38話
他と同様に混ぜ合わせて、ラストノートだけのビーカーをブランシュはニコルに両手でそっと手渡す。
包み込むように受け取ると、優しく、幸福な香りが漂う。強くもなく、かといって弱くもない。ほのかにアーモンドのような甘さが感じられる。心が落ち着く。深く吸い込むと、顔を上げてブランシュに笑む。
「いいんじゃない? 少なくとも、自分にとっての『雨の歌』だとは思うわ。誰に文句言われても、自分はこう感じたってのが見える」
よかった、とブランシュはトップとミドルを混ぜた香油にラストも混ぜ、スパティラで攪拌する。しっかりと混ぜ合わせなければ、分離して香りがうまく融合しない。最後まで手は抜かない。
「ラストは香りが長持ちするので一滴ずつ。そしてスポイトでアトマイザーに入れれば、完成です」
丁寧にスポイトで取り、ロールオンのアトマイザーに移しかえる。この瞬間がたまらない。期待と緊張が入り混じったような、妙な興奮がする。最後の一滴までしっかりと残さないように。ノズルキャップを閉め、木目調のキャップも漏れないようにしっかりと。そしてテーブルの上に置く。
「ブランシュ・カロー作『雨の歌』、完成です」
コト、とガラス瓶の乾いた音が小さく響く。
一目散にニコルは手に取り、四方八方から眺める。遮光のための黒いアトマイザーなので中身は見えないが、反射する光が、より美しく映える。
「おー! つけていい?」
木目調のキャップを外しながら、ニコルは指先でロールを回す。回転し、香油の付着した部分が現れる。少し、味見してみたい。
「手首のほうが嗅ぎやすいと思いますから、そちらに。こすると香りの粒子が潰れてしまうので、長持ちしませんよ」
ブランシュからの豆知識も聞き入れ、おそるおそる塗布してみる。レモンとメープルの甘爽やかな香りがする。でもほのかに苦味。いいんじゃなかろうか。ひとつ頷き、
「よっし、じゃ、行こうか。ヴァイオリン持って」
急いでどこかから拝借してきた、あの制服に着替える。早着替えは彼女の得意分野、数秒で支度完了。
不思議なもので、何度か見ているとブランシュは、彼女は本当に生徒なのではないかと思うくらいに違和感がなくなってくる。自分の生活にも、ここの生活にも数日で溶け込んでいる。羨ましい能力だ。
「え? どこにですか? この時間だと橋の下は人が多くて……恥ずかしいです……」
あくまで早朝を選んで演奏しているのは、景色もそうだが、人があまりいないこともブランシュには大事な要素だ。基本的に目立つことはしない。悪い人に目をつけられでもしたら、断れる勇気もない。その時、この人は守ってくれるだろうか。
「外なわけないっしょ、制服着てるんだから。演奏するならあそこしかないじゃん、ホール」
外にはいかないと、ホッとしたのも束の間、いや、それもダメでしょと冷静に判断する。
「いや、私達は普通科ですし、あの時は日曜日で人がいなかったから……」
今日は水曜日、練習している人もいるだろう。そこに勝手に、普通科の生徒が我が物顔でホールを使っていたら、おそらく怒られる。そもそも、学生証をこの人は持っていないんだから、どうやって入るつもりだろう。またピッタリとくっつくのか。なんか……恥ずかしいから嫌だ……。
携帯を確認したニコルはニヤリと笑って画面を見せてくる。
「ヴィズはいいって。待ってるってさ」
続きが気になった方は、もしよければ、ブックマークとコメントをしていただけると、作者は喜んで小躍りします(しない時もあります)。




