87話
香水作りは楽しい。音楽は楽しい。なら、二つ掛け合わせたら、それも楽しい。目を閉じる。
バッハの無伴奏チェロは、フランス風舞曲の組み合わせである。一番から六番までそれぞれある全六曲。全て前奏曲から始まり、アルマンド・クーラント・サラバンド・ジークという舞曲の構成になっている。そしてそれぞれ、サラバンドとジークの間に、メヌエットやブレー、ガヴォットが追加されている。
この曲は、バッハが実際に書いたという楽譜は残っていない。彼の後妻のアンナが書いたものが、現在では一番信頼性が高いとされている曲だ。そして、本当にチェロのために書かれたのかもわからない、という見解もある。特に六番はチェロよりも弦の多い楽器として書かれており、考察する人によって変わるため、本当のことは誰もわからない。
ブランシュは頭の中で奏でてみる。自分はチェリストではないが、先のフォーヴの演奏の音を頼りに、彼女ならこう弾くだろうという予想のもと、バッハの想いを紡ぐ。
(分けるなら、一番と二番がトップ、三番と四番がミドル、五番と六番がラスト……フランス風舞曲……そして、この曲を一躍有名にしたのは……)
時間にして二分ほど。目を開け、ベッドの下から薄い木箱をブランシュは五つ取り出す。
「え」
四次元ポケットのようにいきなり飛び出てきた木箱に、フォーヴは驚愕する。まさかそんなところにあるとは。さっきもお菓子が出てきたし。
「まぁ、最初はそうなるよな」
かつての自分と同じリアクションを取るフォーヴに、ニコルは親近感を感じた。普通は思わないよな、と。
気にせず自分の仕事に没頭するブランシュは、小声でなにか囁く。
「ブラックカラント、プチグレン…… マグノリア、リリーオブザバレー、キャラウェイ……オークモス、ヴィヴラントウッド……いや、違う……」
木箱を開けると、黒いアトマイザーがひとつの箱につき二〇本、器具により綺麗に整列して存在する。底には名前が書かれており、それで確認する。必要なものを取り出し、次の箱へ。そこにも同じように二〇本。これを繰り返し、決めた香りの精油は揃った。
さらに、またもベッドの下から、シックなマットブラックのディスカバリーボックスを取り出す。こちらには、精油ではなく未使用のアトマイザーやその他道具が入っている。
「では、いきます」
香水作りは非常に簡単である。無水エタノールが一〇ミリリットルの場合は、二〇滴好きな精油を投入するだけ。無水エタノールの量を増やす場合は、それに比例して精油の量を増やす。コツとしては、ミドルノートを少し多めにすること。そして、一滴ずつ香りを確かめながら足していくこと。投入してしまったら、減らすことはできないからだ。
空のアトマイザーは限界で二〇ミリリットルほど入る。だがそこまで入れてはいけない。混ざりが悪くなるから。一滴でかなり香りに変化はあるので、しっかりと確認しながら滴下する。
「あれ? ブランシュはさっき、肌に直接塗ってなかった?」
先ほどの『雨の歌』では、ブランシュは違う形のアトマイザーを使っていたことを、フォーヴは思い出した。しかも、一般的な香水の使い方である、プッシュして香るものではなく、塗っていた。初めて見た。




