ムゲンVSナナシ 決着
思えば自分が本当の全力を出すのは一体いつぶりだろう。【黒の救世主】の時も、そして【真紅の剣】時代も自分は全力と言うものを発揮するのを躊躇っていた。
それは過去に自分の生まれ育った村で自分は全身全霊の力を使った事があるから故だった。自分の内側に眠る力の解放、その結果起きたのは凄惨な出来事だった。
『か…母さん……』
『大丈夫よ。あなたは…うぐっ、何も悪くないからね』
故郷の村に現れたモンスターから母を守ろうと必死になり持てる力を振り絞ってそのモンスターを撃退した。だがその際に自分は取り返しのつかない事をしてしまった。
自分の目の前に広がる凄惨な光景――それは全身が引き裂かれたモンスターの残骸と……血だらけの片方の目を押さえて自分を必死に安心させようと痛みに耐え笑顔を向ける母の姿が脳裏にフラッシュバックした。
忌まわしき記憶が鮮明に蘇ると同時に自分の肉体の奥底に封じていた力が長き時からついに解放された。
「ふう…ふう……」
「こ、これは……」
今まで自分から受けたダメージで蹲っていた少年の様子が完全に変化した。
決して見た目が大きく変化した訳ではない。だが荒々しい呼吸、そして彼の眼がまるで獣の様に獲物を狙う眼に代わっていた。さらに彼の全身からはドーピング薬を服用した自分のように体外へ魔力が滲み出ている。
「本当にお前は面白い小僧だな。だがウチにもまだ奥の手はあるぞ」
ムゲンに追い込まれつつあったナナシは既に1粒のドーピング薬を服用していた。それはメグへ渡したような寿命を代価にする不良品ではなくリスクなしの完成品である代物だ。そして用心深い彼はもう一つその完成したドーピング薬を隠し持っておりソレを瞬時に飲み込もうとした。
だが彼がドーピング薬を口に放り込もうと投げ込んだ瞬間に疾風が隣を通り過ぎて行った。
「まだこんな代物を隠し持っていたとはな。悪いがパワーアップをおめおめと許すほど今の俺は甘くねぇぞ」
「なっ、いつの間に…!」
あれだけ離れた距離に居たにもかかわらず一瞬でムゲンは自分の横を通り過ぎて行っていた。しかも自分が口に放り込もうとしていたドーピング薬まで握りしめており、それを地面に放り捨てていた。
「どうした? ドーピング薬を盗られた事にすら気付いていなかったみたいだが?」
「ぐっ、少し身体能力が上がった程度で調子に乗るな!」
予想以上のスピードに一瞬だが面喰ってしまうナナシだがすぐに我に返ると上空に跳んで頭上からさきほどの光魔法〈ホーリーレギオン〉を繰り出す。
光の雨が真下に居るムゲンへと降り注ぐ。だが彼は特にその場から動かず回避する素振りすら見せない。
彼は自分に降り注ぐ光の雨をなんと素手で弾き飛ばしたのだ。
「な、光弾を素手で弾いているだと!? 上級魔法だぞ!」
「言っただろ。ここからは〝正真正銘の全力〟だって」
そう言いながらムゲンは降り注ぐ光弾を真上に居るナナシ目掛けて弾き返す。
自分に返還される光弾を紙一重で回避するがその時にはもうムゲンは彼の眼前まで迫っていた。そして拳を強く握りしめパンチを放とうと構えている。
「舐めるなよこのガキがッ!!」
ドーピング薬で鋼鉄並の硬度、そして体内の魔力を一点に集約した拳をムゲンへと放つ。だがその人知を超えている一撃を彼は指一本で受け止めた。
「ば…馬鹿な……」
「悪いな。今の俺は少し理性がぶっ飛んでる。だから加減が出来そうにないんだ」
そう言いながらムゲンは突き出されてる拳を掴むとそのままぐしゃりと難なく握り潰した。
「あ、がぐがあ!?」
「そら、もう一つの拳も再起不能だ」
「うぎゃあああ!?」
「はは、これでお前も終わ……うぐっ、あ…ああ…!?」
