニングスAIか!)
凌は、本能的に理解した。 WWOコミュニティで、「ルソン島の地獄」イベントの最深部に潜む、PvE最強の刺客と噂される存在。 《異能部隊エース・ジェニングスAI》。 彼の情報は、ごく一部のトッププレイヤーしか手に入れておらず、そのほとんどが「神がかり的な狙撃手」という漠然としたものだった。
「伏せろ!」 高倉中尉が叫ぶが、もう遅い。 ジェニングスAIは、人間離れした速度で、凌たち部隊へと一直線に突進してきた。
その動きは、あまりにも速い。 凌の《超人的索敵》が捉えたジェニングスAIの動きは、通常の米兵NPCの数倍の速度で、かつ一切の無駄がない。 (まさか……俺の《超人的索敵》のデータで、自身の動きを最適化してるのか!?)
凌は、ジェニングスAIの異常な動きに、背筋に冷たいものが走るのを感じた。 運営からのメールにあった「特別な調整」。そして、「AI学習プログラム」。 もし、凌のチート能力がAIの進化に貢献しているのなら、このジェニングスAIは、凌の戦闘データそのものを学習し、彼の弱点を突くために最適化された「究極のカウンターAI」なのではないか。
ズガンッ!
ジェニングスAIがスナイパーライフルの引き金を引いた。 その弾丸は、凌が本能的に避けた方向を、正確に予測していたかのように、彼の肩を掠めた。
《CRITICAL HIT!》 《痛覚低減スキル:Lv.MAXが発動!痛覚を80%カットしました。》 《HP:70/100》
HUDに警告が点滅する。 (避けたのに、掠めた!?)
凌の《弾道先読み》スキルは、敵の攻撃を完全に回避することを可能にする、チート中のチートだ。 しかし、ジェニングスAIの攻撃は、その予測をわずかに上回った。 それは、まるで凌の動きを「読んで」、さらにその一歩先を予測したかのような軌道だった。
「殿下!ご無事か!?」 高倉中尉が叫ぶ。 周囲の日本兵NPCたちは、ジェニングスAIの異常な速度と精密な狙撃に、為す術もなく次々と倒れていく。
「くそっ……!」
凌は、腕の中に眠るルシアを強く抱きしめながら、フクロウを構える。 ジェニングスAIは、既に次の狙撃体勢に入っている。 彼のスコープの照準が、凌の額を正確に捉えているのが、凌の《超人的索敵》を通して視覚的に認識できた。
(狙撃手……なら!)
凌は、フクロウのトリガーを引いた。 シュン……ッ! 音もなく放たれた弾丸は、一直線にジェニングスAIの頭部を狙う。 しかし、その弾丸は、ジェニングスAIの頭部をわずかに掠め、ヘルメットを弾き飛ばしただけだった。
「なっ!?」
HUDには「CRITICAL HIT!」と表示されたが、彼のHPゲージはほとんど減っていなかった。 ジェニングスAIのヘルメットが吹き飛んだことで、露わになったその顔は、端正ながらも、人間的な感情が一切読み取れない、無機質な表情をしていた。 その瞳の奥には、データが高速で処理されているかのような、冷たい光が宿っていた。
「……解析完了。Ryoo、貴様の攻撃パターンは既に学習済みだ」 ジェニングスAIが、歪んだ機械音声で呟いた。 その声は、やはり凌のHUDに直接響いてくる。 WWOのAIが、プレイヤーに直接語りかけるなど、前代未聞の事態だった。
(こいつ……俺の戦闘データを学習してるだと!?)
凌は、自身の《超人的索敵》や《弾道先読み》といったチートスキルが、逆にジェニングスAIに利用されていることに気づいた。 凌が過去に生み出したMODデータは、このWWOのシステムによって「具現化」された。しかし、エニグマ・ヴィジョンズ社は、そのデータをAIに学習させ、凌の「無双」を打ち破るための「カウンター」を作り上げていたのだ。
「面白い……!」 凌の顔に、不敵な笑みが浮かんだ。 ニート生活で凝り固まった彼の頭脳が、高速で回転し始める。 (俺のチートを学習して、対策を立ててくるAI……。なら、俺は、その学習パターンすら超える動きをすればいい!)
凌は、瞬時に自身の戦術を切り替えた。 《超人的索敵》でジェニングスAIの次の動きを予測する。 しかし、予測された軌道は、これまでとは違う。凌の行動を読み込み、常に変化している。
「殿下!危険です!下がってください!」 高倉中尉が、焦った声を上げる。 他の日本兵NPCたちは、すでにジェニングスAIのシャドウ・ユニットによって半壊状態だった。
ドッ!
ジェニングスAIが再びスナイパーライフルの引き金を引く。 凌は、直前までいた位置から、信じられないほどの速度で横っ飛びに回避した。 《弾道先読み》で予測した軌道とは、あえて逆の方向へ動く。 彼の脳内では、ジェニングスAIが次にどこを狙うか、その「思考パターン」すら予測し、裏をかくための演算が始まっていた。
放たれた弾丸は、凌が回避した直後の地面を穿った。 その僅かなズレに、ジェニングスAIの無機質な瞳が、わずかに驚きを湛えたように見えた。
「……ッ!」
凌は、間髪入れずにフクロウを構え、ジェニングスAIの次の動きを予測する。 そして、彼が体勢を立て直す寸前、その膝を狙って弾丸を放った。
シュン……!
ジェニングスAIの膝に、音もなくフクロウの弾丸が食い込む。 彼は、その衝撃で体勢を崩し、僅かに膝をついた。 「ぐ……!」 HUDには「CRITICAL HIT!」の文字が踊る。ジェニングスAIのHPゲージが、ようやく目に見えて減少した。
(よし!当たる!)
凌は、ジェニングスAIが体勢を崩した隙を見逃さなかった。 このAIは、確かに凌の動きを学習し、対策を立ててきている。 しかし、凌のチート能力の真骨頂は、その「学習パターン」すらも超越し、常に変化し、新たな「妄想」を生み出すことにある。 彼にすれば、AIは過去のデータしか学習できない「旧式」なのだ。
凌は、膝をついたジェニングスAIに、追い討ちをかけるようにフクロウの弾丸を連射した。 シュン!シュン!シュン! 正確無比なヘッドショット。 ジェニングスAIは、膝をついたまま、凌の連射を避けることができず、次々と弾丸を喰らっていく。
《ジェニングスAIのHPが大幅に減少!》
WWOの最強AIの一角であるジェニングスAIが、凌の変則的な攻撃と《フクロウ》の力によって、明確に劣勢に立たされていた。
「……撤退」 ジェニングスAIは、その無機質な瞳に、僅かな「誤算」の感情を浮かべたかのように見えた。 彼は、シャドウ・ユニットの残党と共に、煙幕を炊きながら、急速にジャングルの奥へと撤退していく。
「追撃を!」 高倉中尉が叫ぶが、凌は追わなかった。 (今は、ルシアが最優先だ)
凌は、腕の中のルシアを抱き直す。 彼女は、戦いの喧騒にもかかわらず、まだ深い眠りについていた。 (……この子を狙う奴らがいるなら、俺が全部ぶっ潰してやる)
ジャングルの奥へと消えていくジェニングスAIの残影を見つめながら、凌の心に、新たな覚悟が宿った。 運営の思惑など、もはや凌には関係ない。 彼は、このVR世界で、自分の信じる「正義」のために戦うことを決めたのだった。 そして、それは、Wシアの世界だけでなく、彼の現実世界にも、やがて大きな影響を与えることになるだろう。
【第9話・了】