ソルド・カメア
もうすでに魂の無い骸から聴こえてきた『ありがとう』と言う言葉。
もしかしたら罪悪感から逃れたい自分の都合の良い幻聴だったのかもしれない。でも、もし気のせいではなかったとすれば私の心はどれほど救われる事だろうか。
「………」
目を逸らしていたハルが思わず視線を業火の中に戻すともうそこには灰しか残っていなかった。
焦げ付いた魔法の中心地をぼーっと眺めていると頭の上にポンと優しく手をのせられた。
「辛かったな」
気が付けばムゲンが自分のすぐ隣までやって来ており彼女の頭を優しく撫でていた。
その暖かなぬくもりを宿している手で撫でられるともう限界だった。蓋をして抑え込んでいた感情が崩壊し涙腺が緩み透明な雫が流れ出る。
「うぐっ…ごめんなさい。ごめん…なさい…!」
「もう大丈夫だ。それにあの人達だってハルのことを恨んでなんかいるものか」
歴戦のSランクとは思えないほどにポロポロと涙を零す年相応の少女を自分の胸に抱きよせ落ち着かせてあげようとする。
そう…村人達は決してハルの行動に恨みなんてない。何故ならムゲンの耳には確かに聴こえていたからだ。灰となっていく村人達から『感謝の言葉』が……。
ムゲンの目の前からローブ女の気配が完全に消失した直後に彼はもうハルの元へと駆け出し始めていた。そして巨大魔法陣から天へと昇る紅蓮の炎に焼かれる屍も目視していた。だがその際にかすかな声量ではあったが聴こえたのだ。
肉体強化により上昇していた彼の聴力は確かに炎の海の中から聴こえてきた声を拾っていた――『ありがとう』とその言葉が間違いなく聴こえてきたのだ。
ムゲンに慰められしばし泣きじゃくっていたハルだがすぐに目をこするともう大丈夫だと口にする。
「ありがとうございますムゲンさん。でももう大丈夫、それよりもソルの元まで急ぎましょう!!」
彼女の言葉に無言で頷き二人はソルの援護に急いで向かう。そう、まだ仲間のソルは戦闘を行っているのだ。しかも相手は元Sランクと考えればもしかしたら彼女が最も苦戦している可能性だってある。
だが二人が振り返り脚を動かそうとするが背後に立っていた人物を見て戸惑う。
「ソ、ソル?」
苦戦を強いられているであろうソルの援軍に向かおうとしていたはずだがその彼女はもう二人の元へと合流を果たしていたのだ。
彼女の目の下には涙の乾いた跡が残されており、しかも彼女の手にはソルドが愛用していた武器であるサラマンダーが握られていた。
「もう…終わったよ……」
◇◇◇
ムゲンやハルがローブ女や村人達と戦っている時に当然だがソルも戦闘の真っ最中だった。
かつて憧れを抱いていたソルドと激しく火花を散らせながら互いの獲物をぶつけ合う。その剣劇は並みの剣士では割って入る事が不可能な次元の戦闘だった。何しろ二人の剣速があまりにも神速で実際の剣の数は2本であるにも関わらず残像から二人の間には幾重にも剣が見えるほどだ。それはもう台風のような斬りあい、それを作り上げている二人は少しずつ、だが確実に肉体に切り傷を作っていっていく。両者ともにクリティカルヒットを避けて未だ致命傷こそないがこのまま打ち合いが続けば出血の多さから命の危機にもかかわるだろう。だがそのリスクを背負うのはソルだけだ。何しろ相手のソルドは血色こそいいが完全な〝死人〟だ。出血量どころか生者ならば確実に死に至る攻撃を受けてすら普通に動き続ける可能性すらあるのだ。どう考えても分が悪いのはソルの方だろう。
だがそれはソルド・カメアが本来の実力を兼ね備えていた場合だけだ。
「やっぱり軽い…軽いぞソルド…」
いくら自分の憧れた剣士とは言え今のソルドはもうただの操り人形なのだ。自分の中に信念、一本の芯が存在しない剣はやはり軽すぎるのだ。
「あのソルド・カメアがこの程度なわけないだろうが!!」
そう言いながらなんとソルは燃え盛る剣を自らの剣で受けるとそのまま素手で相手の剣を掴む。
「いい加減に目を覚ませよ!!」
その怒号と共にソルは自らの愛剣を手放すと拳を固く握りソルドの頬へと叩きつけた。
剣で切り裂くでもなく魔法を使うでもない。ただの右ストレートによる打撃を打ち込んだソル。しかしその程度ではソルドは倒れず僅かに数歩だけ後ろにたたらを踏むだけに終わる。
感情に任せただけのパンチなど有効打にはならない。
「こんな…こんな戦いなんて意味がないだろ…くそぉ……」
覚悟を決めたはずだった。この村でもしもソルドが暴れているなら自分が止める、そう決心していたはずだ。だが彼女は自らの意思で暴れている訳ではない。誇り高き彼女は弄ばれて惨事を引き起こしているのだ。
だからこそソルは躊躇う、だからこそソルは憤ってしまう。だからこそソルは――涙が堪えられない。
完全にソルの中には戦意が薄れつつあった。所詮は操り人形で本当の強さなど宿っていない人形であるにも関わらず止めを刺せない。その気になれば刺せる止めを……。
