78話
フランスへ観光に訪れた者が向かう場所の、トップに君臨する凱旋門を有するパリ八区。メインの大通りを一本外れると、警察も降参するほどの、違法駐車された車が際限なく停まっている。
そんな大都会パリ八区にある小さな花屋。雑貨屋とカフェにはさまれたその店の名は、音を意味する<ソノラ>。扉の前の白い木製のイスに、日替わりのアレンジメントが置いてあり、店名が書かれたステーが吊るされてあるのみの、少し殺風景とすら感じる花屋だ。
そこの店の扉を、ひとりの老年の男性が開ける。
「こんにちは、お嬢さん」
からんからん、と扉にくくりつけた鈴が鳴る。店内に他に客はいない。この店は予約を取り、話を聞き、そしてその人に合ったアレンジメントを作る専門の店だ。そのため、たくさんの人の活気がある店ではない。しかし、人気はあり、なかなか予約が取れなかったりする。欲しい花は選べない。店主の気分次第だ。
その店主は、広い店内で花をいじっていた。趣味で作るアレンジメント。空き時間に飾る。店のエプロンをつけた、長い金色の髪をした少女。
「……これはまた、大物が来たよう、だ」
少女はアレンジメントする手を止め、エプロンを翻して立ち上がり、そちらを向く。少女の名前はベアトリス・ブーケ。弟に少し甘いことを自覚している姉。この後、三〇分後にまた予約が入っている。老年の男性は予約はしていないが、追い返したりせず、とりあえず放置。雰囲気から察するに知り合いのようだ。
「そんなことはないよ。今はただのおじいさん。職人のスイッチが入ってなきゃ、ただの人」
男性は特に断りをいれることもなく、応対用のイスに座り、テーブルに肘を乗せる。木製のセットで、花屋に適した素材。「そうだ」と、慣れた様子で、店の奥のエスプレッソマシンを起動させた。
それを尻目にしつつも、ベアトリスはなにか言うこともない。旧知の間柄。なんだったら、そのエスプレッソマシンは彼からこの店へのプレゼントで送ったものだ。
淹れ終わったエスプレッソ片手に、男性は再度イスに座る。そしてエスプレッソをひと口。うん、うまい。
「まだ現役だね。お茶菓子、なんかある?」
呆れたようにベアトリスはため息をついた。本題に入るまで長いのがこの人の特徴だ。このままだと、ただ単にコーヒーを飲みにきた迷惑な知り合いだ。早く片付けよう。次に来るお客さんが驚いてしまう。
「で、ウチには何の用で? モンマルトル墓地に行くための菊? そこいらにあるので適当に——」
「デートの誘い。一緒に行かない?」
ニコニコと、これ以上ない笑みを浮かべて男性は誘う。歳の差は五〇近い。言葉だけ見ると、どこか危険な香りもする。
冷たい視線を男性に投げかけ、ベアトリスは不快感を露わにした。
「行かない。少なくともあんたとは。というか、まだ営業時間内なんで。行くわけない」
まともな会話にはならない、と判断し、ベアトリスは再度フラワーアレンジメントに取りかかった。今、作りたいのはフランネルフラワーを使ったもの。他にはシャクヤクなんかも合いそう。考えることが楽しい。老人の戯言に付き合っている暇はない。