残っているナナシのもう片方の拳に稲妻のような速度の蹴りを叩き入れる。その一撃だけで潰された右手同様に左手まで潰れたトマトのようにぐしゃぐしゃとなる。そのままトドメを刺そうとするムゲンだがここで頭が割れるような頭痛に見舞われた。
「(あ、頭が痛い。くそ…まただ。全力を出してまた意識が混濁していく……)」
この瞬間にムゲンの脳裏にはまたしても自身の過去が鮮明に蘇る。
――モンスターをズタズタに引き裂き雄叫びを上げる自分の存在。
――その隣で泣きながら自分を正気に戻そうと叫ぶ母の姿。
「いがっ、いがああああ!?」
過去のトラウマから頭を抱えて叫び続けるムゲン。その隙だらけの様子を見てナナシは攻撃をしようと動く。あまりの両手の痛みから脂汗を大量にかきながらも自分の周囲に大量の魔法陣を展開して至近距離から目の前で勝手に苦しんでいるムゲンの事を蜂の巣にしようとする。
「ガアアアアアアアアアッ!!!」
だがムゲンが放った鼓膜を破るほどの大咆哮により魔法陣はひび割れて砕け散る。
「に、人間じゃない…」
いくら何でも無茶苦茶すぎる。ただの咆哮で魔法陣が砕けるなんてもう人間の芸当の域を超えている。いや人間どころか凶暴な魔獣ですらこんな事は不可能だろう。ただの咆哮だけで魔法を無力化するなんてそんな異次元レベルの芸当が出来るのはもはや〝竜〟ぐらいのはずだ。
呆然としているナナシの瞳に映り込んだムゲンの姿が一瞬だけ変わった気がした。それは人類など虫の様に潰せる圧倒的な存在――彼が一瞬だが竜に見えたのだ。
な…何だ? ウチの眼がおかしくなったのか?
「ウガアアアアアッ!!」
両手は使用不能、魔法も発動前にただの咆哮で無力化される。保険として用意していたドーピング薬も奪われてしまった。もはやナナシには目の前の怪物に対抗できるすべはなかった。
まるで獣の様な咆哮と共に人の姿をした怪物の拳がナナシの腹部に打ち込まれる。その瞬間に彼は自分の体内で爆発でも起きたかのような衝撃を実感していた。
「うが…お、おええええ……」
大量の吐血と共にその場でうつ伏せとなるナナシ。
もう抵抗力など一切ない死に体の彼へと非情にムゲンはトドメの一撃を頭部へと振り下ろす。
「ガアアアアアアアアッ!!」
今まではまだ言葉が通じていた彼だがもはや我を失っていた。
人の言葉も忘れ自分の眼下でか細い呼吸を繰り返す死にぞこないへ最後の一撃を入れようと拳を振り下ろした。
――『お願いムゲン! 正気に戻ってちょうだい!!』
「……ハッ!?」
倒れているナナシの頭部ギリギリで死を纏った拳は急停止した。
今まで我を忘れかけていた彼だが頭の中に響いてきた母の過去の叫びに最後の最後で人としてのラインを踏みとどまった。
「か…母さん……」
何とか正気に戻った彼はここでようやくナナシが死に体であることに気付く。だが目の前の男をここまで痛めつけた実感がまるで無かった。何しろ途中から半分以上は意識を失っていた気がする。
「くそ…あれからもう何年も経っているのに俺は未だに自分を律する事もできないのか……」
目の前で痙攣しているナナシを見つめながらムゲンは歯を食いしばる。
確かに敵を撃破する事には成功した。だがこの容赦のなさ、もしこの場にハルやソルが居たとしても自分は〝敵〟だけを攻撃していたか? もしかして…〝味方〟すらにも牙を向けて襲い掛かっていたんじゃないか?
こうして【ディアブロ】の第3支部支部長であるナナシの撃破を見事に成し遂げたムゲン・クロイヤ。だがその表情は達成感などなくまるで彼の方が敗者のような苦々しいものだった。
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