やるせなさから拳を握る事しかできない。炎剣を素手で掴んだ為に大きく火傷を負った拳を握り血が滴り落ちる。そう涙と共に……。
だが彼女の薄れかけている戦意を復活させたのは思いもよらぬ人物であった。
「本当に…強く…なったな……」
「………え?」
それはあり得ない人物からの称賛の言葉であった。
「あのひよっこがよくぞここまで……嬉しいぞ……」
「ソルド…?」
彼女に称賛を送ってくれた相手、それはもう屍と化したはずのソルドであった。
今の今まで能面のような表情をしていた彼女だが今はもう違う。その顔にはかつての厳しくも優しさを兼ね備えていた憧れの人物が立っていた。
「ソルド…まさか正気に戻ったのか?」
「ああ…お前のお陰だろうな。魂の籠った拳で殴られ目が覚めた……と言う訳ではないだろうな。私を操り続けていたあのアラデッドとやらが死んで一時的に解放されたんだろうな」
彼女はゾンビ同然の村人達とは違い完成度の高いアンデッド、それ故に支配から解放された事で僅かに正気を取り戻せた。しかしこの事態はあくまで一時的なものだろう。どうあがこうが死した身ではまたすぐに感情は消え殺戮ゾンビに戻る。
だからこそ彼女は己を保てるうちに伝えるべきことを告げる。
「私は操られていた時の記憶が今はうっすらだが残っている。私が攫ったお前のギルドの冒険者達はこの村に巣を作っていたレッドボアの洞窟に居るはずだ。まだ生きている…早く助けに行って……うぐっ!?」
やはり自分が正気なのは一時的なものらしい。少しずつだが頭に靄が掛かるかのように思考力が薄れつつある。今はまだ最後の気力で持ちこたえているがもう限界だ。
そのために彼女は自分を止めるためにかつての教え子に残酷な願いを託す。
「ソル頼む。今の正気なうちに私を切り捨ててくれ……お願いだ」
「な…あ……」
ソルドの口から出てきた言葉はある意味当たり前のことだ。アラデッドの呪縛から解放されて無防備な今この瞬間に止めを刺す。それが定石な判断に決まっている。
だが彼女の口から『任せろ』なんて言葉は紡ぐ事が出来なかった。
「そんなことできるわけな――」
「できないなんて言わせんぞ!!」
ソルドの言葉にビクッと肩を上下に震わせるソル。
「お前は何のために剣を握っている!? 暴走して生き恥を晒している私を止めるためだろうがッ!! それを『無理だ』、『できない』なんて甘えた言葉で片づけることは許さん!!」
「で、でも…」
「この阿呆がッ!?」
この期に及んでうじうじしているソルの頬を渾身の平手打ちで叩くソルド。
「お前はまさかここで私を見逃す事が〝優しさ〟だと履き違える気じゃないだろうな! 本気の本気でそんな腐った考えなら私がお前を切り捨てるぞ!!」
ソルドの叱咤を受けてソルは泣きそうな顔で俯く。
「(分かってるさ。ここであんたを斬らなきゃあんたをより苦しめるだけだって……)」
本当は気づいている。全てちゃんと承知している。
「私はもう死んだはずの身だ。だから…このまま生き恥を私に晒させないでくれ」
そう言いながらソルドは自分の愛用武器であるサラマンダーの剣を拾い上げソレをソルへと差し出す。
「お前は本当に優しい子だ。だがな、いやだからこそお前の手で引導を渡してほしい」
「うくっ……うあ……」
嗚咽を漏らしながらソルは手渡された彼女の魂であるサラマンダーを受け取る。
「ソルド…昔言ったよな。私、わたしさ…好きな人が、憧れている冒険者が居るって」
「ああ…その人に追いつきたいから私に教えを乞うたんだったな」
「私さ…今はその人とパーティー組んでんだ。あんたが駆け出しの私に色々教えてくれた、間違いなくその過去があるから今の私がある」
そう言いながらソルはゆっくりと剣を構える。そしてその瞳は涙こそ溢れているがぶれることない強い〝覚悟〟と〝信念〟が見て取れる。
「ありがとうソルド。あの日、まだ未熟者の私に進むべき指針を示してくれて。そのおかげであんたと同じSランクになれたよ」
「気にするな。ようやく私以上に憧れていた人と肩を並べられたんだな。おめでとう」
そう言うとソルドは両手を開いて優しく微笑んだ。
もうこれで自分の胸の内に溜まり続けていたものは吐き出され溜飲が下がった。何より自分が育てた少女が自分を止めてくれる、こんなに有難いことはない。
「あの世からお前の今後を見守らせ続けてもらうぞ」
ソルドが最後のセリフを言い終えた直後にソルは雷の様な踏み込みで一気に彼女へと駆け、そのまま燃え盛る剣を横なぎにしながらその横を通り過ぎる。
「本当に…強くなったなぁ……」
自らの体を灰と化そうと全身が炎で包まれ、ガクンと力が抜け落ちるのを実感しながらソルドは満足そうな表情と共にようやく終わることが出来たのだった。
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