94話
数度の説明で、なんとか理解はしたベルだが、どうも完全には信じきっていない。とりあえずそのへんは放置しておくことにする。
「そっかぁ。というか、ブランシュは音楽科じゃないの? 入れるだけの腕はあるって、ヴィズからは聞いてるけど」
そういう存在がいることは聞いていた。面白そうなことをやっているとも。混ぜてくれればよかったのにとも。そしてその存在が今、目の前にいる。チャンスとばかりに聞いてみる。
いやいや、と緩くブランシュは否定する。
「私は趣味ですから。みなさんのように、上手くなりたいとか、将来のこととかではなく、ただ楽しく弾きたいだけなので」
(本当に?)
誰かの声が聞こえる。ブランシュにだけ聞こえる声。
その答えに若干不満そうなベルではあるが、演奏家なら演奏で語ろう、と提案する。楽しければ、本人がよければそれでいい。
「ふーん、まぁこの後、やってみるとして、最初はウォーミングアップで何からやろっか。ピアノ三重奏。色々あって悩むよね」
ピアノ三重奏は様々な作曲家が遺しており、人気もある。それぞれに特徴があり、好みも分かれる。
初めての三人。ということは、まずは簡単なところから。楽しく悩みながらフォーヴがあげる。
「そうだね。まぁハイドンでゆったりと慣らしつつ、いいところで一回『新世界より』に——」
「メンデルスゾーンでいっか。結構好きだし」
しかし、それを遮るようにベルが決定する。うん、メンデルスゾーン。決まり、と宣言した。
「は?」
「え?」
フォーヴとブランシュがそれぞれ目を丸くして戸惑う。「メンデルスゾーン? メンデルスゾーン!?」と、二回確認するが、ベルは肯定する。
「え、なに? なんか変なこと言った?」
再度、一旦落ち着いたフォーヴが確認する。
「メンデルスゾーンて、『第一番 ニ短調 作品四九』? 本当に?」
今にも掴みかかりそうな雰囲気である。口には出さないが、ブランシュも同様だ。
「う、うん。変、かな?」
そんなに詰め寄られるとは思っていなかったベルは、たじろいで少しイスごと後退する。
確認が取れたところで、フォーヴとブランシュは顔を見合わせた。
「いや、だって、あれは……」
「まさか、本当に……?」
この状況が面白くないのはニコル。いつものこと。最近増えてきた気もする。
「どういうこと? 相変わらず私を置いていくねぇ」
慣れたもので、阿吽の呼吸でブランシュが解説に入る。まだ信じてはいない。
「メンデルスゾーンの『ピアノ三重奏 第一番 ニ短調 作品四九』ですが、はっきり言います。音楽科とはいえ、リセに通う生徒が弾ける難易度では到底ありません」
うん、とフォーヴが力強く同調する。リセとは高校のこと。
「だね、ゆっくりならともかく、特に第三と第四楽章をテンポを守って弾きこなせるなんて、国際コンクールレベルだ。もちろん、ヴァイオリンとチェロも難しい。が、ピアノはその比じゃない。そしてこの曲で一番のキモになる部分それが——」
チラッとブランシュを見ると、彼女が頷く。
「「バランス」」
声が合わさる。それほどまでに周知の事実。




