363話
手首を嗅ぐブランシュ。ほのかに残る香り。演奏中も揺れるたびに濃く香っていた。そして告げる。
「これ、ですね。これ。販売していないんですよ。非売品です」
だからこれは私だけのもの。他には誰も。私のためだけのものだから。
今日一番の険しい歪んだ顔をニコルは見せる。
「はぁ? いや、だって実際にそこにあって——」
と否定しようとしたところで。
ひとつだけ。なにか見落としていたものが。心に落ちてきた。そんな予感。
「……!」
ハッとする。冷たいものがポタッと。体の芯から冷やす。一瞬震える。
(…………いや、そんなバカな。いやいや、そんな……こと、ある……?)
でももしそれが当てはまるなら。今日のここでの会話が全て、一本筋が通る。だが、それでも信じることはできない。だって、この子は嘘なんかつける感じじゃなくて。リアクションは全て心からのもので。
優しいとことか。騙されやすいとことか。落ち込みやすかったり、立ち直りも案外早いとことか。それらがこの子を形成していて。香水に目がないとことか、クラシックの知識とか。洗濯物の干し方に、コーヒーの味。そういったものがこの子であって。
もう、ここまで伝えてしまったなら。後戻りはできない。ブランシュの決意。
「……気づきましたか? 最後のヒントにしましょうか。ニコルさんはこれも最初に言っていましたよね。『十本作って、十一本目は孫にあげる』って。ま、あなたが本当にお孫さんなのかは、この際どうでもいいです」
少しだけ。語調が普段のものになる。だからこそ。心が離れていくように。
ニコルは頭を抱える。今までのこと。全部。ひっくり返ってしまうような。
「……まさか、いや、だって——」
「私もあの時驚いたんですよ。まさか、隠し子でもいたんじゃないか、って。『私の知らない親族がいるかも』だなんて」
冷たい、が、どこか寂しさを含んだブランシュの目。気づかないでいて。お願いだから。




