92話
今日も今日とて、快晴で洗濯日和。本当なら外に干したいけど……と考えながら、ブランシュはランドリールームで洗濯物を回す。少しずつ、洗濯機の回る音が好きになってきた。汚れが落ちていく音。とても気持ちがいい。
他に空いた洗濯機には、少量だがフォーヴも洗う。洗剤などはブランシュから借りた。
「悪いね、一緒に使わせてもらっちゃって。しかし、やっぱりお隣だからか、洗濯はあまり変わらないね。カルゴンを入れるのも一緒。外に干せないのも」
カルゴンは硬水を軟水に変化し、洗濯槽や排水管のカルキの付着を防ぐ薬剤だ。これをしないと、例えば白いシャツを洗うと、カルキのせいで灰色になってしまったりするので、必須となる。
「ベルギーもなんですか? ウチは実家だと外に干してますし、やっぱり外に干して、太陽浴びないと、洗濯したって気がしません」
乾燥機もいいのだが、やはり太陽には勝てない、とパリに住んで間もないブランシュは思う。そのうち気にならなくなるんだろうか。
イタリアなどではナポリなど、外に干す地域もあるが、ヨーロッパでは外干しを禁止しているところは多い。ベルギーはアパートでは基本禁止だ。
「乾燥機ばっかりだからね。少し羨ましいよ」
太陽で乾かすというのに、少しの憧れをフォーヴは持っている。さらに、元から軟水というのも羨ましい。同じ国でも、地域によって硬水と軟水が違うところもある。スペインもマドリードは軟水と聞いた。羨ましい。
そんな各国の情報を交換しつつ、お互い洗うものは全て放り込んだ。お湯の温度も大丈夫。
「とりあえず一旦戻りますか。ニコルさんは……まだ寝てるでしょうけど……」
昨日、洗濯当番を飛ばしてしまったので、今日こそは、とニコルは息を巻いていたが、結局はこうなった。もちろんブランシュはわかっていたので、先読みして洗濯する。
「大変だね、毎日」
自身は三日だけだが、ずっと一緒のブランシュを思うとフォーヴは若干同情する。
「ん?」
ひとつ角を曲がり、自分達の部屋を見据えると、ドアの前に誰かいる。寮長……ではない。不審に思ったブランシュは声をあげた。
同時に気づいたフォーヴも、状況を把握する。
「部屋の前に誰か、いる?」
制服を着ている。女性だ。あぁ、初めて生でモンフェルナの制服を見たな、と感想を抱いたが、とりあえず不審者ではない、かもしれない。一応、カギはかけておいたが、開けようとしている様子もない。
「います、ね。どなたでしょう? 他の階の方からのクレームとか……だったら申し訳ないです……」
なにかやった記憶はないが、ニコルがなにかやった可能性は充分にある。おそるおそるブランシュは声をかけてみる。
「おはようございます。どうされましたか?」
声をかけられ、少女は少しびくびくとしながら返答する。人見知りするようだ。
「あ、あの。おはよう、ございます。あたし、ここに行くようにって……言われてたんですけど、なにか聞いてますか?」
「「あ」」
二人には思い当たるふしがある。昨日、ニコルが言っていたこと。
先陣を切ってフォーヴが握手を求める。
「もしかしてピアノの? キミか、今日はよろしく。助かるよ。フォーヴ・ヴァインデヴォーゲルだ」
握り返しながらも、まだなにか疑り深い様子を少女は見せる。まるでここに、なにをしにきたのか知らされていないかのよう。
「よ、よろしく……?」
「私は、ブランシュ・カローと申します。朝早くから申し訳ありません。今日はよろしくお願いいたします」
「は、はい。よろしく……?」
ブランシュとも握手をするが、なんのことだか、少女はまだピンときていない。
「?」
お互いに顔を見合わせたブランシュとフォーヴは、頭に疑問符が浮かぶ。この人じゃ、ない? 人違いだろうか。新しい寮生?
「で、キミは?」
とりあえず、フォーヴは話を進める。このままでは埒があかない。
数秒固まり、その後、ハッとした少女は、口を開いた。
「あ、名前か。あたしは——」
と、それを遮るように、勢いよくドアが開かれた。
「来たかーッ! よく来てくれた!」
中から寝起きのニコルが、寝起きとは思えないテンションで出てくる。手を握り、ブンブンと振り回しながら固く握手をする。
ドアの間近にいたら一撃くらっていたな、とフォーヴは冷静に処理した。しかし。
「……あれ?」
手を離し、正面から、背後から、横からニコルは少女を見定める。そしてひと言。
「誰?」
眉を寄せて、じっと見つめる。記憶を頼るが、誰にもヒットしない。というか、予定していた人ではない。
「え」
「ピアニストじゃないのかい?」
若干の「やっぱりか」という気持ちを持ちつつも、ブランシュとフォーヴは驚く。反応からそんな気はしていた。
ピアニスト、という言葉に反応し、少女は肯定した。
「あ、今日ピアノを弾いてきてくれと頼まれました。よろしくお願いします」
やっぱり正しかったんだ、となんとも言えない複雑な感情になったブランシュとフォーヴ。だが、せっかく来てくれた。救世主であることは間違いない。
「よろしく。名前、聞いてもいいかな?」
と、フォーヴが問う。
「はい、ベル・グランヴァルと申します」
胸を張ってベルは答えた。色々ここに来るまで不安だったが、やることがわかってとりあえずは安心、という表情だ。ベアトリスからは部屋番号だけ聞かされていた。やることはなにも。
そのヴァイオレットの瞳をまじまじと見つめながら、ニコルは返す。
「……誰?」




