49話
「サンキュー」
「感謝」
それぞれが謝辞を述べて、第二、第三を読み込む。細かいところは捨てる。だいたいの大まかな流れを読む。
「ありがとうございます……」
自分のために、と心の中で付け足し、まずはトップのみのアトマイザーの香りに包まれる。何度も嗅いだ香り。少し緊張し、体温上昇でいつもより濃く香っている。
「本当にあーやるんだ」
譜面を読み込みながらも、興味ありげにイリナは注視する。『共感覚』を見るのは初めてで少し興奮。
優しいピアノの音色から始まり、すぐにヴァイオリンが入る。
(何度かご一緒させていただいているからか、ヴィズさんは寄り添うような演奏をしてくださいます。まさにブラームスとクララなのですが……クララが見えません。あなたは……誰なのですか……?)
またも、モザイクをかけたような、識別不明な人物像がブランシュの脳裏に浮かぶ。深く愛を感じるのに、薄くすすけているような、仮面で隠しているような心地の悪さ。それでも、綻びそうになるところをピアノに支えられて、羽ばたくようなスケールに物語を持っていく。
(まるで手を取り合ってダンスするような、そんな演奏。お互いが呼吸を合わせて、ステップを踏む。倒れそうなギリギリで引き寄せ合う。踊りやすい)
ふと、ヴィズから笑みが溢れる。悪戯っぽくわざとステップをずらしても、それをものともせず、そういう踊りであるかのように修正するヴァイオリン。燃え上がる炎のような熱量が過ぎ去り、最初のフレーズに戻る。あっという間に一〇分が過ぎて第一楽章のダンスが終わる。
ブランシュとヴィズは手を止め、呼吸を整える。
「……まじ……?」
「驚き」
途中から譜読みを飛ばして演奏を二人は聴いていた。超絶技巧の曲ではないが、ゆえにここまで鳥肌が立つのは、曲への理解と表現力。ヴィズはわかるとして、ブランシュはなんで? という疑問が頭に浮かぶ。
「どう? 見えた?」
触れ合う指先の感覚がまだたしかにある。今の自分にできる最高の演奏をヴィズはした。
一瞬、ブランシュは満開の笑みをするが、次第に翳っていく。お互いに現状ベストの演奏をできたからこそ、申し訳なさから言い出しづらい。
「……すみません、でも前回より輪郭は見えたんです。ただ、顔が……ない」
「ま、仕方ないわね」
残念だがそれでも、ヴィズは自分の中でたしかな手応えを感じていた。収穫はあったため、まぁよしとする。
「よっしゃ、次は私だ」
ドカっと勢いよくイリナはイスに座るが、高さに不満があるらしく調整する。意外に神経質なところがある。
ブランシュは首筋のトップの香りを軽く擦り消す。完全には消えないが、少し残しておくくらいがちょうどいい。ミドルの香りを塗布し、再度香りに包まれる。
しっとりと第二楽章が始まる。イリナには久しぶりの『雨の歌』ではあるが、問題はない。むしろ、ヴィズの熱をそのまま引き継いでいるのか、より感情的なピアノになる。
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