『ありがとう』
「よ、よかった。どうやら気を失っただけみたいね」
ミリアナの腕の中で意識を失ったムゲンを見て少し焦りはしたが本当にただ気を失っただけのようだ。解毒薬も無事に飲ませる事ができたからこのまましばし安静にしていれば大丈夫だろう。
彼女がムゲンの窮地を救えたのは彼女の持つ直感による結果であった。
ムゲンから拒絶されてから同行しているモブル達には決して悟られないように振る舞っていたミリアナであったがいきなり彼女にゾクリとした嫌な気配が走り彼女は敏感にムゲンの身に何かあったのだと察知したのだ。自分に中に駆け巡った感覚を頼りにまたしても彼女はモブル達を置き去りにして先行した。その結果目撃したのはポイズンスパイダーの毒牙がムゲンの首に食らいつこうとしている場面であった。その光景を見た瞬間、ミリアナの表情からは感情が一切消え失せたかのような能面となり剣を抜いて全力で振るっていた。
ムゲンに危害を加えようとしている憎き害虫に対してミリアナの放った技は剣に宿した魔力を鋭い刃に形どって射出するもの、言うなれば遠距離に居る相手を一刀両断する斬撃技だ。剣の振りが速ければ速いほどに飛ばされる斬撃の速度も増す。ムゲンが襲われる瞬間を目撃した彼女は〝戦姫〟の名に恥じぬ神速の居合で超高速の斬撃を飛ばし蜘蛛の頭部と胴体を分離して見せたのだ。
無事にムゲンを救出できた事に安堵の息を漏らしていると彼女はその場で彼に膝枕をして体を寝かせる。このまま彼を一人で放置なんて選択肢は彼女の中には皆無であり彼が目覚めるのを待つ事にする。
自分の膝の上で無防備な表情で眠りについているムゲンを見てミリアナは思わず見とれてしまっていた。
「……かっこよくなったなぁムゲン。顔立ちもこんなに凛々しくなって……」
別れた頃の彼は年齢以上に幼さを感じる雰囲気を常に宿していた。そのせいでいじめられる彼を不憫に思ったこともあったがミリアナにはそんな彼がとても愛おしかった。だが成長した今の彼はとても強い男と言った顔立ちをしていてこれはこれで惹かれる部分がある。
「(でも私と別れた頃からこうまで逞しそうな顔つきになったと言うのは、つまりそれだけ彼は過酷な環境下を生き抜いてきたと言う裏付けでもあるんだよね…)」
そのことを考えるとまたしてもズキリと胸が痛む。
先程に自分はこの膝の上で眠っている彼から拒絶された。だがやはりこうして彼の顔を見ていると未練が出て来る。あんな別れ方ではいこれでもうお終いなんて受け入れられなかった。
「(このまま時間が止まってしまえば良いのに……)」
そう思いながら気が付けばムゲンの頬に手をゆっくりと伸ばそうとしていると……。
「どうしたんですかミリアナさぁん!!」
背後の通路から置き去りにしてきたモブルの声が聴こえてきた。
慌ててムゲンの頬に伸ばしていた手を引っ込めて振り返ると遅れてモブル達がやって来る。
「またしても急に走り出したから何事かと……何ですかソイツは?」
息を切らせながらミリアナの元まで追いついたモブルだが、彼女はどこの馬とも知れぬ男に膝枕をしていたのだ。その光景を見てあからさまに不機嫌そうな表情になって何をしているのか尋ねるモブル。
「あのミリアナさん。その男は一体どこの誰ですか? どうしてあなたの膝で暢気にその男は眠っているんですか?」
「………」
正直誤魔化そうかとも思ったがさすがにこの場面を見られてしまった以上は包み隠さず話した方が良いだろう。
ミリアナは遅れてやって来たモブル達に全てを話した。彼がモンスターに襲われていた場面に遭遇したので救って介抱している事、そしてこの人物が自分と同じ村で育った〝幼馴染〟であることを。その話を聞き終わるとモブルは小さく舌打ちをしながら未だ目覚めぬムゲンを睨みつける。
「(何でいきなり幼馴染なんて出て来るんだよ? くそ…暢気な間抜け面をして俺のミリアナに膝枕なんかされやがって……ぶっ殺すぞ!!)」
自分が今一番狙っている女を横取りでもされたかのような気分に陥り胸糞悪くなって思わずモブルはムゲンを睨みつける。しかも怒りのあまりただ睨みつけるのではなく敵意、すらも通り越して殺意を宿してムゲンを睨みつけたのだ。
次の瞬間――この辺り一帯の空気が凍り付いた。
「ちょっと待って……ねえ、今どうしてムゲンに向けて〝殺気〟を向けたの?」
そう言いながらミリアナはムゲンを守るかのように抱き寄せてモブルの方を見て来た。
今までムゲンを優し気な顔で見守っていたミリアナの纏う空気がまるで別物へと変換されたのだ。彼女の顔からはポイズンスパイダーを処理した時のように表情が消えて能面のようになる。だがその瞳はドロドロにどす黒く濁っているのだ。
「ねえ…質問に答えてくれる? ドウシテムゲン二殺意ヲ向ケタノ?」
「ひっ…!?」
これまでたった独りで数多くのモンスターを処理してきたSランク冒険者である彼女の怒りは並大抵の冒険者の精神力では耐えきれるものではない。モブルの取り巻きは先程まで気に入らないミリアナを抹殺しようかと考えていたがその考えは一瞬で霧散し、仮にもAランクパーティーのリーダーを務めるモブルも冷や汗が止まらず脚が震える。
だがその殺気を誰よりも間近で当てられたムゲンは敏感に察知してゆっくりと目を見開き意識が覚醒する。
「あ…ム、ムゲン。起きたんだ……」
ムゲンの目覚めによって充満していた彼女の怒りが消える。
「ミリアナ……か……?」
「う…うん……」
不安げな顔で自分を見下ろすミリアナを見てムゲンはしばし何も言えなかった。だが……自分を助けてくれた人物が彼女ならば人として言わなければならない一言がある。
「……ありがとう」
短くぶっきらぼうなその礼の仕方はお世辞にも礼を述べる人間の態度ではないだろう。だがムゲンの口から拒絶でなく『ありがとう』の言葉を贈られたミリアナは心の底から嬉しそうな顔で笑っていた。
もしこの作品が面白いと少しでも感じてくれたのならばブックマーク、評価の方をよろしくお願いします。自分の作品を評価されるととても嬉しくモチベーションアップです。