93話
「……ということなんだけど……」
一旦は朝食のために食堂へ行き、緊張で疲れ果てたベルはイスに座りながら、今日のことをかいつまんで話す。自分のこと。今は花屋でアルバイトしていること。昨日、店主のベアトリスから伝えられたのは、早朝この部屋に向かうこと。その他諸々。人見知りだが、すぐに打ち解けることができた。
やっと理解したニコルは、現状を軽くまとめる。目覚めのコーヒーを一杯。
「なるほど。ベルがピアノ担当なわけね。それは知らなかった。というか今頃、爺さんもビックリしてるんじゃなかろうか。まさかそこの店員が派遣されているとは」
大変だねぇ、と他人事なので笑って話す。
「しかし、我々としては『新世界より』のピアノをお願いしたいんだが、大丈夫かい? なにも知らされていないんじゃ、さすがに無理があるかもね」
曲目も知らされていないんじゃ準備のしようがない、とせっかく来てくれたが申し訳なさがフォーヴは勝つ。
しかし、「それは大丈夫」と、ベルは打ち消した。
「わかっててベアトリスさんは、あたしを寄越したんだと思うし。弾けるって言ってないんだけど」
全く、と不満を見せる。秘密にしていたのも、どうせ面白いから、とかそんな理由だろう。しょうがない人。
「? じゃあどうやってその、ベアトリスさんはベルが弾けるってわかったんだい?」
率直な疑問をフォーヴは抱いた。エスパーかなにかか? 『新世界より』が弾けそうな顔を見分ける力?
ベル自身も半信半疑、という風に種明かしをする。
「あの人は……ピアニストはよく、なにもないところでも指を動かして演奏することがあると思うけど、その動きだけで曲名がわかる……自分で言っててもよくわかんない……」
そんなことができる人物を他に知らない。ベートーヴェンだって『月光』とか、指を動かされるだけで自分の曲だとわかるのだろうか。
軽く頭を抱えながら、フォーヴは悲痛な表情になる。
「……つくづく、フランス人は人間の範疇を超えてるね……ブランシュもそうだけど、そんなの聞いたこともない」
「ブランシュも?」
そんな頻繁に見つかる? と訝しみながら、ベルは視線をブランシュに向けた。大人しそうな見た目に騙された。
「私の場合は曲がわかる、とかではないのですが……」
と、ブランシュは前置きをする。何度目かの説明の体勢。
それを受けてニコルが一度、ベルの意識を正常にした。
「ベル、今から何言ってんだろうと思うだろうけど、真実だから。純度一〇〇パーセントで」
「うん? うん」
反応に困ったベルは、とりあえず頷く。
ひとつ息を吸い、少しブランシュは緊張する。何度やってもこの瞬間は慣れない。そして吐き出しながら告白する。
「私の場合は、音から香りを感じるんです」
言った。さて、と細かく説明する準備をする。しかし。
「すごくいいじゃん! 素敵!」
「あれ?」
思ったのとは違う反応をベルは示し、ブランシュは呆気に取られる。もしかして、そんな珍しくない? と自分に疑いを持つ。
「そういう人?」
ニコルも逆に困る。一発で受け入れる人はいなかったので、もしかしたら変な人なのかもしれない。
「これは初めてのパターンだわ。その逆もで、香りから音を奏でられるんだとさ」
と、追加で補足する。そのために香水を作っているわけだが、その理由は秘密。ブランシュとニコルだけ。フォーヴも知らないこと。説明がいらないのは助かる。しかし。
「え、どういうこと?」
「いや、なんでこっちは信じられないのよ」
どうやらベルは、香りを嗅いでヴァイオリンを弾くということは、よくわからないらしい。なのでニコルが軽く説明。やっぱり変な人。




