娘を捨てた母親は今でも私を苦しめる
夜の村をふらふらと歩きながらウルフは小さく溜息を吐いていた。
未だに気持ちの整理がつかないのだ。もう自分の人生の中であの人と巡り合う日など訪れないとばかり思っていた。それがまさか闇ギルドへと赴く道中でバッタリ再会、まるで悪い夢を見ている様だった。
ウルフにとって母の印象は最悪の一言に尽きる。何しろ自分を奴隷商へと売り飛ばしたのだ。どれだけ昔の優しかった頃の母の思い出があったとしても子を売り飛ばした時点で親子の縁などウルフからすれば完全に切れている。この村にあの人が居た事は驚いたがだからと言って何も話す気などない。
そう思っていたのに――
「……久しぶりねウルフ」
どうして今更私の名前をあなたは呼ぶの?
振り返ればそこに居たのは自分を捨てた母。
まるでタイミングでも図っていたかのように周囲には誰も居ない。もう顔も見たくなかった人と完全に二人きりの状態が出来上がっていた。
正確に言うのならば物陰からムゲンがその光景をハラハラしながら覗いていたがウルフは気が付いていない。
「……今更何の用なの?」
敵意や憎悪を含んだいつもよりも低い声で要件をウルフは尋ねる。
久方ぶりの娘の声を聴いて母親は悲しそうな笑みを浮かべていた。
「そ、その…元気そうで何よりだわ。今はあの人達と冒険者のパーティーを組んでいるの?」
「そんなことあなたには関係ない」
母から投げかけられた問いに対して話す気など無いと言わんばかりにザックリと〝関係ない〟と言いきってやった。当然だ、何が元気そうで何よりだ。まるで労わるようなセリフを一体どんな顔をして口にしている?
「もう行っても良い? これ以上あなたと話す事なんてないから…」
「まっ、待ってちょうだい!!」
「なっ、やめてよ!?」
立ち去ろうとするウルフの腕を母が掴んで引き留める。
もうこれ以上関わり合いたくないウルフは強引に掴んでいるその手を引き離してやろうとすると母はその場で土下座をし始めたのだ。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」
「な…何が……?」
「私はあなたを……実の娘であるあなたに本当に酷い事をしてしまったとずっと……ずっと後悔し続けていたわ。だから……謝りたかったの……」
「………けるな」
「え……?」
「ふざ、けるなぁぁぁぁぁぁ!!!」
今まで強引に押さえつけていた怒りがこの瞬間に大爆発してしまった。
一度燃え上がった怒りの炎はどんどん大きさを増し、ウルフ自身も興奮のあまり今の自分の状態を理解できなくなりつつあった。
「そんな、そんな今になって『ごめんなさい』なんて言われてもどうしようもないじゃない!? じゃあ何、私はそんな安っぽいセリフを言ってもらえたからあなたの所業は許してあげるべきだと、そう言いたいわけ!?」
「ち、違うわ。私は……」
「何も違わないわよ!! あんたは私に対して〝申し訳ない〟と言う感情なんて絶対に持ち合わせていない!! ただもう二度と出会うはずの無かった娘とまさかの再会をして気まずさから謝っているだけ!! 誤魔化しているだけなのよ!!!」
とてもじゃないがもうウルフには耐え切れなかった。
自分を売り飛ばして金に換えた元親とこれ以上の会話などしたくもなかった。何を言おうが彼女のやった行為は子を持つ親としては決して許されない事なのだ。
「どんな言い訳をしたとしても手遅れなのよ…! あんただって苦しんでいたのは知っているわよ! 愛する夫は死に大勢の人間から迫害を受けて傷付いていたのは知っている! でもそれは私にだって言える事よ!! 私だって父を失い迫害を受けていた。それなのに…それなのにあんたは自分の身だけを守ろうと私を金銭に変えたんだ!!」
「あ…ああ……」
「消えてよ!! 私はやっと幸せな居場所を手にしたんだ!! だからもう過去の亡霊はお願いだから私の人生の中に踏み込んで来るなよ!!」
そう言うとウルフは叫んだ勢いのまま母の元から逃げるように走り去っていく。
涙を零しながら逃げ去る様に立ち去る光景を見ていたムゲンは追いかける事が出来なかった。
ハッキリ言って今のウルフに気休めな言葉をかけてあげても彼女は嬉しくないだろう。それに自分が今の彼女の悲しみを完璧に理解してあげるなどおこがましくも思う。何故なら大勢の人間から迫害を受けていた境遇は自分も同じではある。だが自分には優しい母と言う最後の味方が居てくれた、それに引き換えウルフは肉親すらからも……。
どれだけ腕力を持っていてもこんな時には何の力にもならない。そんな無力な自分に軽く失望をしているとすすり泣く声が聴こえてきた。
泣き声の方へと視線を傾けるとそこに居たのはその場で泣き崩れるウルフの母だった。
「………」
今の彼女を見ても可哀そうだとは正直思えなかった。我が娘に働いた過去を考えるのならば拒絶されて当然だと思うし、それに大事な恋人を傷つけた相手と考えるとムゲンとしても慰めの言葉を掛ける気にはならない。
でも…どうして今更あの人はウルフに対して謝ろうなんて思った?
ウルフは気まずさから謝っているだけだと言っていたがムゲンにはどうにもそう決めつける事ができなかった。ただ打算で謝ろうと思った者があんな悲しそうな涙を流すとは思えなかったからだ……。
気が付いた時にはムゲンはウルフの母の元まで歩み寄って声を掛けていた。
「すいません。ちょっと俺と話をしてもらえますか?」
決して彼女を慰めるわけではない。だが、もしあの親子の間に何か誤解があるのならばウルフを愛する男としてこの問題を放置すべきではないと思ったから……。
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