46話
金曜日。
時刻は一一時半。場所は食堂棟二階、無数の長いテーブルがひしめき合い、生徒達が喧騒の中、各々のランチを持ち込み食す。フランスでは食事に重きを置いたお国柄もあり、ランチタイムは午前一一時から二時間もある。自宅に帰って食べる者もいるほどで、自由な時間と言えるだろう。
ブランシュはランチは一人で自室で取るのが日課であったが、入学から一月半、少しずつ事情が変わってきた。
「そういえば、リサイタルのときは照明とかなくて、全部キャンドルで照らすらしいんだけど、ほらなんだったか、香り付きのキャンドルってあったよね」
うーん、と唸りながら脳からその名前を捻り出そうとしているのは、ピアノ専攻のイリナ・カスタ。好きな作曲家はシューベルト。『魔王』で衝撃を受けた。
「乳香ですか? たしかにあります、ミサなんかでは使われていますね」
答えているのは普通科、ブランシュ・カロー。好きな作曲家はパガニーニとサラサーテ。ヴァイオリンといえばこの人達だから。
「リサイタルは学生が主体となって開催するんだけど、準備とかも自分達でなのね。音響とかはさすがに手配するけど、照明に関しては、ブランシュできたりする? 香り付きのキャンドル、やってみたいの」
そう提案するのは、ピアノ専攻ヴィジニー・ダルヴィー。通称ヴィズ。好きな作曲家はブラームス。理由は、たぶん感性が一番近い気がするから。
「私、フルーツが好き」
言葉足らずに喋るのは、ピアノ専攻カルメン・テシエ。好きな作曲家はドビュッシーとベートーヴェン。理由はない。
「大丈夫ですよ、簡単ですし。フルーツ系とジュニパーの組み合わせなんかが有名ですが、作曲家によって香りを変えるのも面白いかもしれませんね」
香りのこととなると、ブランシュは早口で饒舌になってしまう。少し興奮する。というのも初めて、パリに来てランチを学生同士で取るという、ひとつの目標を達成しているところなのだ。
きっかけは木曜日の夜。ヴィズからブランシュに連絡が入り、明日のランチは一緒にどうかというものだった。ピアノ専攻の人達に話したら、気になるとのことで、一度会ってみたいとのこと。なにやら話が大きくなってきている。目立つのは苦手だが、自分を変えようと思っていた。是非、と返信した。
他の二人も教会のリサイタルで演奏するらしい。となると、もしかしたら今後香水作りの参考になるかも、という気持ちもあり、勇気を出して輪を広げたかった。
「それなら私はシューベルトとモーツァルトだから、どんな香りが合うと思う?」
イリナは二日目にシューベルトとモーツァルトを弾くらしい。どちらも巨匠だ。たくさん曲を残しており、香りのサンプルには事欠かない。想像するだけでも楽しい。それに、色々なエピソードも出回っている。
「シューベルトといえば……あの有名なエピソードがありますからね。ちょっと悪魔的な香りなんかいいかもですね」
「あの、新曲が出来たから皆さん聴きに来てね、みたいなこと言っておいて、難しすぎて弾けずに激怒したってやつね。自分で作曲したのに」
ブランシュとイリナはシューベルトにまつわる幾つもの逸話を思い返す。歌曲の王と呼ばれ、物語性を重視した曲作りで知られるシューベルト。しかしそんなロマン溢れる彼にも、そんな事件があったと歴史に残っている。どの時代にも自由気ままで勝手な人もいるものだ。
「それでいて、モーツァルトの恋多きエピソードなんかもよく聞きますからね。甘く、でも失恋の苦味のある香りでしょうか。トップにグレープフルーツ・クミン・タイム、ミドルにはマジョラム・ブラックエルダー・イランイラン、ラストにエレミ・ローズウッド・バニラ……というところですね。今度作ってきますよ」
「いいなー、私は?」
感情の起伏が乏しい声で、カルメンがもの欲しそうに要求してくる。
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