優しい悪夢の世界 前編
ムゲンの目の前に現れた人物はもう本来ならばこの世には存在しないはずのかつての仲間であるメグ・リーリスだった。
死に際までこの目で確認したはずの人物がさも当然の様に自分へと声を掛けてきて彼はリアクションも取れず石像の様に硬直する事しかできなかった。
「なーに固まってるのよ?」
「え…え? メグ…なのか…?」
「当たり前でしょう。それとも別人にでも見える?」
いや、いくら肯定されようとも目の前の少女がメグであるわけがない。だって自分の目の前で彼女は死んだはずなのだ。
「(これは……幻覚の類なのか?)」
周りの風景が一変する直前の事をよくよく思い返してみた。確かあの時に敵の副支部長であるあのエルフ族は何かしらの魔法を発動していたはずだ。つまりあの時おびただしい量の魔法陣から放たれた光に包まれた直後に自分は敵の術中にかかったのだろう。
「くそっ、だとしたら早く正気に戻らないと!」
「はあ? 正気に戻らないとって何の話?」
この状況に危機感を覚えるムゲンに対してメグは怪訝そうな顔を向けて来る。だが今はこんな幻に構っている暇なんてない。まずはこの場から離れようとギルドの中から出ようとする。だが席を離れようとするとメグが服を掴んで引き留めてくる。
「ちょっとさっきから1人で何を騒いでんのよ? そんな血相変えてどこに行く気よ?」
「ぐっ、頼むから手を放してくれ!」
幻覚と分かっていても心配してくれる彼女の顔を見ると力づくで引き剥がそうとする事に多少の罪悪感はあるが所詮は幻だ。強引に突き飛ばそうとすると新たに声を掛けて来る者達が現れる。
「おい何やってんだムゲン?」
「まったく、さっきから1人で勝手にジタバタと見苦しいわよ?」
「……マルク……ホルン……」
もしかしたらと予想はしていたがやはりこの二人も姿を現してきたな。だがお陰で完全に今の状況が敵の幻だと理解できる。マルクは完全に消息不明だしホルンだって俺達と一緒に今もアジト内で戦闘の真っ最中のはずだ。第一このホルンが本物ならマルクとメグがこうして当たり前のように居る事に疑問を持たない方が不自然だ。
とにかくまずはギルドを出てこの幻想共から離れようとするが更にもう1人自分を止めようと声を掛けて来る人物が現れた。
「もう何やってるのムゲン? 今から皆で打ち上げなんだから早く席に座ろう」
「な……!?」
自分の腕を優しく掴みながら微笑みかけてきた人物――それは自分を幼い頃からずっと助け続けてくれたミリアナであった。
「ほら今日は私達【真紅の剣】の5人がSランクに昇格して初めての任務達成の打ち上げなんだから行こう!!」
「あ…ち、違う……」
落ち着くんだムゲン・クロイヤ。これは完全な幻だ、惑わされてはいけない。だって何もかもがおかしいだろう。何でミリアナが【真紅の剣】のメンバーとしてこの場に居るんだ? 俺達はそのミリアナを助ける為に【ディアブロ】のアジトに潜り込んでいる真っ最中だと言うのに矛盾だらけじゃないか。
「ほら早くこっちに来て」
とても優しく柔らかな笑みを向けながら自分の腕を引くそのミリアナは虐げられていた時代、自分を何度も救ってくれた彼女そのものであった。
「ああ……そうだったな。皆で打ち上げするんだったな……」
気が付けばムゲンの瞳からは光が消失していた。まるで感情を宿していない空っぽの瞳で目の前のミリアナの無事な姿に心を奪われてしまっていた。
◇◇◇
「よしよしどうやら完全に幻想の世界に堕ちたようですね」
自分の目の前でまるで人形の様に動かなくなったムゲンを見つめてハレードは満足そうに笑みを浮かべていた。
敵が眼前に居ると言うのにムゲンの瞳は完全に虚空へと向けられており、しかも恍惚な表情と共に魔力も一切纏っていない無防備な状態を晒している。
「流石は古代魔法と言ったところですね。我ながらこの魔法には惚れ惚れとしますよ」
このハレードは上級魔法をいくつも兼ね備えている猛者であるがそれだけでは恐らくこの勝負はムゲンの勝利で終わっていただろう。そしてハレードは寿命が人間よりも遥かに長いエルフ族であり、見た目とは裏腹にもうその年齢は100を超えている。実戦経験もムゲンの比ではない彼女は当然だが自身と相手との力量差も瞬時に見抜ける眼力を持つ。直接ムゲンと対面してハレードは瞬間的に自分では勝ち目がない事を悟った。竜の力を完全にコントロール出来るようになった今のムゲンは魔力数も〝無能〟と蔑まれていた頃とはもう違う。今の彼はハルやソルをも上回る魔力量を内包しているのだ。
まともにぶつかっても勝ち目がないと悟ったハレードは奥の手を発動した。今回ムゲンに使用した古代魔法<優しい悪夢の世界>は相手の精神をその人物が『最も幸福』だと思える偽りの世界へと飛ばす魔法だ。最初はこの魔法にかかった者はそれが幻想だと気が付く。しかし自分にとっての幸福な出来事は次第に相手の心を優しく、一切の苦痛を与えず腐らせていくのだ。
この魔法を発動してから現実世界ではまだ10秒程度しか経過していない。だが幻の世界に浸っているムゲンの体感時間は恐らくだがもう10日は経過している頃だろう。
「さあ、優しい悪夢に溺れながら現実の暴力でその命を散らしなさい」
もっとも得意とする氷の魔法で足元から徐々にムゲンの肉体を凍らせていく。
じわじわと全身を覆いつつある氷に対してムゲンはなおも恍惚な顔で棒立ちしているだけだった。
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