私はもうあなたに救われていたんだよ
今回少し長いです。
ムゲンが現実世界でソウルサックの攻撃を一方的に受け続けている間、精神世界ではミリアナはソウルサックへと必死に喰らい付いて自らの肉体を取り戻そうとしていた。とは言え実力差は明白でありミリアナはもう今にも消失するぐらいのダメージを負わされ膝をついていた。
『はあ…はあ……』
『本当にしぶといですねぇ。もういい加減に諦めたらどうですか?』
現実世界とは異なり精神世界では互いに戦う為の獲物はその手に握っている1本の剣だけ。だが肉体を乗っ取られて主導権を握られているミリアナの精神は希薄であり力も弱体化してしまっている。その為に根本的なスペックがソウルサックよりも低いミリアナは劣勢に立たされていた。
現実世界とは異なり精神世界ではダメージを受けても血は流れない。だがダメージを受けた箇所はまるで消しゴムで消されたかのようにその部分が〝消失〟してしまう。
ミリアナのダメージを受けた全身の至る部分は消失しておりいつこの肉体から彼女の精神が消え去ってもおかしくない状態だ。対してソウルサックは肉体のほとんどが残って無傷に近い状態だ。
『そろそろトドメといきましょうか。さあ大人しくこの肉体を明け渡しなさい!!』
『(やはりコイツに戦って勝つ事は不可能みたいね。恐らく私はここで死ぬ。でも……まだ死ねない。私は最期にもう一度だけムゲンと話をするんだ!!)』
最後のトドメの一撃を繰り出そうと踏み込んで来たソウルサックに対して彼女はもう避ける気はなかった。そのまま無抵抗に体を貫かれてしまう。
『意外にも呆気ない最期でしたね。躱す力すらなく串刺しとは』
そう言いながらミリアナの死に顔を見て嗤ってやろうとするソウルサックだったが、俯いている彼女の表情を見て怪訝そうに眉を寄せた。
『串刺しにされて何を笑っているんですか? 見ての通りあなたは完全に致命傷です。このまま放置していてももう間もなくあなたの精神は完全に消滅するんですよ?』
『ええ…そうね。確かに自分でも自覚しているわ。この肉体に宿る私と言う精神が消えていく感覚が理解できる。でもあなたは1つだけミスを犯したわ。それは私がこの攻撃を避けずあえて喰らったと言う事実に気付けなかった』
そこまで言うとミリアナは手に持っていた剣を捨てると両手を伸ばしてソウルサックの両腕を掴んだ。腹部を刺し貫かれながらも自分の両腕を掴んで動きを固定した彼女の行動にソウルサックが呆れ気味に吐き捨てた。
『あえて貫かれてカウンター狙いだったと? ですがあなたも剣を捨てて両手が塞がっているこの状態ではカウンターのしようがないでしょう?』
『いいえ、まだあんたに突き立てる〝刃〟は残ってるわよ』
そう言うとミリアナは大きく口を開けてソウルサックの首へと渾身の力で噛み付いたのだ。
『なっ、なにぃ!?』
まさかの原始的な攻撃に虚を突かれてしまったソウルサックは動揺を見せる。その隙を逃さず彼女は更に反対側の首筋へと喰らい付きその肉を噛み砕く。
全身全霊の力で噛み砕かれたソウルサックの首はまるでガラスが欠けたかのように砕け、噛みつかれた部位が消失してしまう。
『キ、キサマ…!?』
『はな…れろぉ!!』
残りの全ての力を振り絞ってミリアナはソウルサックを蹴りで吹き飛ばす。だがもう勝負はこの時点で決着している。ミリアナの肉体は今の一撃で崩壊をはじめており、このままだと数分もすれば彼女の意識は死に絶えこの肉体は完全なソウルサックのものへとなってしまうだろう。
だがミリアナがカウンターを狙った理由はヤツと相打ちする為ではない。相手に手傷を負わせ、そして一瞬でも動揺を与える為であった。
先程からミリアナは自分の意識を外側に出して肉体の主導権を奪い返そうと試みていたがそれは叶わなかった。それはソウルサックの強力な自我が表側に出ようとするミリアナの精神を抑え込んでいたからだと予想した。ならば一瞬でもソウルサックに動揺を与え、その隙を付き自身の意識を表側に出してコイツと現実世界で意識を入れ替えれないかと考えたのだ。とは言えこれはあくまでミリアナの予測に過ぎなかった。だがこのままただ心象世界で朽ちていくぐらいならこの一瞬を勝ち取る為に自身の残っている〝全て〟を賭けようと思ったのだ。
