剣術指南
『死なないためには剣を覚えてもらおう。われが指南するが、まずは小物を十体だ。』
ゾンビと闘えって?
あんなに気持ち悪いのを十体・・・
『まぁ、聞け。奴らは迷宮にとって養分だ。意思もなくただ彷徨っている。ただの亡者だ。』
「亡者?」
『ああ。戦場で倒れた人間の成れの果て。それを迷宮が集めて飼っている。』
「うげっ。」
飼ってるって表現が気持ち悪い。
「飼ってるって言うけど迷宮に意志はあるのか?」
迷宮自体が魔物なんじゃない?
『いや。ない。迷宮を造った宝玉が人間に使われていた時のように機能しているだけだ。ただの模倣だな。』
宝玉が勝手に動いているって思うとホラーだ。
『ともかくだ。小物を十体。やってみろ。』
こうして剣術指南が始まるのだった。
「本当に襲ってこないの?」
『ああ。亡者は、な。』
ゾンビを前にして、初めて見た時の恐怖が蘇る。
〈死〉が隣り合わせの世界にいるって実感が僕を恐怖させた。
『教えたようにやってみろ。』
アースラは剣の握り方や振り方、足運びなど教えてくれた。
想像しながらやってみるが、なかなか難しい。
これは、実戦が前提の、殺すための剣術だ。
ゾンビを見ているだけで恐ろしくなる。
〈死〉がそのまま歩いているみたいで。
ゾンビを斬るのは2度目だが、到底慣れるものではない。人の形をしているんだ。当然だよ。
恐ろしさは拭えないが、今はアースラがいる。アースラが出来るというなら出来るのだろう。何せ150年もここにいるのだ。
ズバッと斬りつける。最初よりも上手くいったかもしれない。
『うむ。まあまあだな。腰がひけてなければよかったが。』
「仕方ないだろ。何もしてこないって言われても怖いんだよ。」
半べそで、八つ当たりだ。
『それでいい。お前は弱いままでいい。』
どういうこと?
『王国最強の剣士も最初はそうだった。強くなるうちに欲が出てきたんだ。』
強くなれば嫌でも欲がでてくるか。僕はどうだろう。
『まあ、やつのことはいい。お前は死なないために剣を振るえ。それ以外は考えるな。』
立ち位置。足運び。剣の持ち方。振るい方。アースラは言葉だけで指導するから具体的な部位の指示かくる。
『相手の動き全体が見える距離を保て。』
『左足は後ろに。右足を前に出せ。」
『いつでも動けるよう重心は腹の下だ。』
『脇は軽く閉めろ。』
『左脇から右胸の前に剣を振れ。』
『肩から肘、手首に至るまで同じ軌道の中で剣を振れ。肘がブレると剣先までブレて深く斬ることは出来ん。』
何度も指摘されて修正を繰り返す。
むっとすることもあるけど死なないためだ。真面目にやろう。
五体ばかり斬った後、刃こぼれしていた。
ぼろい剣だから仕方ないか。
『代わりの剣を取りに行くか?近いぞ。』
別の剣が下の階にあるというので、アースラの案内でそこへ向かう。
階段を降りている途中で『待て』と言うので息を潜めた。
「何かいたのか?」
『ああ。四つ脚だ。あいつらは動きまわって獲物を狩る。お前にはまだ無理だな。』
四つ脚っていうと犬か狼とか?
野犬とか危険だっていうもんな。
僕は野良犬すら出会ったことはなかったけど。狼は日本にいなかったし。
剣術指南はまだ始まったばかり。
この段階で次の魔物と闘うのは危険だ。
何より僕が怖い。
右へ左へと何度か曲がりながら進む。
迷宮の中心部から離れるほど分岐が増えて複雑になってくる。
「迷宮の中ってこんなに複雑なのか。」
『ああ。入ったものを迷わせるためだ。』
怖いことを言う。
『攻略だけ目指すなら簡単だぞ。入り口から下まで近くの階段を探して降りて行けばいい。』
「それって単純過ぎない?」
迷宮とは呼べない。
『ここは最後に球を形成したが、最初は下へ続くだけの単純な穴だった。穴から塔のようになり階段が出来た。それから横へと範囲を広げたのが今の迷宮だ。』
落とし穴から球状に成長したのか。
150年かけて。
「迷宮が球状になっているって面白いな」
話しながら道を進む。
索敵はアースラがやってくれるので僕は気楽だ。
的確な指示があって迷わず小部屋に着いた。
『すべての迷宮がそうではない。〔8つの迷宮〕が特別なんだ。大量の魔力が初めからあったからな。』
小部屋に入って剣を探す。
宝箱と無造作に置かれた剣がある。
剣の柄は古びているが刃は綺麗に見える。
『この迷宮にある古いものは、大抵が150年前のものだ。』
剣を手に取って触っているとアースラが教えてくれた。
150年前の争いで打ち捨てられたあらゆるものがこの迷宮に集まっている。
それをしたのは宝玉。
宝箱を開けると手甲が手に入った。
防具はとても嬉しい。
『さて。剣と防具が手に入ったな。亡者で稽古をしながら中層階まで行くぞ。』
え?もう進むの。早くない?
