37話
「どれどれ……うん、トップは甘いけど、奥にほんのり苦味がある。トップは二種類でいいの?」
ミドルは四種類使っているが、トップは二種類。少ないと足したくなってしまう貧乏性な面がある。
「トップはすぐ消えてしまいますし、香りの第一印象は大事ですから、あまり複雑にしすぎないほうがいいんです。それでもやはり、プロの作る香りは複雑だけど一本の芯が通っているような、ごまかさない軸がありますね。それと、香りをリセットする時は、コーヒーの香りを嗅ぐか、自身の肌の香りを一度嗅ぐといいと言われています」
いつの間にかエスプレッソが出来上がっている。甘いものを食べていたこともあり、少し苦味が欲しかったニコルは、ショコラパウダーとハチミツを少量入れた。結局甘く仕上がる。香り、少し口にしてリセット。
ミドルノートも同様に紙に浸して嗅ぐ。
「ふーん……ミドルは苦味がくるんだけど、甘味とバラみたいな優しい香りに爽やかさもある、みたいな。あれ? でも第二楽章って悲しい曲じゃなかったっけ?」
ニコルが嗅いだ感想としては、悲しさよりも朗らかな温かさを感じる。もっと陰鬱になるような香りをイメージしていたため、肩透かしをくったような後味だ。エスプレッソを一口飲む。
思った通りの反応を示したニコルに対し、作り手のブランシュは解説を添える。
「クララの息子のフェリクスですが、ブラームスは名付け親になるほどに、この子を溺愛していました。しかし亡くなってしまって落ち込む母親のクララですが、この第二楽章そのものが、フェリクスを見舞う手紙に書かれていたメロディーをテーマにしていると気づくんです」
病床に伏していたフェリクスに、ブラームスは手紙で励ましていたという記録が残っているが、その手紙には同じく楽譜が記されていた。その楽譜こそが、この第二楽章であり、音楽でも、ヴァイオリンを嗜んでいたフェリクスを支えていた。
「言ってた、クララが天国に持って行きたいってのはこういうこと?」
以前、軽く話してもらった『雨の歌』でもそんなことを言っていた、とニコルは思い出す。そういうことだったのか、と合点がいった。
「はい、だからこそ私は、悲しい楽章ではないと思いたいんです。悲しみから希望に移る様を表現したいと」
そう言うブランシュの目は、まるで彼らが生きていた当時を見据えているような、優しい色をしている。もし自分がブラームスの立場だったら、クララの立場だったら、フェリクスの立場だったら。きっと悲しい話だった、で終わらせたくないだろう。ならせめて、こういった抵抗をしてみたい。
そんな感情が、ブランシュの表情から読み取れ、ニコルは驚きながらも笑みを浮かべた。
「それでラストは? まだ決まってない?」
残りの四本をブランシュは取り出す。選ぶのに迷うことはなかった。自然と手が伸びた四本。様々な顔を覗かせる第三楽章を、まとめ上げるための香り。
「インセンス、ラブダナム、ウード、そして最後にベンゾイン。これで決まりです」
「……一個も聞いたことないわ」
自信満々にブランシュは提示したが、全く聞き覚えのないものばかりでニコルは晦渋な顔をする。さっきのトップとミドルだけでもちんぷんかんぷんなのだが、さらに追加された。名前だけ言われても香りの想像はつかないが、この子が自信を持っているにだから、そうなのだろう。
「あまり耳馴染みがないかもしれませんが、いわゆるお香、ムスク、木、安息香の香りです。第二楽章を回想しながら、最後は眠るように、この物語を閉じ込めることができたらな、と思いました」
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