中編1
出航の朝、カリリオの港は重たい曇り空に覆われていた。
空気には潮と油と、遠くの雨の匂いが混ざっている。
討伐隊が乗るのは、交易船を改造した大型帆船《アイリス号》。頑丈な甲板に、急造の砲台と対魔獣用の防衛機構が増設されていた。
シルアは小さな背嚢を肩にかけ、船の前で深呼吸をした。
(いよいよ……出航)
シルアが考えぬいて持参した調薬セットが、背中で微かに音を立てる。肌身離さず持ち歩くその道具は、彼女の命綱だった。
甲板ではすでに騎士ファルクが隊員たちに指示を出していた。
「出航後はすぐに東方交易の海域へ向かう。ギロアの最終出没報告はここから5日ほど航海した海域だ。まずはそこを目指す。だが、今回のあくまで目的は“調査と接触”。これまで大型の交易船も含めて何隻もの船が沈められている。大型の魔獣は強力だ。まずはこちらから遠巻きにギロアを観測し、性急な攻撃は避け、現在のギロアの状態確認となぜ交易海域に居座ることになったのかの調査を第一目標とする!」
「了解しました、隊長!」
討伐隊の隊員たちの気合いの入った声が甲板に響く。
「あと一つ。今回、調薬師として新たに討伐隊に一名が加わる。彼女の指示には従え。命に関わる場面では、剣より薬が勝ることもある」
そう言って、ファルクはシルアに目を向けた。
「自己紹介を」
「し、シルア・ミンフェルです。調薬堂の見習いですが、精一杯働きます……よろしくお願いします」
ぴしりと直立するシルアに、騎士団員の間から控えめな拍手が起こった。
その後ろで、ふたつの影がこちらを見ていた。
一人は、長身だがすらりとした体躯の狼系の獣人――グルーク。白髪、白尾を潮風にたなびかせながら、冷静な金色の目が周囲を鋭く見渡している。
もう一人は、その妹ミルル。同じくすらりとした体躯に白く長い耳、白髪をなびかせ、静かにシルアを見つめていた。
二人は「鉄狼旅団」という獣人傭兵団の代表であり、この航海の協力者だった。
ゴクリとシルアは喉を鳴らす。
(夜戦で大陸最強と名高い鉄狼旅団が協力してくれるのは心強いけど、なんか見られているし、怖いよぅ......)
ピリピリとした討伐隊の空気にシルアがもじもじしていると
やがて、出航の号令が下る。
「帆を上げろ! 《アイリス号》、出航!」
帆が風をはらみ、船体が静かに岸を離れた。
港が遠ざかるにつれ、シルアの胸には討伐隊の空気感もあり言葉にできない緊張が広がっていく。
そんなシルアの緊張とは裏腹に曇天ではあるが、初日の航海は順調だった。
シルアは船の診療室に道具を並べ、緊急時に備えて常備薬の調合を進めていた。
「おーい、ミンフェルさんだっけ? 傷薬が足りなくなりそうだってさー!」
呼ばれて甲板に出ると、騎士達が応急処置を受けていた。普段は町で治安を守る彼らは慣れない船具の調整中に指を切ったり、荷物の運搬の際に転倒して擦り傷を負ったりという軽い怪我だ。
討伐隊の騎士や随伴する討伐隊参加希望者を乗せている分、海に詳しい船員をある程度絞らればならず、航海中もこういった細かいトラブルが頻発する。
「すぐ作ります。魔力を含まない通常の薬草ですが、調合した鎮静と再生を促す塗薬なら、小さな擦り傷や切り傷程度であれば十分効果があります」
調合の手際は早かった。傷に塗りやすくするための粉末を少量、水で溶かしながらシルア自身の魔力を薬に込め魔力調合を行った後、丁寧に傷に塗り込んでいく。
青色の魔力が痛みを沈め、緑色の魔力が細胞と調和し、修復を促す。
「すごいな……見習いってレベルじゃないぞ」
誰かが感心したように言い、他の騎士たちも口々に感謝を告げる。