そしてミリアナの予測は見事に的中した。ソウルサックの精神の一瞬の動揺、その僅かな隙を掻い潜りミリアナは消滅しようとしている自らの残りの意識を肉体の表側へと出す事に成功したのだ。
今まで心象世界の真っ白な空間に居たミリアナの意識はこの瞬間に現実世界へと舞い戻る。
どうやら自分と意識が入れ替わる直前にソウルサックはムゲンにトドメを刺そうと心臓部目掛けて貫き手を放っていた。その攻撃を間一髪でミリアナは寸止めして困惑する彼に笑顔を向ける。
「よかったムゲン。どうやら消えゆく最期にあなたともう一度だけ話ができそう…」
「もしかしてミリアナなのか? よ、よかった意識が入れ替わったんだな!!」
自分が表側に出て来た事を知りムゲンは嬉しそうに笑ってくれた。だが心象世界で致命を受けた自分の意識は残念ながらもう間も無く消えてなくなるだろう。その証拠に現実世界に戻って来たと同時にどんどんと自分の意識は薄れ始めていく。
「ごめんねムゲン。もう私の意識は間も無く消滅する。今は最期の力を振り絞ってあなたに語り掛けているの」
「何言ってるんだよ? こうしてお前の意識が表に出て来たんだ。ソウルサックの呪縛から解き放たれたんじゃないのか?」
「それは違うわ。私は精神世界でアイツに致命傷を受けてしまったの。自分と言う感情が消えていく事を自覚し、そして今もどんどん意識が薄れつつあるの。次に意識を失った時もうこの肉体に〝私〟は存在しない。あなたの目の前で嗤うのはこの肉体の新たな宿主であるソウルサックなの」
「う…うそだ……」
まるで他人事の様にミリアナの口から放たれる事実をムゲンは受け入れられず首を横に振って否定しようとする。そんな彼の頬を優しく両手で撫でながらミリアナは残り僅かな自分の時間で伝えるべきことを伝えようとする。
「ねえお願いよムゲン。どうか私の事は気にせずソウルサックと戦ってちょうだい」
今のボロボロのムゲンと綺麗な自分の肉体を見比べてみると彼が自分を気遣ってまともに戦えていない事は理解できた。まだ自分を救い出そうと彼はソウルサックの猛撃を受けきっていたのだろう。だが自分の意識はもう間も無く消滅する。だからムゲンには自分の事など気にせず戦ってほしいのだ。
当然だがムゲンはその頼みに対して頷くことなどできないでいた。
「そんな馬鹿な事が出来るわけないだろうが!! お前…お前はそれで良くても俺は納得できるかよ!! ここまでお前を救うためにやって来たのに俺がお前を殺すなんて質の悪い冗談にしかきこえない!!」
ああ…本当に彼はどこまでもお人好しだ。幼いころに彼を故郷から追い出した自分を結局は許し、そして懸命に救い出そうと藻掻いている。本当に優しい心根を持つ彼に対してこんな願いは残酷だと言う事は百も承知だ。だがこのままではムゲンは自分と言う存在に囚われ続けその結果ソウルサックに殺されてしまうだろう。
「ねえムゲン…私と言う人格や魂はもう間も無くこの世から消えてなくなる。あなたはこの世から消えていく私を優先して〝今の大切〟な物を失っても良いと言うの?」
「な…何を言って…?」
「今のあなたにだって大切な人達が居るんじゃないの? 私は故郷を出てからのあなたの辿って来た道は何も知らないわ。でも冒険者となった今のあなたには幼馴染の私以外にも守るべき人や仲間が居るんじゃないの?」
その言葉にムゲンの頭の中には自分を心から想ってくれている大切な恋人達3人の姿が思い浮かんだ。
もしもここで自分が死ぬような事があれば彼女達は間違いなく悲しみに暮れてしまうだろう。
「だ、だけど…だからと言ってお前を救わず見捨てるなんて……幼馴染を見捨てて他を守る事が正しいのかよ!!」
確かにミリアナの言う事も分かる。だが目の前に居る彼女だって自分にとっては〝大事な存在〟に違いはない。そこに優劣を付けて幼馴染を見捨て恋人を選ぶ選択が正しいとは思えない。
だがミリアナは首を横に振ってその考えは間違っていると指摘した。
「何度も言うけど私はもうあと1分もすれば完全に消え去るわ。それにあなたは勘違いしている。私は見捨てられてなんて居ない。ちゃんとあなたに……ムゲンに救われたんだよ」