この迷宮の中層階、つまり真ん中まで行けば迷宮を出ても数日過ごせるだけの栄養源を得られるという。保存食みたいなものかな?
ここまで階段を3回ほど降りてきた。
これから3回降りれば中心部だという。
最深部が地下50階。僕が魔法陣で飛ばされたのは入り口からだいぶ下の階だった。助けが来ないと言ったわけは、人がアースラのいた階まで来たことがないからだった。
迷宮とは、核となる鉱石や宝石類が魔力を溜め込んだ末に生物を模倣する働きを持った擬似生命体なんだとか。
己の魔力によって作り出し、魔力を維持するためだけに活動していく。
迷宮内に生き物を誘き寄せて迷わせることで出させなくする。
地下であるために迷宮の全容は誰も知り得ないのだ。
恐ろしい造りだ。
この地下迷宮が球状だとわかるものはまずいない。
虫が入ったら出られなくなる捕虫器を思い浮かべた。真っ直ぐ引き返せば出られるのに虫はいつもそうはしない。
魔物との戦闘はアースラの支援があると言っても身体を動かすのは僕だけなのでかなりしんどい。
腕が棒になりそう。
剣に重みがあるから脚にもくる。
ゾンビたちは相変わらずふらふらしているだけだし、四つ脚は歩き回り絶えず移動している。
四つ脚に見つかり追いかけられた時は死ぬかと思った。なんとか斃すことができたが、
『お前に死なれては困る。われの言うとおり動け!』
と怒られた。
それでも的確な指示に従っていれば、四つ脚との遭遇を避けられるし、ゾンビを斬るのも慣れてきた。
「み、みず、水をくれェ」
情けない声が出た。
歩いて、魔物と戦って、また歩いて。延々と繰り返すうちに疲労感が頂点に達している。
人型ゾンビなら簡単に倒せるが、四つ脚の獣型は動きが速くて避けるのが精一杯で剣を当てるのも難しい。
それでもアースラが指示するとおりに剣を振ると相手から斬られにくるみたいになる。
『弱者には弱者の兵法がある』
のだそうだ。
無理に当てようとするより相手の動きを予測してそこに剣を置くようにすればいいと。
それをアースラが合図するので僕は体を動かすだけ。弱者は言われたとおり駒になれということか。
戦いの指示は的確であり、熱が入っているなと思う。ボクシングのセコンドがこんな感じだろうか?
戦いを楽しんでいるとさえ感じるのはきっとアースラの性分に起因するのだろう。
『もうすぐ着くぞ』
と言われ、剣を杖代わりにしながら歩き、目の前のドアを開く。
そこには水場があった。直径2mほどの池のようになっている。池の底から湧き上がっていて左右の水路へ流れ出ている。
「水!飲めるの?」
今すぐ頭から突っ込んでがぶ飲みしたい衝動に駆られるが、生水が危険なことくらいは知っている。
何でも知ってるアースラさんにお伺いを立てるのだ。
『これは霊泉だ。宝玉が魔力と共に迷宮に循環させている命の水と言える。人間にもー』
害はない。そう言い終わる前にがっついて水場に這いつくばって口をつけていた。命の水と聞いた瞬間に身体が動いていた。
ひと口飲むだけで身体中に染み渡る気がする。カラカラに渇いた細胞がみるみる生気を取り戻していくようだ。ひと口飲むごとに若返っていくような爽快感を得られる。
これほど美味い水はミネラルウォーターでもなかなかない。
「至高の一品」などと呼びたくなる。
「もしかして、この水がここへくる目的だったの?」
命の水を堪能した後で聞いてみる。
『そうだ。この霊泉の水は特別でな。宝玉の持つ魔力を帯びている魔力水でもある。地上では飲めん。魔力を体内に取り込むことで魔力の少ないものでも身体強化がはかれる。』
つけても意味ないと言われた指輪のうちひとつがこれと同様の効果があるらしい。指輪に魔力を込めることで身体強化をはかると。
僕には魔力適正が薄いという事実が判明した。魔法が使えない。残念だ。
今日はこの水場で休めと言われた。
体力が回復してもまだ半分残っている。
でも、ここまで10階くらいしか階段を降りていないと思う。
『ここから下は宝玉を守るという働きが強くなる。上半分は迷い込ませるためで養分を摂る狩場だが、下半分はそうはいかない。』
うん。帰っていいかな?
「命の水が手に入ったし、これで街まで歩けるんでしょ?」
『まあそうだが。お前の剣はまだ未熟だ。鍛えるにはちょうどいい。それにだ。攻略して情報を持ち帰れば、どこの街でも受け入れられる。』
「でも僕の力でやるわけじゃないし。誰も信じないでしょ?」
『その時はわれのことを話せばいい。』
「それでいいの?」
『ああ。われのことは歴史に深く残っているからな。われの入れ物を見せれば納得するしかないのさ。』
ソロで迷宮攻略。
千里眼というサポートキャラ付き。
誰も到達していない最深部を攻略して情報とアイテムを持ち帰る。
僕は目立ってしまうんじゃない?
平穏な暮らしがしたかったのに。