「ありがとうございます。薬草自身が魔力を含むものなら魔力調合との相乗効果でもっと大きな怪我や重い病気でも治すことができますよ。もっとも騎士様達がそんな怪我や病気を患うことがないように祈っていますが。」
その様子を、船尾の影からグルーク達がじっと見ていた。
「……器用な人間の娘だな。魔力の色をきちんと使い分けてる」
「そうですね。生まれつきの才能もあると思いますが、魔力調合を幼い頃から体に染みつくくらいよく修練しているんだと思います。色同士の親和性がある青と緑とはいえ、複合魔力の調合の時に魔力の流れにほとんどムラがありませんし、薬に魔力を閉じ込める過程もとても丁寧でした。頭の中の理屈じゃなくて、感覚で正確な分量の原料と魔力の配合が行えているのでしょう。私の白色の魔力で真似事の調合をしても、あんなに効果のある薬は作れないと思います。」
ミルルが分析しながら自身の感想を言う。
その夜、海は静かだった。
シルアは甲板に出て、月の光に照らされる海を見ていた。
「風が止んでるな。潮の匂いで分かりずらいが昼間は雲が出ていたし、いつもより水の匂いが濃い、嵐が近いのかもしれん」
突然、声をかけられ振り返ると、グルークとミルルがそこにいた。
彼は懐から乾燥肉を取り出し、かじりながら言う。
「あんたの薬、匂いでわかる。調合薬特有の雑味が殆どない。……本物の仕事だ。良い薬は仲間のためにもたくさん欲しい。」
「兄がいきなりごめんなさい。お昼にあなたが討伐隊の皆様の傷を癒しているところをみて感動しているみたいです。でも、私も感動しました。実は私も仲間のために本当に簡単なものしかできないのですが、薬の調合を行うことがあるのです。あなたのように2種類の魔力を複合して調合とはいきませんが、よろしければ薬を調合する際のコツなんかを教えてくださらないでしょうか。もちろん私は商売には使いませんし、いくつかあなたが依頼してくださるなら危険地帯に自生する薬草の採集依頼なども旅団のほうで受けることも可能ですよ。」
そういってミルルはシルアを見て微笑んだ。
「……ありがとうございます。でも、私はまだまだです。すべての薬草のことを知っているわけではないし、青や緑の魔力と相性の悪い薬草の調合となると効能を思うように引き出せないことも多くて……」
「それでも人を救ってる」
ぽつりと、彼は言った。
続けて、ミルルが静かに語り始める。
「私たち兄妹は、東の大陸にある森の出身なのです。私たちの故郷である森には色々な動物や植物が生えていたのですが、海鳴草も森の近域で自生していたものだったと記憶しています。......あぁ、ごめんなさい風の噂であなたが今回討伐隊に志願したのは海鳴草を求めてと伺ったものですから。」
「ああ。もう幾分昔の......そう、幼いころの記憶だが、故郷の森の近海でしか採れなかったはずだ。海鳴草が今は国を越えて流通している理由や、滅多に人前に出現することが無い、海竜が交易海域に出るようになった意味は分からんが......。どちらにせよ今は東の大陸の港に船がまともに近づけないがな。」
彼らの言葉に、シルアの胸がざわめいた。
(やっぱり、ギロアをなんとかしなければ、海鳴草は手に入らない)
「薬屋とはいえ戦う力を持たないお前がなぜそんなに海鳴草を欲しがるかは知らんが……俺たちは東の大陸への交易海路が復旧しなければ仲間を連れて故郷に戻れない。海竜討伐のためにお前が力を尽くすなら、俺たちも力を貸す。」
その言葉は、確かな誓いのように響いた。
獣人の兄妹と、調薬師の少女。
その夜、航海の風が、彼らの縁を静かに結んでいた。