そう言うとミリアナは自身の唇を彼の唇へと重ねた。
「私はずっと後悔し続けていた。どうしてムゲンを救う方法として故郷を追いやったんだろうって? もっとよく考えてからあなたの力になるべきだったと……」
大好きな幼馴染に石を投げ故郷から追放して以来ミリアナの心にはぽっかりと穴が空き続けていた。その穴は何をしても決して埋まらなかった。冒険者として名を馳せ周囲から羨望の眼差しを向けられようとも、使いきれない大金を手にし村では食べれないような御馳走や華やかな洋服を何着購入しようともいつだって穴は空き続けていた。
だが偶然にもダンジョンでムゲンと遭遇し、一度は拒絶されたが彼は最後にまた自分の手を取ってくれた。こんな身勝手な幼馴染を〝信じて〟くれたのだ。あの瞬間に今までどんな事をしても埋まらなかった心の隙間は埋まった。
そして自業自得とも言える哀れな末路を迎えようとする自分の為にここまで命がけで助けに来てくれた。もうそれだけで――ミリアナは救われてるのだ。
「ムゲン……ずっとあなたが大好きだった。そんなあなたが許しを与え、そして私を助けようと行動をしてくれた。その事実だけで私はもう救われたんだよ。あなたは私を見捨ててなんていなかったんだよ?」
「そんな……ミリアナ……俺は君を助けられていない。これが〝救い〟なもんか!!」
そう言いながらムゲンは目の前でうっすら涙を溜めている彼女を力いっぱい抱きしめた。この腕の中に居る彼女があと数十秒後にはこの世界から消失すると考えると体が震える。そんな彼を優しく抱きしめ返しながらミリアナは彼の事を最後まで想い続ける。
「私を許し…私の為に涙を流し…本当にありがとうムゲン。そしてこれが私の最後のお願いだよ。あなたはきっと私がどう言おうと私がこの世を去る事を自分のせいだと咎めるのかもしれない。でもその悲しみを乗り越え、そしてこの先の未来を歩んでちょうだい」
「ミリ……アナ……ごめん。ずっと真実も知らないままお前に敵意を抱いて恨んでいた。どうかそんな俺を許してくれ」
「謝るべきは私の方だよ。もう何度も口にしているけど本当に今までごめんなさい」
ああ……もうそろそろ意識に霞が掛かって来たなぁ。多分あと数秒後には私と言う人格はこの世から消えてしまう。次の一言が私の最期の言葉になるんだろうなぁ………。
ならば自分が言うべき最期のセリフはこれ以外にあり得ない。
「私の幼馴染でいてくれてありがとうムゲン。私はあなたと出会えて本当に……幸せだったよ」
自分の伝えたい言葉をきっちりと途切れる事なく最後まで言い切るとミリアナの全身から力が一気に抜け落ちる。
瞼を閉じたミリアナだが肉体を乗っ取った忌まわしきソウルサックの人格が入れ替わる様に表に出て来ると後ろへと跳んで間合いを取る。
「ふふ……どうやら目障りな〝ミリアナ〟の意識はもう完全に消えてくれたようですね」
ソウルサックの口から放たれる事実にムゲンは何も言わず俯いていた。
助けるべき幼馴染が消え去ったショックのあまりもうムゲンは戦意を失ったと勘違いしたのかソウルサックが嘲るような口調で話し掛ける。
「残念でしたねぇムゲン・クロイヤさん。あなたは結局幼馴染を救えなかったようですよ。ここまでやって来たあなたの歩みは全て無駄足、ついでに言うのであればミリアナも無駄死に終わりましたねぇ」
今は亡きミリアナの表情を醜く歪ませながらソウルサックは相手の心を抉りに行く。だがこれだけ好き放題言っても未だにムゲンは項垂れたまま反論の1つも返しては来なかった。
「(どうやらもう完全に心が折れたようですね。ふふ……強大な竜の力を携えていても所詮は脆い人間ですねぇ)」
先程はミリアナによって止められたがもう邪魔者はこの肉体内に潜んではいない。
今度こそ確実に心臓を貫こうとソウルサックが指先に魔力を集中する。そして床に亀裂が走るほどの強力な踏み込みと共にこちらを見もしないムゲン目掛けて跳躍する。
「さあその血を自分に吸わせなさいムゲン・クロイヤ!!」
ドラゴンキラーの本能に従い強大な力を持つ竜の血を求めソウルサックは涎を垂らしながらムゲンの胸部へと貫き手をぶち当てた。
だが突き出した指先はムゲンの胸部を貫くには至らなかった。いや、それどころか逆に彼女の突き出した5本の指は歪な方向へと捻じ曲がっていた。
