私が母親でごめんなさい
自分の盾になるかのように覆いかぶさる母は全身が血濡れの状態でウルフを見つめ安堵の表情を浮かべていた。
「よ…かった。け…が…はない…みたいね」
全身につけられたおびただしい自身の傷など我関せず娘であるウルフの身が安全である事に笑顔を浮かべる母を見てウルフは何も答えられなかった。
どうして自分の為にそんな体まで張って守ってくれたの? 私の事を捨てておきながらどうして身を挺して私を守ってくれたのよ!?
混乱の極みに陥っているウルフは呆然とした表情で今にも死にそうな母を黙って見つめる事しかできずにいた。
まともに動けない状態の重なっている二人に対してキリシャは鎌を構えて無慈悲に止めを刺しに来た。
「二人仲良く左右に別れな!!」
「させるかぁ!!」
大鎌をまたしても安全圏から振ろうとするキリシャの耳に男性の声が通り抜けた。そして声の聴こえてきた方向に眼球を動かすとすぐそこまで敵冒険者達の中でもっとも厄介なムゲン・クロイヤが迫りつつあった。
キリシャはウルフ達から攻撃対象を自分に飛び込んで来たムゲンへと変更し、そのままムゲンの方角目掛けて鎌を振るった。
「(何だ、何か不味い!?)」
キリシャの鎌の動きに合わせて体を少し捻ると同時、ムゲンの頬を何かが切り裂いていった。またしても距離が離れているにも関わらずキリシャの放った謎の攻撃が肉を切り裂いていく。
自身の頬に突然傷を付けられたムゲンは何をされたのかは理解できていないがそれでも突っ込むことを中断せず完全にキリシャの間合いを侵略していた。
「うらぁッ!」
「ちいッ!?」
放たれる超攻撃力の拳を鎌で受け止めようとするキリシャだがその威力は常軌を逸していた。持ち手部で拳を受け止めるがまるで粘土の様に持ち手部はへこんだのだ。そのまま自分の懐へと進んで来た拳がキリシャの腹部を完全に撃ち抜いた。
「がっぱぁ!?」
攻撃を受ける直前に間違いなく腹部の辺りを魔力で強化していたはずだ。だがそんな補助など気休めにもならないほどの衝撃に彼女は血の塊を吐き出してしまう。しかも体内で何かがへし折れる嫌な音が反響した。
た…ただの拳でこの威力……や、やばい。次の攻撃を避けられない。
すでに反対の腕を引いて拳を固めているムゲンを見てキリシャは顔からどっと汗が噴き出る。そして脳内では自分の首から上が吹っ飛ぶイメージが流れ始めていた。
竜の力を覚醒した少年の圧力は明確な死のイメージを植え付け、そのままイメージ通りの末路を実行させようとムゲンが最強の一撃を顔面に繰り出そうとした。
「さすがにこれは見て見ぬふりはできないねぇ☆」
それはあり得ない事であった。いきなり、本当にいきなりムゲンは自分の背後に気配を感じ取った。
「背中ががら空きだよん☆!」
ムゲンの背中に目掛けて放たれたのはキリシャと共にやって来たピーリーによるナイフの一撃であった。
背後からナイフを横なぎにされ衣服が裂ける。だがムゲンの肉体の方は掠り傷すらつかず、彼はそのまま振り向きながら背後から攻撃して来たピーリーに蹴りを叩き入れた。その蹴りはナイフを持つピーリーの腕に直撃し、そして蹴りを入れられた彼女の腕は――〝へし折れて〟砕け散った。
「あーらら、私の義手が粉々じゃん。でも今のうちに!!」
自らの義手が粉砕された事に少しショックを受けながらもピーリーはまたしても〝一瞬〟で目の前から消えるといつの間にかキリシャの隣へと移動を終えていた。
さっきからどうなっているんだコイツは!? どうして移動の瞬間を捉えられない!?
確かに一瞬で移動をする術はいくつかある。転移魔法などはその代表だろう。もしくは極限まで身体能力を強化して一瞬で間合いを詰める事も不可能ではない。だがそれらは発動前に何かしらの動作が出て来る。転移魔法ならば魔法陣が出現する。高速移動ならば加速前の動き出しの瞬間が見えるはずだ。だがこの女はそう言う次元ではないのだ。気が付いたら既にそこに居るのだ。
「さーてキリシャちゃん。かなりダメージ深いしここは撤退しようか。私のスキルでアジトに戻るよ☆」
「(なっ、スキルだと!?)」
人間離れした聴覚の持つムゲンの聞き取った単語は驚愕のものであった。彼女の口から出て来た〝スキル〟と言う単語に驚き、そのせいでピーリーへと叩き込もうとした拳はコンマ数秒だけ対応が遅れてしまった。
突き出したムゲンの拳が直撃する直前にピーリーとキリシャはその場から影も形も無く消え去ってしまった。
「くそっ、逃げられた!?」
まんまと逃げられてしまった事にムゲンは歯噛みするがすぐに意識をウルフ達の方へと切り替える。
「大丈夫か二人とも!!」
「わ、私の方は大丈夫だけど……」
ウルフも片脚が深々と切り裂かれているがそれ以上に彼女の母の方が重傷と言うレベルではなかった。思わず目を覆いたくなるほどの無数の傷跡、それに血も流れ過ぎている。目の焦点もあっておらず虚ろだ。だがムゲンにもウルフにも傷を治す術は持ち合わせていない。瀕死状態の彼女を見てムゲンはすぐに彼女をこの場から運び出そうとする。
「しっかりしてください! すぐに村の中心部に居る仲間達の元まで連れていきます! ハルやマホジョの回復魔法ならこれぐらい何とか……」
「……いいのよもう。本当は気が付いているんでしょう? 私がもう…助からない事に……」
「そ…そんな……」
母親の言葉に対してウルフは息をのみ絶句してしまう。
この人がもう助からない? 私の目の前で死んで行く? そ…そんな……私はどうすればいいの?
恨み辛みしかない元母親がどうなろうと自分には関係ない、そう思っていたはずなのに目の前で力尽きようとしている母を見て『ざまあみろ』なんて気分にはなれなかった。
体は震え呼吸は荒くなりウルフは愕然とするしかできなかった。そんな彼女に対して母は最期の力を振り絞り自分が伝えるべき事を伝えてからこの世を去ろうと覚悟を決める。
「ごめんなさいウルフ。私があなたの母親で……ぐぶっ、あなたを奴隷商に売り渡した最低の母はもうあなたの前から居なくなるから安心して。うぶっ……最期に…本当はこんなことを口にする資格などないけど最期にこれだけ言わせて。本当に……ごめんなさい。私の子供として産んでしまって……ごめんなさい…………………」
全てを言い終えると彼女の全身から力が抜けてウルフの膝へと彼女の体が崩れた。そしてウルフの母はピクリとも動かなくなった。
「あ…ああ………あああああ………」
母の言葉が脳内で反響する。最後に送られた『ごめんなさい』が耳から離れてくれない。
「いやあああああああああああああああああ!?」
「ウ、ウルフ!?」
「ああああああぁぁぁううあうあうあううあうあああああああああああ!!??」
全身の震えが止まると同時にウルフは発狂したかのように金切り声を撒き散らしながらその場で転げまわる。頭をがりがりと掻き毟り、脚の深手などお構いなしにのた打ち回る。
「しっかりしろウルフ!!」
「ああああがっががあああああああああがあああ!!??」
必死に彼女を抱きしめるムゲンであるがウルフの狂乱は収まりを見せず、そのまま数分間も喚き続けたのちに彼女の意識は闇へと沈んでいったのだった。
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