76話
クラシック音楽に特化した、日本のサントリーホール。客席の形式から照明から、葡萄や葡萄畑をイメージして設計され、音響に関してはカラヤンが携わり、『世界一美しい響き』をコンセプトとされている。そこに勝るとも劣らない響き。完成されたホールを目の当たりにし、カラヤンは興奮したという。
「湾曲した天井。ステージの上の音響反射板に、壁のホワイトオーク。まさにクラシックのためにあるホールだ。ここに来れただけでも価値はある。ルカルトワイネよりも遥かにいい」
サントリーホールで演奏することは、演奏家にとっての大きなステータスとなる。実際に行ったことはないが、おそらくそれに近い音響で弾けるということに、フォーヴはウズウズしている。
「さぁ、早速やろう。二重奏曲はそうだね、ゴダール『オーバード 作品一三三』いける?」
あまりメジャーな曲ではないが、フォーヴの好きな曲だ。とても美しく、切なく、ノスタルジックで、様々な感情が溢れてくる。
「はい、お願いします」
「よし、きた」
ブランシュの了承も得て、音合わせ。少し緊張。ごまかしの効かない静謐なホール。
バンジャマン・ゴダールの『オーバード』。朝の歌、という意味を持つこの曲は、ゆったりとしたテンポに、たっぷりの感情を乗せた優しい曲。サロン風とも言われる優雅な朝の雰囲気を纏い、ヴァイオリンとチェロが軽やかに宙を舞う。
始まってすぐのヴァイオリンのソロでは、チェロは指、つまりピチカートで優しく弾き、ヴァイオリンをより引き立てる。その後すぐのチェロのソロでは、今度は逆にヴァイオリンはピチカートでお返しする。そうしてお互いを認め合ったら、混じり合うように音を紡ぐ。
(心地いい……まるで体を預けているかのように、フォーヴさんに身を任せて弾ける。音が溶け合うように、どこまでも響いていくようです……)
奏でながら、ブランシュは自然と笑みが溢れた。
まるですでに何度も共演したことがあるかのように、呼吸が合う。まるでシーソーのように、力を合わせて遊ぶ。
(……音楽専攻でもない子に、ここまでの演奏をされちゃうか。簡単な曲だからこそ、シンプルに腕がわかる。この子は……私の知る中で、誰よりも上手い)
笑うしかないフォーヴは、目を瞑り、全ての音を逃さないように抱き抱える。今までの最高の『朝の歌』を、軽く更新した。いや、ブランシュとだからか。
二分強の第一楽章を終え、一旦は演奏を中断する。第二もあるのだが、フォーヴは語りかけずにはいられない。内側から漏れ出る熱を抑えこみ、ひとり演奏を噛み締めた。
「……なるほど」
やはり、旅は最高だ。予想をしていなかった極上の音に出会える。それも同じ年。ふと、『パリに行こう』と考えた、昨日の自分を褒めてあげたい。ブランシュの方を真っ直ぐ見据え、再度意志を固めた。
「理由はわからないけど、手伝うよ。どうせ予定のない旅だったし。こっちの方が刺激がありそうだ」
「あ、ありがとうございます!」