「………は?」
自分の壊れた右手の指を見つめながら間抜けな声をソウルサックが漏らす。そんな呆然としている彼女の腹部目掛けてムゲンの拳が叩き込まれた。
「あがはぁッ!?」
拳を叩き込まれたソウルサックは血反吐を吐きながら地面を滑っていく。
「はっ、がっ、ぐっ!?」
人知を超えた拳を叩き込まれ内部の衝撃で臓腑が痙攣し呼吸すらままならなくなるソウルサックに対しムゲンがついに口を開く。
「もうミリアナは死んだ。お前が……俺の幼馴染を奪った……」
この世から幼馴染が消え去った事実を前にムゲンは言葉では表現できない虚無感に襲われていた。それと同時に湧き出す複数の感情は彼の奥底でまだ完全に目覚め切っていなかった父である竜の力を100パーセント目覚めさせていた。
覚醒し竜の力をコントロールできるようになったムゲンは既に同じSランク冒険者であるソルやハルを超えていた事は間違いないだろう。だが幼馴染を失った彼は怒り、悲しみ、虚無、絶望、様々な感情により己の中の存在していた壁をぶち破り次のレベルの存在へと昇華した。
「ふぐっ! う…あ……」
膝をガクガクと揺らしながら必死に立ち上がったソウルサックだがダメージは甚大である事は一目でわかる。しかもそのダメージはパンチ1発によるものなのだからソウルサックは恐怖のあまり痙攣とは関係なく体を震わせる。
「ま…まって…ください。こ、この体は…あなたの…ごほッ、幼馴染のものですよ」
我ながらみっともない命乞いだと思いつつもこの場をどうにか乗り切ろうと足掻く。だがソウルサックは勘違いしている。ミリアナの精神が死した今となってはもはや何を言っても手遅れなのだ。たとえこの体を盾にしたとしてもだ。
「俺の大切な幼馴染の声でそれ以上お前に喋らせはしない」
そう言うとムゲンは眼前の〝敵〟に対して手のひらをかざした。
「(な、何をするつもりだ?)」
以前のダンジョン内での戦闘で相手が拳や蹴りなどの近接型の戦闘スタイルである事を知っているソウルサックは相手の手足を目が血走るほどに見つめる。
拳にしろ蹴りにしろ攻撃する為に相手は間違いなく近づいてくるはず、そう予測を立てて何とか次の一手を先読みしようとするソウルサック。
だがソウルサックは大きな思い違いをしている。今の彼は父から受け継いだ力を〝全て〟呼び起こした。それは単純な腕力だけでない――生まれながら父が身に着け扱っていた〝魔法〟すらも彼は己の物としていたのだ。
ムゲンが構えた手のひらから鮮やかな紅い魔法陣が展開される。
「なんだと!? ま、魔法陣!?」
完全に近接タイプだと思っていたムゲンが魔法陣を展開した事でソウルサックは焦りを見せる。
「これ以上ミリアナの体を弄ぶな。もうこの世から消えてくれ」
そう言い終わると同時に彼の展開した魔法陣から真っ赤な魔力で形成された砲撃が放たれる。
ムゲンの繰り出したそれは魔法と言うには技術の面ではお粗末だろう。彼の繰り出した技は己の中の魔力を砲撃の様に一点に集中してレーザーの如くそのまま撃ち出しただけだ。だが威力に関してはもはや異次元だった。
「なっ――――」
解き放たれた真っ赤な魔力の奔流はソウルサックを呑み込むと同時にその肉体を完全に蒸発させてしまったのだから。竜の一撃が通り過ぎた跡にはもはや髪の毛の1本すらも残ってはいなかった。
「……終わったよ……ミリアナ……」
巨大闇ギルド【ディアブロ】の第5支部の支部長を完全撃破したムゲンだがその表情は決して晴れやかではない。虚ろな瞳をしながら生気の抜けた壊れた笑みを浮かべながら言葉を絞り出す。
「今更こんな力に目覚めても意味なんてないのにな。どうして俺は……こんなにも弱く情けない?」
そう言いながらムゲンはゆっくりと足を進める。
まるで能面の様な表情のまま涙を零し続ける彼にはもはや正常な思考力が残っているように見えなかった。
そしてこの第5支部はこの暴走した竜によって完膚なきまで壊滅に追いやられる事となる。
もしこの作品が面白いと少しでも感じてくれたのならばブックマーク、評価の方をよろしくお願いします。自分の作品を評価されるととても嬉しくモチベーションアップです。