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Parfumésie 【パルフュメジー】  作者: じゅん
自由な速さで。
84/369

84話

「わかりました。時間の関係で第一のみになってしまいますが」


 香水はトップ・ミドル・ラストと三種類の香りに分かれる。物によってはそうとは限らないが、『雨の歌』は三種類。そのうちのトップの香り。アマルフィレモンとメープル。そして、アルテミシアリーフのドライフラワー。ブランシュが出した答え。それを首筋に塗る。


 香りが鼻腔をくすぐる。香る。聴こえる。


(ピアノが聴こえます。これは、イリナさん。優しく、柔らかいタッチで、お花畑の寝転んでいるような、そんなイメージです)


 その音色に合わせ、ブランシュは弾く。見える。クララの憂いを帯びた表情も、ブラームスの熱情も。それらをただ、思うままに指を走らせるだけ。技術はいらない。力はいらない。全てを捨て去り、香りに導かれるだけ。


 『雨の歌』第一楽章、ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ。快活に、しかし、控えめに。


 よい演奏とは何か? という疑問には、明確な答えがない。技術があり、弾く速さを推す者。強弱がはっきりとし、メリハリを好む者。はたまた、弾く姿勢が美しい者。人の数だけある。だが、音楽を学ぶ者達に共通することがある。それが『譜面からは見えない物を、より深く理解して弾く』こと。


 なぜアダージョなのか。なぜここでペダルを踏むのか。作曲家本人が詳しく解説してくれていることなど、ほとんどない。ならば読み取るしかない。答えのない答えを求め、研鑽を積み、そして辿り着いた自分だけの答え。それを持って演奏する者には『魂』が宿ると言われる。正解、不正解の話ではない。自らの内面を曝け出す。それにこそ、人は感動する。


 跳ねるような軽快さと、なんとも言えない叙情的な心情。それでいて、ブランシュの感じたブラームスの『迷い』。それが音色という、形のない形になる。


「どうよ?」


 ブランシュが弾き終わると、なぜか偉そうに、ニコルはフォーヴに横目を向けた。とはいえ、自身も少し震える。詳しくなくても心が揺さぶられる演奏。


 口元を手で覆い、演奏を反芻するフォーヴは、悩むような笑うような、複雑な表情を見せた。どんな顔をしているのか、自分でもわかっていない。


「これは……いや、なるほど。本当のブランシュの演奏はこちらということか。私には……真似、できないね」


「そうだろそうだろー?」


 肘でフォーヴを突きつつ、自分のことのようにニコルは喜ぶ。ブランシュを育てたのは自分、とでも言いたげだ。


 ふぅ、と自身への衝撃と、出会えた喜びを噛み締め、フォーヴは一旦深呼吸をする。そして切り替え。


「早くピアノと合わせたいね。誰かいてもいい気がするけど」


 あんな演奏を聴いてしまった後では、体が疼いてしょうがない。ピアノ三重奏。そうでなければ収まりそうにない。今ならより深く、曲に潜り込める気がする。


 となると、場を整えるのはマネージャーの仕事。ニコルは最短ルートを探す。


「あの三人はいつ頃帰ってくるんだっけ?」


 あの三人とは、ヴィズ・イリナ・カルメンのこと。それぞれ違ったピアノの型を持っており、どれかには合うだろう、と判断した。三者三様でより尖った長所があり、技術には申し分ない。だがしかし、今は万聖節。二週間学校が休みのため、ここ最近は見ていない。

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