39話
画面には彼女らしき人の返信で《待ってる》と短文で無駄なく簡潔に終わらされた文章がある。
「いつの間に……」
連絡先を交換したのだろう。あの時はそんな暇なかったのに。自分だって、気づいたら登録されていたニコルの連絡先しか、学園の生徒は知らない。ブランシュには驚きよりも悔しさが勝つ。
自慢げに、ニコルはブランシュに近づいて顔を覗き込む。
「な? だから言ったじゃん、パイプは作っといた方がいいって」
先ほどのアマルフィレモンとメープルがほのかに香る。自分で調合しといてなんではあるが、いい香りだなとブランシュは自画自賛した。それよりも問題はそこではない。
「でも、他の方々もいるかも……」
ホールに置かれたグランドピアノは、ピアノの王様スタインウェイ。コンクールでも大勢の人が使うこともあって、ピアノ専攻では取り合いになる代物だ。この前、聴いたからわかる、ホールの反響を完璧に計算された調律が施されている。それを、普通科の人間のヴァイオリンとのアンサンブルで使用するのは……ヴィズさんはいいとして、やっぱり気が引ける。
迷いながらうじうじするブランシュを見、ニコルの表情は見る見る険しくなる。
「だー!いいって言ったのは向こうなんだから、なんかあったら向こうのせい!はい、香水とヴァイオリン!」
「……もう、どうなっても知りません……」
ヴァイオリンケースとアトマイザーを四本、ブランシュが持ち、以前と同じホールへ。どうやったのか、ニコルも普通にフラッパーゲートにタッチして入っている。もういちいち驚く感覚がブランシュは麻痺しているので、余計なことは聞かないことにした。
ホールに入ると、相変わらずいい音色でブラームスが聴こえる。『ハンガリー舞曲』。ブラームスでは一、二を争うほどの有名な曲だ。簡単な曲ではあるが、そんな曲ほど演奏者の技量がよくわかる。
二人が階段を降りていくと、ちょうどいいタイミングで曲が終わる。一拍おいてから、大きな拍手で迎える。そうあるべき演奏だった。
舞台に上がり、ブランシュは三六〇度見回す。前回は無我夢中で気づかなかったが、落ち着いて確認すると、後ろにも人がいると考えると、少し怖さもある。
「ありがと、来たわね。まずは指慣らしに『熊蜂の飛行』、いける? テンポは……一八○」
挨拶もそこそこに、ヴィズがアンサンブルを求めてくる。ホールは生徒に時間貸しというルールなので、一分一秒が惜しい。
「ありがとうございます。いけます。よろしくお願いします」
ケースからヴァイオリンを取り出したブランシュは、深く息を吐き切る。一度全部吐くことで、古くなった細胞を新しく、この曲に合わせるように、再構築したい
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