96話
ホールで予約をすると、やはりまだ誰も戻ってきていないため、すぐに使うことができる上に、かなり長時間もできる。とはいえ、時間は有限。メリハリをつけて、オンオフをしっかりと。濃厚な練習時間にしなければ意味がない。
まずは音合わせ。ヴァイオリンとチェロがペグと呼ばれる糸巻きを少し緩め、弾きながら音を合わせる。今日もホールはいい響きだ。
それを見、ベルは感銘する。
(ブランシュもフォーヴも……かなり上手い。音合わせだけでわかる。なんとなくだけど)
その姿勢や合わせる早さなど、上手い人はそういったところも早く美しい。もちろん、一概に全部が全部そうとは限らないが、基準にはなる。両者ともに該当する。
(って、あたしも指慣らししないと……ん?)
軽く弾いてみる。妙にしっくりくる。
(んんー?)
もう少し弾いてみる。やはり調子がいい。
(……あれ? なんだろ、すごく弾きやすい……?)
今までになかった感覚が追加されているような。首を傾げながらさらに弾いてみる。うん、間違いない。
——ふと、カサブランカの花をメインにした、そんなフラワーアレンジメントがベルの眼前に浮かび上がった。
「よし、じゃあやろうか……本当にメンデルスゾーンでいいんだね?」
フォーヴはベルに最終確認する。やるにしても、数曲弾いてからではなくていいのか。
「ねぇ、たぶんなんだけどさ」
そんなフォーヴの心配をよそに、ピアノを前にしたベルは魂が抜けたように脱力している。なんだろう、これ。なんでもうまくいくような感覚。
「あたし、今、上手いかも」
驕るようでもなく、力みもなく。まるで眠りにつくような静けさ。なにかに操られているような没入感。自分が自分を真上から見下ろしているような。
「? 頼んだよ」
不思議に思いながらもフォーヴは了承。さぁ、楽しい時間が始まる。
第一楽章。モルト・アレグロ・アジタート。ピアノとチェロが優しく入り、羽根のようにふわりと舞い上がる。そこへヴァイオリンが寄り添い、トリオが走り出す。普通、楽器が三つあればどれかがリードしていく、という曲が多い中で、この曲は各々が流れるようにバトンを渡しながら絡み合う。もし、どこかひとつの呼吸がずれれば、途端に崩壊する三人四脚。
ならば三人が熟練の猛者ならば、メンデルスゾーンの意図した音楽を奏でるのか、というと、そうでもない。例えばヴァイオリンが見せた表情を、チェロとピアノが同じように真似るのではなく、同じベクトルの方向性の音楽を読み取ることが重要となる。テヌートひとつ取っても、チェロはなぜヴァイオリンがテヌートしたのか、ならば自分は何をすべきか、考えて弾くことの『調和』。




