第4話:システム外の存在と、少女の瞳
WWOのチュートリアル戦域、激戦を終えた倉庫の中。 強化型エリート兵部隊をフクロウで一掃した凌の前に、一人の民間人NPCが震えるように身を寄せているのが見えた。
「……民間人、だと?」 高倉中尉が、困惑したように呟く。 WWOの通常ミッションでは、民間人は戦闘に介入しないことがほとんどだ。彼らはゲームの背景として存在し、ミッションの目標となることは稀だ。 しかし、凌の《超人的索敵》が捉えたその民間人NPCは、これまでのどんなAIとも違う、奇妙な「気配」を放っていた。
その少女は、褐色の肌と、長く黒い髪を持つ、フィリピン人らしき姿だった。 破れた服をまとい、痩せ細った体。しかし、その瞳には、深い恐怖と共に、どこか人間じみた「諦め」のような感情が宿っているように見えた。
(……やけにリアルだな)
凌は、思わずフクロウを構えたまま、少女を凝視する。 彼女のAIアバターは、他の一般的な民間人NPCに比べて、驚くほど精緻に作られていた。肌の質感、髪の毛の一本一本、そして瞳の奥に揺らめく光。まるで、本当にそこに人間がいるかのような錯覚を覚える。
その時、倉庫の入り口から、物資を漁っていたらしき日本兵NPCが数名、少女に気づき、荒々しい声で話しかけながら近づいていく。 「おい、女!何か隠しているものはないか!?」 「どこへ行く気だ?兵隊に逆らうのか!」
彼らの声は、システム設定された「略奪行為」のルーチンに基づいているようだった。 少女は、怯えたように体を震わせ、必死に首を横に振る。 彼女の瞳には、明らかに「恐怖」の色が浮かんでいた。
凌は、その光景を冷めた目で見ていた。 (これもゲームのイベントか。よくある、非道な兵士と可哀そうな村人、ってやつか) そう割り切っていた、はずだった。 しかし、少女の瞳に宿るあまりにもリアルな恐怖が、凌の胸をチクリと刺した。
「……おい」 凌は、思わず声を上げていた。 それに気づいた日本兵NPCの一人が、ギョッとしたように振り返る。 「なんだ、貴様は?この女は俺たちの獲物だ!」 彼らのAIは、凌を「不審な同僚」として認識しているようだ。
凌は、フクロウを軽く構え直す。 「悪いが、俺はこういう趣味はねぇんだ」 そして、その日本兵NPCの足元に、軽く一発、フクロウの弾丸を撃ち込んだ。
シュン……!
消音された弾丸が、音もなく土嚢の影を撃ち抜く。 日本兵NPCたちは、突然の攻撃に驚き、恐怖の表情を浮かべて後ずさった。 「な、なんだと!?貴様、味方を撃つ気か!?」 彼らのAIルーチンが、凌を「敵対行動を取る異常な存在」として認識し始めた。
「殿下!何をなさる!?」 高倉中尉が、慌てたように凌に駆け寄ってきた。 彼のAIは、味方への攻撃という「イレギュラー」を処理しきれず、混乱の色を濃くしている。
「高倉中尉、こいつらは少し、軍規が乱れているようだ。訓練し直してやりますよ」 凌は、悪びれる様子もなく答えた。 日本兵NPCたちは、凌の放つ圧倒的な「覇気」(ゲームエフェクト)に怯え、ゆっくりと後退していく。彼らのAIは、凌との直接戦闘を「生存確率が極めて低い」と判断したようだった。
やがて、日本兵NPCたちは、恐れをなしたように倉庫の奥へと逃げ去っていった。 凌は、フクロウを降ろし、少女に向き直る。 少女は、凌の行動に驚いているようだったが、その瞳には、わずかな「安堵」の色が浮かんでいた。
彼女は、何かを凌に話しかけようとした。 しかし、その言葉は、凌には理解できない。 タガログ語だろうか。
《言語:タガログ語(非対応)》 《翻訳スキル:未所持》
HUDに、冷徹なシステムメッセージが表示される。 (……そりゃそうだよな。VRMMOだもんな。全言語対応なんて、まだ無理か)
凌は、ゲームのシステムに納得しつつ、少女に「大丈夫か?」と、身振り手振りで問いかけた。 少女は、凌の言葉を理解できないながらも、その意図を汲んだようだった。 彼女は、ゆっくりと頷き、しかし、未だ警戒を解いていない。
「……あなたは、日本人兵士なのに……」 少女が、震える声でタガログ語で呟いた。その言葉は、凌には理解できない。
凌は、ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出した。WWOでは、こうした筆談用のアイテムも、BPを消費すれば購入できる。 凌はそこに、日本語で「大丈夫か?」「君は誰だ?」と書き記し、少女に差し出した。
少女は、凌が差し出したメモ帳を見て、ゆっくりと手を伸ばした。 彼女の指先が、凌の手に触れる。 その瞬間、凌は、まるで本物の人間の指先に触れたかのような、温かい感触に驚いた。 (AIなのに、ここまで再現されてるのか……)
少女は、メモ帳の文字をじっと見つめた。 日本語は読めないようだったが、彼女の表情から、凌は「混乱」と「戸惑い」、そして微かな「興味」が読み取れた。 彼女は、自身の父を日本兵に殺されたというゲーム内設定を持つAIだ。 その彼女が、凌というイレギュラーな日本人兵士と出会い、AIルーチンに「バグ」が生じているようだった。
凌は、少女の瞳を覗き込んだ。 その瞳の奥には、ゲームのプログラムとは思えないほどの、深い「感情」の輝きがあった。 それは、恐怖、悲しみ、そして……かすかな「希望」の光。
凌の内面が揺らぐ。 (……これは、本当に、ただのゲームなんだよな?)
これまでの凌にとって、WWOは現実からの逃避であり、己の能力を誇示する舞台でしかなかった。 しかし、この少女AIの瞳は、彼の「ゲーム」に対する認識を、根底から覆そうとしているかのように感じられた。
高倉中尉が、凌の背後で静かに様子を見守っていた。 彼のAIルーチンは、凌を「極めて優れた戦力」として評価する一方で、「予測不能な行動を取る特異な存在」として、厳重な「警戒対象」として設定し直していた。 「……殿下。もう、時間がない。補給物資を回収次第、撤退する」 高倉中尉が、冷徹な声で告げた。
凌は、少女に「また会う」というように、指でジェスチャーを示す。 少女は、まだ戸惑った表情のまま、しかし、その瞳を凌から離さないでいた。
この出会いが、WWOの「歴史」を、そして凌自身の「人生」を、大きく動かすことになるのだった。
【第4話・了】