73話
『新世界より』において、第二楽章ではイングリッシュホルンが最大の見せ場となる。第一楽章がホ短調で終わり、そして第二楽章では金管楽器の讃美歌、そこから変ニ長調へと雰囲気が変わる。そんな中入っていくイングリッシュホルンの最初の『ファ』は、非常に難しい。プロのオーケストラですら、集中しないと外すことがある。
「いえ、曲を演奏したいというか……いや、演奏はしたいんですけど、少し特殊というか……」
事情が事情だけに、毎度のことながら、ブランシュはうまく説明できる気がしない。自身のもうひとつの趣味であり特技、香水が関わってくるとは、誰も予想などできないだろう。
噛み合わない会話に、フォーヴは疑問符が浮かぶ。頭の中では『新世界より』が巡っており、ここで弾いてくれと言われれば、喜んで、と答えられるのに。
「? 意図が読めないね。演奏以外、どうするんだい?」
「簡単に言うと、『新世界より』をテーマにした香水を作りたい。そのために協力よろしく」
ついでにニコルが注文していたセットのパンケーキが届く。目玉焼きが乗った、食事感の強いパンケーキだが、甘さとしょっぱさが話題となり、パリでも人気。ショコラトリーだが、パンケーキで列ができることもある。ショコラの甘さとパンケーキの甘しょっぱさ……苦味が欲しくなると見込んで、食後にフィルターを頼む。
ちなみにヨーロッパでは、ブラックコーヒーをフィルターという書き方をしているところが多々ある。
「? 香水? なんで? どんな関係が?」
ニコルの注文を待って、ひと呼吸置いたフォーヴが尋ねる。音と香り。なんとなく合いそうで合わない。音に香りはないし、香りに音はない。五感同士ではあるが、絶妙にフィットはしない。結果、よくわからない。
「あー、まぁみんなこうなるよね」
ズズっとショコラショーを飲みながら、ニコルは半ば予定通りの反応で安心する。すぐ理解できる人がいたら会ってみたいけど、絶対変なヤツ。
「実は……」
『とある事情で』、クラシックの名曲をイメージした香水を作っていることを、端々をつまんでブランシュはフォーヴに伝える。伝えながらも、自身でたまに、なんでこんなことになったんだろう、と頭がクリアになることがある。それが今。現実的ではない。
普通なら、ありえない、という反応かもしれないが、フォーヴは奇怪さより面白さの天秤が勝った。
「なるほどね。しかし驚きなのは……その、香りを音にする、という才能。ルカルトワイネの音楽科でも聞いたコトないね」
フォーヴはまじまじと、そしてじっとりとブランシュを眺める。どこかに体にそういった仕掛けがあるのでは? と、凝視するが、当然何も出てこない。
まじまじと見られ、服を透過させられているのではないか、という妄想をブランシュ抱き、顔を赤らめる。そんなバカな。
「あ、音楽科なのか。そりゃそうか」
聞いていなかったが、あれだけの実力があれば当然のことか、とニコルは言いたいが、ブランシュの例もある。まぁ例外ではあろうが。




